この後抱きしめて背中を撫でていたらすぐに寝落ちた

この後抱きしめて背中を撫でていたらすぐに寝落ちた




マゴル城、イノセント・ゼロの2番目の子であるファーミンの自室。

部屋の主が力なく横たわる広い寝台に、臨月らしい大きく腹の膨らんだ少女…姉のドゥウムがゆっくりと近づく。

カチャリ。シンプルなナイトテーブルにドゥウムがバイザーを置く。隠されていた両目に嵌め込まれた白い義眼が露わになった。

ベッドに腰掛け、ファーミンの頬に触れて様子を覗き込む。


ファーミンは昨日子を産んで大量出血を起こした後、まだ意識を取り戻していない。

13歳の少年による妊娠・出産など、あまりに負担が大きすぎたのだ。

だが、彼らの父親たるイノセント・ゼロにとってはそれが目的ですらあった。


消耗して寝ているところを起こしたくはない。

でも、なんでもいいから何かしたくて、何をすればいいかわからなくて、年子の弟に語りかけた。


「弟の名前はドミナになったぞ。」


返事も反応もない。わかっていた通りだ。

するりと顔を撫でる。頬、唇、瞼、鼻。いつもより熱く、乾いている。


「ファーミン。……ファーミン。…ちゃんと、生きているな。」


脈拍は安定している。発熱こそあるが、精々38℃になるかどうかだろう。

このくらいなら大丈夫。そんなことはわかっている。


ちゃんと、事実を確かめるだけの乾いた声を出せているはずだ。

懇願の響きや震えを迂闊に出せば利用されることぐらい、何度も分からされてきた。


膨れた腹を内側から蹴られる。ドミナの下になり得る兄弟がここに生きているという実感。

…女である自分の価値を、あの父は一体どう見ているのか。

しばらく黙って弟の頬を撫でていた。


「…あね、じゃ。」


掠れてくぐもった声が突然返ってきて思わず力が抜ける。

起きたか、と声をかける。


「お前だと、特に出産は危険が大きい。よく頑張った。」


死んだら、あるいは生きていても『使いものにならなく』なったら、処分されてしまうから。


「本当に、お前の声が途切れたときは…怖かった。」


あの時は本当に息ができなくなった。

エピデムが城に残って隣にいてくれなかったら、堪えきれずに暴れ出していたかもしれない。





頬に当てられていたドゥウムの手が離れてファーミンの手を取った。この手にかつてあった剣ダコは、妊娠して9ヶ月が経った今ではほとんど消えてしまった。

細く柔い少女のきれいな指がファーミンの手のひらを滑る。


姉は盲目だから目が合わない。

だから、顔を背けたくなった時にも、ファーミンは目の逸らしようがない。率直な言葉と安定した声色は、どんな時も真っ直ぐに届く。

数年前、自分がお父様に逆らった罰として一つ上の姉は目を潰された。ドゥウムの振る舞いは以前からだんだん変わって、気配に聡くなり声音と手が雄弁になった。

…抵抗する激しい物音とお父様の愉しそうな嘲笑、弟たちの泣き声とドゥウムの押し殺した呻き声は今も脳裏に焼きついている。


心配されるたびに、いつもいつも感じる。自分は兄弟たちにそんな顔をさせていい存在なんかじゃない。

今回もそうだ。自分に与えられた仕置きの結果にすぎない。そのせいで大事な姉にこんな顔をさせてしまった。

嫌いだ。許せない。

自分たちを笑いながら虐げるお父様も、無力に倒れて結局お父様に服従している自分も。

湧き上がった憎悪に増幅され、露悪的な本音が零れる。


「…無事に産んだよ。お父様の、5つ目の心臓。」

「……弟とは、思えないか?」

「身籠ってすぐにドミナを殺しておくべきだった、と思う。」


虚を突かれたドゥウムの眉が上がった。

ファーミンの手をゆるく握っていた指先に僅かに力が篭った。


「僕じゃ守れないから。姉者もだろ?」

「…そうだな。」

「こんなとこ、生まれてこないほうがよかったろうな。」

「…そう、だな。」


手から力が抜けた。

…ドゥウムにそんな顔をさせたいわけじゃなかった。


「僕も。…少しでいいから、ドミナの世話をしたい。一番大事な弟なんだと思う。」

「掛け合ってくるよ。それぐらいは許可されるだろう。」

「…いらない。今は、ここにいてくれないか?」


明日ぐらいまではドミナの検査と調整で立て込んでいるだろう。重要性の低いことでお父様の邪魔をしたら、『お戯れ』が降ってくる。

気に入られているドゥウムならばどうにかなるだろうが、それでも。


「夜までならいられる。エピデムはさっき寝かせたばかりでしばらく起きないだろうが、デリザも夕方ごろには帰ってくる。」

「エピデムまた徹夜か…しょうがないやつ。」


エピデムは自室やドゥウムの部屋で行き倒れていることがある。健康に悪いというのに気付けば寝食を忘れているらしい。

吐息だけで笑むと、その気配を察知して微笑んだドゥウムに撫でられた。いつもの慣れた手つきが心地良くて目を細める。

姉に撫でられると力が抜けてしまう。知らず知らず強張っていた全身が緩められ、息を吐いた。




ドゥウムはいつも通り、幼い頃セルにやってもらった通りに弟の頭を撫でた。すとんと肩の力が抜けた気配がわかりやすい。

かわいいやつ。自分が光を失う前に見たのと同じ、猫の子のように目を細めた顔をしていたらいい。

ファーミンの伸びた髪がさらさらとドゥウムの指の間を通るのが楽しい。

この子は去年身篭るための調整がはじまって以降、髪の手入れをしていない。ぐったりと伏せっていることが多かったから。

もとよりファーミンのスキンヘッドは諜報や暗殺の任務に便利だからという、実利的な理由によるものでもあった。

ずっと魔法の枷を付けてマゴル城の中に押し込められていたから、整える必要がなかった。



身体から力を抜いたファーミンがぽつりと呟いた声が、嫌に大きく響いた。


「…ごめん、ドミナ。」


自分にもファーミンにも、下のエピデムとデリザスタの前では見せられない顔がある。

シーツにギュッと食い込んだ指。消え入りそうな声。随分と痩せて筋肉も落ちた身体。


何か言うべきだと思った。

何も言えることがなかった。


だからドゥウムは黙って頬を掬い。


大好きな弟と、そっと唇を合わせた。







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