Netflixでアジアのコンテンツ統括を務めるキム・ミニョンさん。「イカゲーム」など多くのヒット作を手掛けた。
撮影:竹下郁子
Netflix(ネットフリックス)のコンテンツ制作でアジア(インドを除く)のトップを務めているのが、韓国人女性だということをご存知だろうか。
「イカゲーム」「愛の不時着」「梨泰院クラス」「キングダム(韓国作品)」……。
これらのヒット作品全てを仕掛けたのがキム・ミニョンさん、Netflixアジアコンテンツ部門のバイス・プレジデントだ。
韓国作品が世界でヒットを飛ばすたび、日本で必ずと言っていいほどささやかれるのが「韓国は世界を向いているから(それに比べて日本は……)」という“ぼやき”。
ところがキムさんは「自国でのヒットこそが成功だ」と言い切り、グローバルヒットを狙うスタッフを「ここには海外行きのチケットはない」と諭(さと)す。アジアのリソースを欧米のためには割かない、架空の“グローバル顧客”に向けたビジネスはやめよう、と。
キムさんはこの1年半、日本に滞在し、Netflixジャパンに“テコ入れ”してきた。
ローカル戦略を重視するため、社内の会話は日本語。キムさん自身は英語が堪能だが、「グローバル企業だから英語で話せ」と強いることは決してない。日本滞在時の制作会議には、通訳者が立ち会った。
日本人スタッフにとっては、「外資は英語ができる人間だけが出世する」という“英語苦手族”の言い訳が通用しない厳しさもあるだろう。
「ボーングローバル」「英語を社内公用語に」はもう古い? ヒットメーカーの仕事哲学には、アジアが世界に勝つための条件が詰まっていた。
私は“質問魔”、教えず「自ら突き詰める」よう仕向ける
——『イカゲーム』(2021年)はNetflixの非英語作品で初めて視聴数トップになり、エミー賞でも非英語圏および韓国作品として初の主要賞受賞、しかも6冠を獲得するなど異例のヒットとなりました。
日本でのミッションは「日本版『イカゲーム』を作れ(=世界的なヒット作を出せ)」だったんですか?
それができるなら苦労しないですよね(笑)。『イカゲーム』の大ヒットは予想外だったんです。韓国内での記録的ヒットは正直、予測してたんですけど、まさか世界で大ブームになるなんて。
よくヒットの方程式を教えてくださいと聞かれますが、そんなものがあるなら私が教えてほしいくらい。
ネットフリックス韓国チームとしては、韓国人視聴者が「いかにも韓国の話だなあ」と思えるドラマを作りたかった。韓国的なものを見せる点では一切妥協しませんでした。
ただ、韓国人の私が日本や他のアジアの国で同じことをやってヒットを飛ばすなんてムリです。
私は子どもの頃から日本のマンガをたくさん読んできたし、日本の実写ドラマを仕事でも勉強してきたけれど、日本人視聴者の肌感覚まではわからない。日本の皆さんに共感してもらえるような作品に仕立てるのは、日本のクリエイティブ・チームです。
私が統括しているインドネシア、タイ、オーストラリアのチームについても同じで、各国が独立して制作しています。
私の役割は各国のチームにたくさん質問を投げかけること。私は質問魔として知られていて。制作進行でのいろんな判断をする際、考えるべきことをとことん突き詰めるように仕向けるんです。
——具体的にどういう質問をするんですか。
まず「なぜこの企画にグリーンライト(青信号。進めても、進めなくてもよい、の意)を出してほしいのか」です。
いろんな理由があがってくるのですが、何百万ドルもの制作予算がかかる決断だから、当然本人たちも怖い。うまくいかなかった、ヒットしなかった場合を想定した理由もあがってきます。
こういうやりとりを続けるとチームの熱意が見えてくる。ターゲット層も聞くし、類似番組との関係、この企画が視聴者にどういう意味を持つのかも言語化します。この番組のメッセージは何か、それを何度も角度を変えて聞く。
最後に聞くのが「この企画は絶対ないといけない企画(must have)なのか、あったらいいな(good to have)なのか」です。そこでダラダラとたくさんの理由をあげはじめたら、もう一度「絶対ないといけない企画か、あったらいいな、どっち?」と聞きます。
