「チューリングテスト」とは、「ある機械が人に近い振る舞いができるかどうか」を相手が機械であることを伏せられた人間に判別してもらうテストのことだ。「機械であること」がバレなければ、その機械はテストに合格したことになる。
この物語がSFというジャンルであれば、主人公と長年接してきた友人らがどこかのタイミングで恵子がAIであることを知る、みたいな展開になってたかもしれない。
恵子は、コンビニという閉鎖システムの中で蓄積させてきた顧客の行動データから割り出す売上最大化の最適解の総和を形にしたような人物。共感というセンサーが働かない以上、周りの人たちが特によく見せる振る舞い(中央値)をトレースして「人間らしく」みせようと努力している。まんま「チューリングテスト」だ。シチュエーションが限定された狭い閉鎖空間でだからこそ、「らしく」振る舞い切ることができるが、自由度が高すぎるコンビニの外ではボロ(外れ値)が出てしまう。
でもなんだろう、このモヤモヤする読後感は。最後まで登場人物の誰にも共感できなかった。誰にとっても救いがなさすぎる。主人公だけでなく、登場人物のどの人も「全身ギプス」を嵌められてるかのようだ。そういう意味ではコンビニという閉鎖空間に最適化した恵子と、「昭和的価値観」に最適化した女友達も同じ構造と示したかったのかも知れないが、行動指針の極表面的な部分だけをなぞっている感じがする。
こんなに日本社会は生きづらいかなぁ。息が詰まってしまうムラ社会ばかりかなぁ。そんなに昭和的な常識は、今も「外れ値」を排除しにかかるほど力を持っているものかなぁ。
- 感想投稿日 : 2022年5月17日
- 読了日 : 2022年5月16日
- 本棚登録日 : 2022年5月16日
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