電子音楽の新潮流「ロウワーケース・サウンド」で沈黙の音を聴こう

電子音楽の新ジャンル「ロウワーケース・サウンド」(lowercase sound)では、脈打つテクノ・ビートの代わりに沈黙や繊細な音が強調されている。普通は人が気にもとめないような日常のありふれた音を題材にする点も特徴的だ。ロウワーケース音楽の制作現場では、やはりコンピューター音楽に欠かせないマックが活躍している。

Leander Kahney 2002年05月31日

コンピューターで制作される音楽といえば、脈打つテクノ・ビートを連想するのが普通だ。しかし今、もっと静かなサウンドに美を見出す動きが現れつつある。

あまりに繊細であるため、音がほとんど聞こえないほどだ。

きわめて小さな音と、各音の間の長い完全な沈黙を強調した電子音楽は、「ロウワーケース・サウンド」(lowercase sound)という名称を与えられ、緩やかなムーブメントとなりつつある。

主として科学者やハイテク専門家、そして実験音楽家たちによって作られるロウワーケース作品は、コンピューターによる微小音の増幅を基礎としている場合が多い。コンピューターは、一般的にはマッキントッシュが使用される。

最近の作品には、湯の沸いているヤカンが奏でる交響曲のような音、ステレオ装置を通して再生される生テープの穏やかなヒスノイズ、ヘリウム風船が天井に柔らかくぶつかる音などが含まれている。

ある最近のアルバムは、あまりに静かだったため、リスナーは本当に音が収録されているのかと首をかしげた。

「ロウワーケースは、詩人のリルケが言うところの『取るに足りない物ども』に似ている。その細部、精妙さに、人があまり注意を払わないようなもののことだ」と語るのは、この音楽ジャンルの名付け親であるロサンゼルス在住の芸術家、スティーブ・ローデン氏

ローデン氏はさまざまな方法で紙をいじり、その音を集めたアルバムを制作した。『フォームズ・オブ・ペーパー』(紙のかたち)と題されたこの作品は、元々はハリウッドのある公共図書館から制作を依頼されたのだが――本当の話だ――、このジャンルにおける最も傑出した作品となった。

ロウワーケース作品は科学的なテーマに基づいている場合も多い。たとえば、増幅された蟻塚の音、バッテリー切れ間近の携帯電話の音、バクテリアがドライアイス入りメタノールの中で急速冷凍される際の柔らかな破裂音などだ。

作者はまず、コンタクト・マイクを使ってごく小音量のノイズを録音し、米デジデザイン社の『プロツールズ』などのソフトウェアを使って増幅する。次に、その音を細切れにしたり伸長させたり、あるいはループ、リピート、ディレイなどの処理を施して、ほとんど無音に近いミニマリズムの音楽作品を創造する。こうして完成した作品は、リスナーに並々ならぬ集中力を要求するのだが、驚くほど感動的なものにもなり得る。

ロウワーケース・サウンドは、ミニマル・ミュージックの先駆者となった現代音楽作曲家、ジョン・ケイジの作品を彷佛とさせる。しかし、1952年の初演時に物議を醸したケイジの完全な無音作品『4分33秒』とは異なり、ほとんどのロウワーケース作品は音を含んでいる。

生化学者にしてロウワーケース音楽家、ジョシュ・ラッセル氏(31歳)は次のように説明する。「この音楽は、普通なら気にもとめない音を聞かせてくれる。聴き手の知覚を変えてしまうのだ。数年前には音楽と思えなかったたくさんの音が、今の私には音楽的に響く。聴き手は音それ自体が美しいということに気づく」

カリフォルニア州サンディエゴ出身のラッセル氏は、ロウワーケース音楽の代表的レーベル『ブレムシュトラールング・レコーディングズ』を主宰している。最近、ロウワーケース作品を集めた2枚目のコンピレーション・アルバムの予約を受け付けはじめた。

ラッセル氏は、ロウワーケースのメーリング・リストのメンバーのためにコンピレーションの第1作を制作した。用意した500枚は2週間で完売し、ラッセル氏はうれしい驚きを味わった。

