レッカード 壊れた世界の呪装機巧《エキソスケイル》

上原 友里@男装メガネっ子元帥

地球の半分が消えた日

 暗闇の室内一面に巨大なVRディスプレイがポップアップ。ノイズまみれの音声が天井スピーカーから大音響で吐き出された。地鳴りとも爆風ともつかぬ振動が闇を揺らす。


 ただ白いだけの画面が円卓を照らし出した。ノイズはすぐにおさまり、画面は一旦停止。静寂が室内を押しつぶした。壁と一体化したテーブルの奥側は半球形の防弾調光ガラスで被覆され、内部は見えない。


 一方の室内側。シートに着席する者は3名。


 各自のブースは光学迷彩ボードで区切られ、他者からの視線はさえぎられる。背後に控える者たちの気配はそれぞれ完全に殺されており、発言の権利も特例もない。

 

「誰だ、いちいちめんどくせえ現実に呼び出しやがって」


 かすれた声がモニターからの音声を乱した。テーブルに着いたうちの一人がヘッドセットをむしり取る。


 別の粗暴な声が嘲笑した。

聖域マトリクス起動失敗の責任は取るのだろうな、ジャング」


「黙れ」


 男は手にしたヘッドセットを正面の光学迷彩ボードへたたきつけた。一瞬、透明ボードが銀虹色にたわんで、その向こう側にいる黒髪の男の半身を暴露した。ボードはすぐに機能を取り戻し、再び壁の向こうの存在を秘匿した。笑い声だけが残る。


御前グランドマスターのご意向だ。貴様こそ黙れ」


 冷徹な声が興味なさげにいさめる。半球型防弾ガラスの向こう側におわすべき存在の名を楯にするが、やはり姿は光学迷彩ボードの向こうに隠れて見えない。


「緊急事態だっていうのにその御前グランドマスター様がどこにいるのか誰も知らねえってのはおかしいだろうがよ、親愛なるお兄様偉そうにしやがってうぜぇんだよマジで


 モニターの映像がぷつんとノイズ音を立てて切り替わった。灰色に揺らぐ粉塵以外、何も映らない。黒い画面の中で荒々しい息遣いと怒鳴り声だけが交わされる。あわただしくぶつかり合う装備の音。砂利を踏み荒らすいくつもの靴音。


「もちろん、同接で見ていただいている。つまらない口を利くな」


「だから何を見ろってんだよ」

 ジャングと呼ばれた男が苦々しく吐き捨てる。


「ゼロ地点にへ向かった部隊が遺した記録映像、」


 冷徹な男の声が告知する。言外の意味を察してジャングは鼻をゆがめた。


「お前の怪物失敗作どもだ」



 灰色の土。黒ずんだ柱に残された月桂冠と剣の紋章。砕けたコンクリートから剥き出す鉄骨。オイル臭い煙を上げる金属の塊。ちぎれたパイプから、致死性のガスが黄色く泡立って噴き出す。瓦礫にうもれた消し炭の死体と人間の影だけを焼き付けた壁。


 ガスマスクに殺伐とした呼吸音が響く。


 数値の異常を伝える警告が赤く点滅した。防護服姿の分隊長が無線に応答。


 ──こちらサンドタートル01より10へ。グローネファス研究所跡地の捜索は終了。《胎児エンブリオ》は認められず。指示を請う。どうぞ──


 唐突に激しいノイズが発生する。レシーバーが火花を散らした。衝撃で地面に取り落とす音。いくつもの影が、噴煙立ち込める瓦礫の向こうに頭をもたげた。


 誰かの喉が上下して鳴る。


 ——核二発だぞ、何でまだ生きて——


 バイザー越しに見えた悪夢が音を食いちぎった。ヘルメットが地面に転がって黒と赤の一筆書きを描く。すさまじいノイズが電波を通じて全員の耳と脳を突き刺した。


 ——01アルファがやられた! だ。撤退。撤——


 瓦礫を這う長い影。マシンガンの発砲音がふいにとだえ、代わりにグラインダーの火花を散らす軋みと血袋を叩きつける音とが地面を削った。墨色の花火が地面の広範囲に広がる。


 映像中継はここでブラックアウト。


「ルカ!」


 部隊の一員である少年はマシンガンを手に、もはや誰も存在しない空間へ向かって怒鳴った。《人類共同戦線》の先輩や同僚である特殊機巧作戦特務分隊、サンドタートル01の分隊員すべてがもう識別装置に対する応答をよこさない。ならばもう、彼がこの作戦に参加した《本当の目的》を隠す必要もなかった。


