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■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(2/6)

■大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(2/6)

(冒頭のイメージ画像 は、https://www.pinterest.jp/marekassti/wallpaper-japan/ より転載)

<注>当記事は「ブログ(↓20210110-toxandoria.hatenablog)」の内容を6パーツに分けたものの(1/6)ということです。お数ですが、当記事の画像は、下のURLでご覧下さい。 https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440 (前編)
https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801 (後編)

[当記事の目的]

Fiduciary (Fiduciary Duty)が「オミクス生命論の『自由の知』」へと、ある意味で必然的に深化しつつある欧米の流れ(歴史・現況・展望)の概観が、当記事の主な目的である。 特にフィデュ―シャリー(Fiduciary)に関連する部分については、随時、記事の中で詳述する。なお、「オミクス生命論の『自由の知』」(宇沢弘文の『社会的共通資本と不均衡動学』)については[6-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本』の共鳴]で詳述する。

<注>Fiduciary Duty とは?(ひとまずの意味)

・・・米国の法律では非常に頻繁に出てくる用語で、一般的には米国憲法上の概念とされる概念である。しかし、Fiduciaryに は日本語の統一的な訳語が存在しない。そして、そもそもFiduciaryは「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」という2つの意味が併存する(法的な概念)である。Duty of Careは「同様のポジションにある場合に、委任された人の職業・専門家としての能力・社会的地位などから考えて、通常期待される善良な義務を負うべき立場の方の人が、より選択すべき可能性がある方法で奉仕すべき義務」ということなので、これは既成の「善管注意義務」(善良な管理者の注意義務)の訳語が対応する(日本では民法644条にある)。「Duty of Loyalty」は、「自分の利益を後回しにしてでも忠実に、当然あるべき義務を果たす」(言い換えれば、大きな自然環境の下で、たまたま希少な生命あるヒトの親という立場に置かれた自分として、当然果すべき役割と考えられる親としての義務を果たす、ということ)である。例えばFamily Lawの世界では、親は未成年の子にFiduciary Dutyを負っているので、自分の身の危険をかえりみず子の安全を守るべきだ、ということになる(参照:山本法律事務所HP)。 https://yamamotolaw.pro/fiduciary-duty/

・・・

・・・ここから(2/6)のはじまり・・・

2 ダン・ザハヴィ『無媒介的認知的自己意識(先反省的自己意識)の重要な意義! それは普通の人々の内心の奥底に潜む❝無限背進の闇❞への誘惑、ということ

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『レンブラント『ペルセポネー(クーラ)の略奪』…Rembrandt「The Rape of Proserpine1631」oil on oak panel 84.8 cm× 79.7 cm . Gemäldegalerie der Staatlichen Museen zu Berlin /Persephone=Cura、http://urx.red/GFBR 

(人間的かつ悪魔的という意味でH.アーレント(リベラル共和主義)に大きな影響を与えたハイデガーのゾルゲ(気遣い、思い遣り、関心)について)

・・・クーラ(ペルセポネー)寓話・・・

ハイデガーの著書『存在と時間』では、その第42節「現存在の前存在論的自己説明に関わる“気遣い、思い遣り、関心(Sorge)”としての現存在の実存論的解釈の確証」のためとして、古代ローマ人ヒュギヌスが伝える『クーラ寓話』(そもそもはギリシア神話)が示されている。なお、ハイデガーのゾルゲ“気遣い、思い遣り、関心(Sorge)”は、この物語の主人公クーラをも連想させるドイツ語である。以下に、その物語の概要を『関本洋司のブログ、http://urx.red/GFBR』より転載させて頂く。

・・・昔、クーラ(ペルセポネー、豊穣の女神デーメーテールの娘/気遣い、思い遣り、関心)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。

・・・クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前であるユピテルがあたえられるべきだ、と言った。

・・・クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前テルスこそそれにあたえられるべきだ、と求めた。

・・・かれらはクロノス(時間/ローマ神話では農耕神サトゥルヌスと同一視される)を最高裁定(審級)者に選んだ。そしてクロノスはこう判決した。ユピテルよ、お前は精神(収穫の精華)をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだ(死せる肉体)を受け取りなさい。さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このもの(生きている肉体)を所有していなさい。

・・・ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homo(→ホモサピエンス)と呼ばれてしかるべきであろう。

(知的“略奪”か“倫理”か?の両義性でリベラル共和主義の擁護者たるH.アーレントに大きな確執を与えたハイデガー“ゾルゲ(クーラ)”(気遣い)の問題)


ハイデガーは、クロノスが象徴する「時間」の支配的役割を重視しており、『クーラ寓話』の中でサトゥルヌスにも似て魔術的とも言える抗い難い強い力をクロノスに与えることになった。なお、ハイデガーの現象学は、一般に外見・相貌・位置・形状などの変化で時間を知覚することから、“エイドス”(形相)いわば視覚”重視の哲学・現象学とされる。

そのため、ハイデガーには<カール・ヤスパースの共和的・人道的倫理観(異者協和的でプラトニックな精神)>、および<M.アンリの「情感(生)の現象学」とは対照的であり、かつ略奪者(アブダクション)的で生命論的・両義的・魔術師的な空気が漂っいる。そのためか、これら二人の知的巨人に師事したH.アーレントは、彼らの両義性の下で大いに悩み抜き、遂には激しい確執の泥沼に飲み込まれた。