2作目のCDは1000枚用意される予定だ。ほぼ全員が国籍を異にする30名前後のアーティストたちがフィーチャーされる。両アルバムの中には、ローデン氏やベルンハルト・ガル氏、テイラー・デュプリー氏(写真)といったロウワーケース界の著名人の作品も含まれている。

このムーブメントはインターネット上で成長した。それどころか、インターネット抜きでは存在し得なかったはずだ。

「相当難解な音楽なので、どこの都市だろうと公演に必要な人数のファンを集めるのは非常に困難だっただろう」とラッセル氏。「しかし、ウェブ上であれば話は簡単だ。私は何年もこの美学を追求してきたのだが、自分がおかしな方向に進んでいるのではないかと思うこともあった。友人は誰一人として楽しんでくれなかったからだ。しかしウェブに向けて発信したところ、多くの人が夢中になってくれた。私と同じ経験をした人は大勢いると思う」

『タワーレコード』や『ヴァージン・メガストア』は今のところ、ロウワーケース・サウンドのコーナーを設置していない。しかし、この音楽や個別のアーティストに焦点を当てたウェブサイトは数多くあるし、ウェブを中心に展開する小さなインディーズ・レーベルもたくさんある。

愛好家の数を見積もるのは困難だが、ラッセル氏によると、ロウワーケースのファンは世界中で1万人程度いるだろうという。

カリフォルニア州サンタモニカのあるコーヒーショップで最近開かれたショーには、3人のパフォーマーの演奏を聴くために100人の客が集まった。3人は皆、米アップルコンピュータ社の『パワーブック』を使用していた。

ロウワーケース・サウンドの制作現場で、マックは中心的位置を占めている。多くのロウワーケース・アーティストが、コンタクト・マイクを使って音源となる素材を野外で録音し、その後、録音した小さな音の増幅と編集をマック上で行なっているのだ。

ローデン氏は語る。「最近、いろいろな電子音楽がコンピューターを使い自宅スタジオで作られるようになった。われわれの創作活動が一斉に花開いたのも、プロツールズが比較的入手しやすいこと(とくにデジデザイン社が提供する無償ダウンロード版)や、ここ数年でマックのハードウェアの価格が下がったことのおかげだろう。多少なりともコンピューターの知識があれば、誰でもロウワーケース作品に取りかかれる」

「好まれているプラットフォームはマックだ」とラッセル氏は語る。「コンピューター音楽に取り組む人の大部分が、マッキントッシュを使っている。これは、パワーのあるコンピューターを一般の人が手に入れたことから生まれた動きだ。自宅の居間で複雑なスコアが書けて、プロ並みの音質のCDを制作できるのだから」

試聴

  • 中村としまる氏の『nimb #20』(外部音源を入力しないで、ミキサー内部のフィードバックをコントロールして演奏している)MP3ダウンロード(1MB)
  • ベルンハルト・ガル氏(別名ガル)の『Zhu Shui』(北京語で「沸いている湯」を意味する。すべての音は、ヤカンの中で湯が沸き、冷めていく過程からサンプリングされている)MP3ダウンロード(1MB)
  • ボブ・ストラム氏の『Outer buoy wave conditions at Torrey Pines California State Beach during November, 2001』(2001年11月、カリフォルニア州立トーリーパインズ・ビーチにて、外ブイの波浪状況)MP3ダウンロード(1MB)
  • オタク・ヤクザ氏の『In the Space of a Second』(それぞれ0.001秒の長さを持つ1000個のサンプリング音が、1つにまとめられ、前後に沈黙の時間を伴った演奏時間1秒の「歌」を作っている)MP3ダウンロード(216KB)
  • シュテファン・マチュー氏の『Flake』(ドラムの内側から漏れてくる空気)MP3ダウンロード(1MB)
  • アキラ・ラブレー氏の『disjectimembrapoetaeeatelich』MP3ダウンロード(1MB)[日本語版:茂木 健/高森郁哉]

WIRED NEWS 原文(English)