そうするとまた、いろ〜〜んな理由が返ってくるので(笑)、さらにもう一度「不可欠な作品なのか、あるといいなというレベルなのか?」と。最後に「不可欠です」という答えだったらグリーンライトを出します。「あったらいいな」だったら「もう一度練り直し!」になります。
キラキラスローガンに見えてゴリゴリの戦略
撮影:竹下郁子
——厳しいプロセスですね……。
二択の質問を繰り返すと最終的には言い訳できなくなる。そういう心理的な駆け引きでもあるんですよね。
失敗したときは、なぜうまくいかなかったのか考えます。作品制作は小さな判断の積み重ねです。ひとつひとつの判断が正しかったのか振り返るのはとても大事。
ただ、クリエイターにとって自分の判断ミスを直視したり、意図が伝わらなかったという現実に向き合うのはつらい。人間だからプライドも傷つく。それでも現実と向き合うからこそ強くなれる。
もちろん失敗を外的要因のせいにする人もいます。「視聴者がこの感性についてこれなかった」「このジャンルは終わってる」とかね。そういうときは「視聴者のせいにしてはいけない」と言いますね。上司として悪役もつとめる。
それから失敗したときに「だから言ったじゃないか」とか「私は最初から失敗すると思っていた」みたいな言葉が出てくる職場は不健全です。Netflixのカルチャーである「反対してもコミットを」という考え方は大事だと思います。
──Netflixカルチャーとして明文化されてるんですね。
企画に対して、私がグリーンライトを出すときもあるし、出さないときもある。ただし私が反対しても彼らは番組をつくることができます。それが「反対してもコミットを」というカルチャーです。
ボスにノーと言われても、自分たちで企画を通す勇気を持ってほしいわけです。
私にはすべてを覆す拒否権もありますが、今のところは使ったことはありません。
各国のチームを信頼しているし、ノーを言いすぎるとチームが萎縮したり、リスクをとらなくなる。不健全です。
巨大ビジネスですから、情報がきちんと流れないと組織が腐ります。こういうスローガンはキラキラした理想主義ではなく、ビジネス戦略なんです。ネットフリックスは予算も大きいし、チームも巨大。確実に利益を生み出すには健全なチーム環境が大事なんです。
アジアのリソースをヨーロッパのために割く必要はない
——あなたのモットーは「まずローカル(自国)のために作ろう(Local for local)」ですよね。これを日本でどう実現するんでしょうか。日本は『ストレンジャー・シングズ 未知の世界』シーズン4が公開週に世界で唯一1位にならなかった国です(1位は『スパイ☓ファミリー』)。かなり特殊なのでは?
「Local for local」は各国チームにも米国にもPRチームにも、くどくど言っています。
人に感動を与えるにはまず、自分が一番よく知っているストーリーを語らなくてはいけない。
韓国語の企画ならば韓国人に一番グッとくるようでなければならない。だからまず自国でのヒットが大切なんです。
Netflixには視聴者の好みを分析して、居住地域とは関係なく、似ている番組をレコメンドする機能があります。視聴者が求めているのは「発見」なので、Netflixはそのための需要を満たし、視聴者は「発見」を楽しむ。そういう仕組みです。
だからまずは日本人が日本ローカルでリアルに感じ、インパクトのある作品を作る。グローバルの観客を見つけるのはNetflixのシステムが勝手にやってくれる。そういう考え方ですね。
「自国でヒットしたけど世界では空振り」でもOKです。特にコメディやお笑い番組、バラエティは地域色が強いので、その地域でヒットすれば成功と考えています。
逆に「自国ではダメだったけど世界ではヒットした」という作品は求めていません。韓国ではウケなかったけどヨーロッパではウケた、みたいな企画はダメですね。ヨーロッパ独自のコンテンツ制作部があるのだから、そっちに任せたほうがもっと良い作品になるはず。
企業としてはアジアのリソースはヨーロッパのNetflix会員のためでなく、アジアにいる会員のために使いたい。