! ! 頼む、頼むから返事をして……!!」


 半分無謀ともいえる単独行動で、掩蔽物の背後から飛び出した。その瞬間。


 寸前まで少年が存在していた空間が、コンクリートごと轟音をたてて文字通り喰われた。グラインダーの火花とコンクリートの粉塵、土煙が噴出する。煙の向こうにゆらゆらと動く巨大な黒い影。


 転がりながら体勢を立て直してマシンガンを乱射。に向かってスラグ弾を全弾叩き込む。あっという間に弾倉が空になった。


 コンクリート壁がウエハースのように粉を散らして砕け散る。煙の向こう側の影は、弾丸の直撃を受けてもまるで幻影か悪夢そのものであるかのように格別の変化を見せてはいなかった。ゆらり、ゆらりと触覚を振り——


 ギギギギギギギと軋る耳障りな音を立てて、脳内に直ギギギギ接這いずり込むような、かきギギギギ回すようなノイズを振ギギギり放つ。


「……ッ……!」


 何かをくわえている。先ほどまで01アルファと呼ばれていた隊員の腰から下が、ぼとりと地面に落ちた。すでにが生えている。皮膚を破って突き出す。波打って動き出した。


 人体には不可能な速度で多脚が地面をスタッカート。死の旋律を奏でるピアニストの指が、人間だった部分を次々に食い破り、食いちぎり、裏返り破り捨てて


 気づいた時には眼の前に巨大な黒いうごめきが屹立していた。のこぎり状のあごが左右にぐわりと開く。人の腕ほどもある大あごの中に無数の牙。開いた口の奥まで見えた——


 その奥に、かつて人間だったものの頭が生えている。


 大あごがギロチンの音を立てて閉じた。無意識に振り上げたマシンガンの先が緑色の煙を上げてずるッと溶けた。飛び散った酸にやられたのか。地面が溶ける。


 おもわず機関銃を取り落とす。手袋が蒸発していた。


 瞬間的に吹き出した「恐怖の波形」をノイズカット。それでもキャパオーバーした脳内をぎざぎざの異物が這いずりまわっている。


 消しても消しても恐怖が精神を削り取ってゆく。


 逃げようとして溶けた酸に足を滑らせる。のけぞって地面へ倒れ込んだ。反射的に手をついた。焼けつく痛みが肩まで走り抜ける。


 右の手のひらに黒い異物が突き刺さっていた。


 即座に予備の拳銃を左手で引き抜いた。引き金を引き続けて、右手を自ら撃ち抜く。手首から先がミンチになって吹っ飛ぶ。


 ちぎれ飛んだ手首を踏み潰した。だが出血と苦痛に耐えきれずおさえた手の傷から黒いものが——


 動くものがまだぶら下がっている。


 胃の中身が裏返る。恐怖によろめきながらヘルメットに手をかけた。いっそ01アルファのように喰われ——になってしまえば——


 頭では絶対の拒否と否定。無数の警告が半鐘の乱打となって脳内を真っ赤なパニックの色に染めているというのに、血まみれの手が勝手にヘルメットをもぎとろうとぶざまにもがく。


 息ができない。


 腕から首へ、首筋からこめかみへ、何かが一気に皮膚を食い進んでくる。眼球の神経を喰いちぎられる感覚と同時に世界の半分が暗転——


 とん、と。


 裸足の誰かがどこかから飛び降りてきた。

「ありゃまあ、《両刀使いダブルアンキハータ適合者レシピエント》言うても、案外大したことないんやなあ」


 奇妙に余裕たっぷりな幼い少女の声が少年の頭上から降った。たなびく炎の色の髪が眼の隅に躍る。


「ほな行くで。しっかりつかまって」


「だめ、だ……ルカが……!」


は、もう、


 少女は声を押し殺した。少年は首を激しく振る。認めない。絶対に。そんなこと——


「今は生きのびることが先決や。がな」


 だが最後まで聞くことはなかった。少年はとうに意識を失っている。赤い髪の少女は苦笑いし、力の抜けた身体を片手で抱きかかえた。


「まったくもー、ってホンマめんどくさいなー」


 人間離れした跳躍力で高々とジャンプ。その場から急速離脱する。

 ヘルメットが脱げて地面に転がり落ちた。その、わずかな衝撃を検知したのか。粉塵の中で赤黒い影がのたうち回る。黒光りする牙がヘルメットを嚙みくだいた。



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