世間のみなさんのほとんどは、松尾貴史という人物をきっとどこかで見ていると思う。最近は、映画やドラマ、舞台に引っ張りだこなので「この人ですよ」と言えば「あぁ、この人ね、はいはい知ってます」となるに違いない。しかし、言わなかったら「マツオ? タカシ?」という反応かもしれない。それでいい、そういう存在なのだ、松尾貴史は。
実際〝松尾貴史〟というのは芸名なのだが、まるで本名のようだし、いかにも松尾貴史としてそこにいる。
24歳の時に〝キッチュ〟という芸名でデビューし、松尾貴史になってからも、愛称はキッチュ。その意味は、本来「悪趣味な」「安っぽい」というネガティブなものらしいが、たとえばファッションの世界では「俗悪だけど魅力的」「素敵な抵抗感」というような意味で使われるので、まさに松尾貴史らしい愛称だ。
僕とはひとつ違いの同世代で、20代の頃は関西(主に大阪)を根城に活動していたので、その名と顔を知るのは必然だった。1980年代、いわゆる〝小演劇界〟は盛り上がっていたし、テレビやラジオでは、バカバカしい上質のコントが量産されていた。そんな時に、中島らも率いる劇団の一員として毎回トリッキーな芸を交えた芝居を披露したり、ミラクルボイスを駆使した「聴くコント」のアルバムをリリースしたりと、当時の最先端の〝おもしろ〟を送り出していたのだった。