チームに口を酸っぱくして言うのは「ここにはヨーロッパ行きのチケットはない」ということ。ローカル・インパクトについては妥協したくないです。
架空の「グローバル顧客」に向けたビジネスはやめよう
Netflixによると世界全体の全視聴時間のうち、約30%を非英語作品が占めている。
2023年12月、同社のオンライン記者会見にて。
私がNetflixで働き出してからは、変化も起きています。最初の頃は「英語での企画」ばかり持ち込まれ、クリエイターはみな「グローバルなプラットフォームで英語で作りたい。世界の観客に見てもらいたい」と言っていました。
でも『キングダム(韓国作品)』『イカゲーム』『今際の国のアリス』が世界でヒットしたことで、クリエイターたちは自分の言葉で自分が得意なように作っても世界で見てもらえると気づき始めた。
もちろん今でもハリウッドが目標と言う人は多いですよ。規模が大きいし、私も以前はハリウッドに憧れていました。それでも日本語や韓国語で作っても世界で見てもらえるんだと気づけたのは、大きな変化だと思います。
——「世界標準」に合わせるのではなくて、世界を自分たちのほうに招き寄せるという考え方が出てきたと。
そうです。だからこそ字幕や吹き替えのクオリティにこだわって、壁を感じさせないようにしています。
ただし、それは“世界の視聴者”を対象に番組を制作するということではありません。“グローバルな視聴者のためのグローバルな番組”は存在しないということです。
ネットフリックスのグローバル会議で私がアメリカ・チームに対してよく言うのは「確かにその企画はアメリカでヒットしたでしょう。南米でも欧州・中東・アフリカ地域でもヒットしたでしょう。でも私が担当する最大のマーケット、日本と韓国でヒットしてない。それではグローバル・ヒットとは言えない」と。
——発想の大転換ですね。「エンタメの頂点はハリウッド」「ハリウッドが関わっていない作品はグローバルではない」というハリウッド中心主義からの脱却ということですか。
そう、私もまだまだ勉強中です。『イカゲーム』のあと、“グローバル・ヒット”というのがキーワードになってしまって。
私がいま戦っているのは、「ハリウッドが企画した非英語のヒット作品と、ハリウッドの手が一切入っていない『イカゲーム』、どちらがグローバルなのか?」ということ。みんなが考え方を変えないといけないんです。
私が共に仕事をするクリエイターたちには文化や生き方には地域性があっても、人間の感情は普遍的なのだと伝えたい。社会問題や道徳的なジレンマは世界中でどんどん似たものになっている。こういう時代だからこそ、これまでの発想を転換すべきなんです。
私は日米つなぐ営業役。日本には外の刺激が必要
——あなたの決断に何百万ドルがかかっているというお話でした。プレッシャーにはどう対応していますか。
キャンプに行って焚き火を眺めてリラックスします──というのがオフィシャルの回答(笑)。本当は行動してからあとで怖くなるタイプなんです。何か事件があるとまず身体が動いて、あとで「なぜあんなことができたんだろう?」と思ったり。そこは性格なので感謝しています。
ただ私はアジアのコンテンツの力を心の底から信じてるんです。韓国も日本のクリエイティブ・コミュニティもまだ開拓途上。日本は原作も豊富で「想像力のパラダイス」だと思います。Netflixは世界レベルのリソースや技術を用いて、その才能を活かし映像化する体制を作らなければならない。
キャラクターの見え方とか、ストーリー展開の仕方に関しては外部からの刺激が必要だろうと思います。
こういうアジアのコンテンツのすばらしさをどうアメリカ側Netflixに売り込むか。私にとって当たり前に思える感覚がアメリカ本社の役員には読み取れなかったりする。
さっきの私の部下とのQ&Aセッションでの逆の立場になるわけですね。グローバルの役員会に出席してアジア市場について啓蒙し、もっともっと!と多くの予算を引き出す。それが私の仕事です。
好きでないとやっていられないし、忍耐力も求められます。アジアのクリエイティヴ・コミュニティへの信頼があるからここまでできているんだと思います。
