罪と無力
今となっては遠い記憶だが、デリザスタが生まれて少しぐらいまではなんだかんだ楽しかったと思う。
いつもすぐ側に兄弟がいて、セルと世話役に何不自由なく面倒を見られていた。それなりには幸福だったと、そう言えたはずだ。
出来がいいと撫でてくれるし大切な存在だと何度も言ってくれるお父様。
実学・教養・魔法と城の中だけでは知れないことをいっぱい教えてくれるお父様。
大好きな兄弟たちを守ってくれるお父様。
…他人を殺し騙し搾取するという生きる術を教えてくれるお父様。
お前たちが大事だからといって雁字搦めに監視と行動制限の魔法を掛けて兄弟を引き離そうとしたお父様。
初めて本気で逆らった一つ上のファーミン兄者を不要として切り捨てようとしたお父様。
優しく強いドゥウム兄者の両目を抉って廃人寸前になるまで拷問し飼い殺そうとしたお父様。
少しずつ不穏なものが混ざっていった日常が、完全に決壊した日だった。
「俺は、弱いな。お父様に逆らってもっと弱くさせられた。…これでは到底足りない。」
目を潰された長兄は回復してから強さへの執着を深めるようになった。
「お父様を殺したい。何を切り捨ててでも、俺はお父様を殺す未来を勝ち得なければならない。」
一つ上の兄はお父様への憎悪だけで心の全てを塗り潰してしまった。
「体調?もう治ったから大丈夫だよ〜。これからオレパーリーってのやってみるんだよね。今この瞬間だけを楽しむんだってさ。」
弟は仕置きの大半をぶつけられ未来のことを考えることをやめてしまった。
自分は、何もしなかった。
お父様がその圧倒的な魔力を失えば、もしかしたら自分たち兄弟で太刀打ちできるのではないか。
そんなあまりにもか細い可能性に縋って、半ば現実に背を向けるように研究室に閉じこもり…挙げ句、無辜の人々を貶めるために使われた。
ポッキリと、自分の中の何かがそれでへし折れてしまった感覚。
今でも鮮明に、覚えている。
そのまま状況は変わらず、抗いながらも少しずつ歪んでいく兄弟たち。ことあるごとに愉しそうに他の兄弟に仕置きをするお父様。
時折外出して命令通り他者を傷つけ殺す度に感じる底無しの虚無感。
いつかの仕事帰り、城に帰るのが嫌でプリンを買いに寄り道をした。半日歩いて何ヶ所も梯子した。どこも知らない人々が笑い合っていて、城以外の居場所はどこにもないことを突き付けられた。
転移魔法で城に帰るため、薄暗い路地裏に入った。路地裏はゴミや汚れが放置され、光も届かない。
楽しそうな声に惹かれて振り返ると、幼い兄弟がふざけ合いながら走っていくのが見えた。あの子どもたちは強くないし魔力も大したことがなかった。
器として消費されることも、仕置きで自分じゃなく他の兄弟を嬲られることも縁がない人間だった。
戦闘と魔法の才能と技術ばかり持たされてまともな人間としての生を与えられない自分たち兄弟とは、全く違う存在だった。
うまく命令を達成し褒められる度に無力感に苛まれた。努力を重ねて知識や強さを得るほどお父様との圧倒的な差を思い知らされる一方だった。
所詮生まれてからずっと何もできない籠の鳥。雑魚を殲滅した程度で優越感に浸るなんてできるわけもない。
だってそんなものでは兄弟たちの平穏は得られない。プリン──幼少期の記憶の象徴がなければ現実に向き合えない弱い自分でも、兄弟を差し置いて承認と嗜虐に溺れることだけはできないから。
大好きな兄弟を目の前で痛めつけられる痛みにだんだん慣れて日常の一つとしか感じなくなっていく絶望と恐怖。
味を失い表情を失い、痛みすら失った身体はどれだけ傷つこうと何も望まなくなっていた。デリザスタはあんなにも日々痛めつけられて、それでも笑っていられるのに。
兄弟という楔を失えば、その時こそ自分はお父様の従順な傀儡に成り下がってしまうのだろう。
多くを殺し、奪い、見捨ててきた人生だ。命令に従って多くの人々から魔力も尊厳も命も財産も奪ってきた。
末路はお父様に処分されるか魔法局相手に戦死するかだろう。全てを失い誰に庇われることもなく壊される結末が当然だ。そも自分はそのように作られたのだから。
…それでも、兄弟たちが自分と同じような無様な終わりを迎えると思うと、救いを望む感情がまた息を吹き返してしまう。
せめて、まだ若い誰も殺していないドミナだけは。
名前を付けられることすらなく赤子のうちに失踪した末っ子は。
なんとか、逃げ切らせて、やりたい。
そんな切望を抱えて、エピデムはギチリとスプーンを噛み締めた。
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たぶん原作にちょっと近い時空の2〜4年前