——実写版『ONE PIECE(ワンピース)』が視聴数グローバルトップ10で3週連続1位になり、社内でも成功事例として盛り上がったようですね。これは日本チームがローカルを追求した成功例なんですか。
『ONE PIECE』はアメリカ・チームの企画なんです。米国側が原作の本質をつかむのに苦労していて、アジア・チームに声をかけてきた。それで米、日、韓の担当者でグローバルなチームを組んで協力することになりました。
韓国の担当者はLA滞在経験もあり、日本のアニメやマンガの大ファン。日本側担当者はもちろん日本のマンガで育っている。アメリカ側はアメリカの観客の好みもハリウッド式の製作法にも通じている。そういう個性が協力して制作をしたのはNetflixでも実は初めてでした。
——アメリカ側が苦労したのはどういう部分なんですか。
物語の背景や設定は欧米っぽいのに、哲学はとても日本的なところですね。“仲間”という考え方とか、キャラクター設定とかが日本的です。
Netflixではマーベル的なキャラクター設定と日本のマンガのキャラ設定を比較する勉強会もしました。
客を選ばずともステレオタイプは壊せる
撮影:竹下郁子
——欧米のスノッブな評論家から見るとアジアのコンテンツは子どもっぽいとか、アダルトに傾いてるとか、家父長制的だという印象があるようですが。
誰がそんなこと言ってるの? アダルトモノばかり見てないで、まずはNetflix作品をみなさい!と言いたい(笑)。そういうのは偏見だし、戦っていかなきゃと思いますね。
韓流ドラマのときも同じでした。韓流といえばかわいい女の子が白馬に乗った王子様に救われるラブコメというステレオタイプがあって。
ただし韓流ブランドとファン・ベースは巨大だから無視できない。私が(2016年に)Netflixに入社したときの目標は2つ。世界の韓流ファンにNetflixを見てもらうこと、そしてラブコメ以外の韓国ドラマも見てもらうことでした。
1つ目を達成するために既存の韓流ラブコメをたくさん用意しました。コンテンツ担当者としては自分の好みとは関係なく、ファンの需要には完璧に応えなければいけないし、韓流市場を拡大しなければいけない。ファンをジャッジするのは私の仕事ではない。そう考えました。
2つ目の目標に応えたのが『キングダム(韓国作品)』。いわゆるイケメン俳優も出てこないし、従来の韓流とは違うゾンビ・ドラマです。これで観客層が広がった。そうやって少しずつ韓流の定義を広げていったら世界もそれについてきた。そこに映画『パラサイト』の大成功もあって、韓国ドラマの多様性に気づいてもらえるようになった。
日本のコンテンツでも同じことが起こると確信しています。とはいえ自然増には限界がある。その意味で私はNetflix社全体に対して日本コンテンツのすばらしさをアピールする社内営業担当なんですよね。業界全体として、みんなでコンテンツの多様性をアピールしていかなきゃいけないと思ってます。
——日本滞在を終えられます。いまの気持ちは「ミッション終了!」という達成感なのか、まだやれることがあったのに……なのか。
アジア発のコンテンツ制作はやっとスタート地点に立ったところです。私の目標は「韓流」とか「日本製コンテンツ」という名称をなくすこと。「週末にネットフリックスのドラマを見た。そういえば韓国製だったね」「そういえば日本製だったね」となってほしい。
そのためには『イカゲーム』『今際の国のアリス』といったヒット作品がもっともっと必要。
実写版『ONE PIECE』は原作が日本だと意識しないで見てる人が多くて、それこそが強みなんですよね。
アジアのエンターテインメント産業が独立して、持続していくには、ある程度の規模とスケールが必要です。韓流ドラマだけが大きくなってもダメ。日本、韓国、台湾、東南アジア全体で大きくしていかないと。
アジア地域全体の才能を掘り起こしてお互いに刺激を与えられるようにしたい。そうなって初めてハリウッドと肩を並べられます。それが私の目標です。先はまだ長いですけど、私たちはみんなでこの夢を実現しなきゃいけないと思っています。