<注>アブダクション(abduction)

・・・原義は略奪・拉致で、仮説形成とも訳される。米国の哲学者パース(C.S. Peirce/1839-1914/プラグマティズムの創始者)がアリストテレスの論理学をもとに仮説形成(abduction)を提唱し、帰納法、演繹法と並ぶ第三の推論法として新たな科学的・哲学的発見等に不可欠と主張した。

・・・

当然ながら、真理探究の魔術師であった巨人ハイデガーの広大な視野には「宇宙的な意味での全世界のなかに必然性として潜む魔術的・悪魔的なもの(権力的暴走、ファシズム、戦争、テロ、殺人、破壊願望、猟奇性などのことごとくが)、つまり一切の“悪”が入っていたと考えられる。

因みに、このハイデガーのゾルゲ(Sorge)の一般的な理解は「生活環境や過去・現在・未来をも含む凡ゆる内外の環境と自分以外の存在者としての全世界に対して、その世界内存在としての人間が関心を持ち、それらを深く気遣い思い遣りつつ関わり続けること」とされており、又そのような意味で、世界へ如何に気遣いしつつ関わるかで人の生きる意味が異なってくることについてもハイデガーは論考を深めたと理解されている。

・・・

・・・それは、あの<生態学的システム論>について語るブロンフェンブレンナーの「テロリストの心の中を知りたければ、まず私たち自身の心を見つめることだ」という言葉(既出)を連想させる。いわば、その<過激化した「歪んだ正義」という重力(激しい内なるサタンの誘惑)>をさえ暗示するブロンフェンブレンナーの言葉は、デンマークの現象学者ダン・ザハヴィの<無媒介的認知的自己意識(先反省的自己意識)>の問題を想起させることになる。更に言い換えれば、それこそ我われを含む、ごく普通の人々の内心の奥底に潜む❝底知れぬ無限背進(後退)の闇❞の正体である。・・・

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つまり、この恐るべき❝無限背進の闇❞は決して少数派と見なされているテロリストたちの“特権”ではあり得ないのである!それどころか、この❝無限背進の闇❞(目下はやりの分かり易い日本語で言えば❝無限背進(無限後退)の鬼神?❞)の問題は、内心(生命個体たるヒトの内なる大自然のコア、いわば"原因の空間")に潜むエルゴン(そもそも善・悪の価値観とは無関係な自然の本源的ダイナミズムと生命活動(生命論)の関り、又はホッブスのリバイアサン(レヴィアタン)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/12/02/063303)の問題にも繋がると考えられる。

<注>無媒介的認知的とは?

・・・言語等の意識的コミュニケーション介在が存在しない次元において、いわばそれ以外の多様な回路でエトノス環境(❝原因の空間❞、又は"理由の空間"である自然・文化両エトノス環境)の影響下にある、無意識等の認知作用のこと。

<注>エルゴンとは?

・・・エルゴン(ergon/死静態・潜性態・潜在性)は、ヒトの内心(および社会関係あるいは自然との関り)の中で普段は休眠状態(死静態)にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的性質をもつ情念・表象または何らかの複雑な関係性(オミクス論的に見れば生命活動の一部たる"原因の空間"とも言える)を意味するのに対し、それがリアル活性化すると「±」両者(又は中間的な性質)の何れかを表現する表象的・言語的なヒトの意識活動など、いわば"理由の空間"となる(委細は後述するが、その初期のフェーズでは未だに善・悪の区別などは不明瞭と見るべきであろう!)。

・・・つまり、ヒトの『日常』(日々のリアル生命活動であるエネルゲイア=現勢態・可動態)は、「エルゴン(死生態/潜性イノヴェーション)⇒ デュナミス(プレ・エネルゲイア)⇒ エネルゲイア(現勢態・可動体)⇒ エンテレケイア(未生態/理念・理想のフェーズ)」のプロセスに支えられていることになる。https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/06/06/162034

ダン・ザハヴィ(Dan Zahavi/1967‐ /デンマークの哲学者・現象学者)は、著書『自己意識と他性/現象学的探求』(叢書ウニベルシタス)の原著(1999)でコペンハーゲン大学教授の資格を得た、現象学的「主観性」研究の分野で世界をリードする研究者である。

ザハヴィは、M.アンリの実質的現象学(情感の現象学)を高く再評価している。更に、近未来を見据えるザハヴィは、無意識、催眠、記憶、倫理学・美学(レヴィナス、ガダマー、ディーター・ヘンリッヒなど)、先端AI研究、脳科学などもその視野に入れている。

また、ザハヴィの著種『自己意識と他性』(叢書ウニベルシタス)を翻訳した中村拓也氏(同志社大学文学部准教授)の同書“あとがき”によれば、特にザハヴィの<無媒介的認知的自己意識(先反省的自己意識)>は、往々にして哲学的思考などで見られる難解な概念の捏造ではなく、それは体験的な偏在性として誰にでも日常的に起こり得る主観的「自己—顕現」(個々人の内感の場における自己覚醒)の問題、つまり個々人の「主観性の核心」を抉り、それを『感情の現象学』的な立場で説明し得る堅牢な言葉である。

例えば、近年、世界的に問題となってきたネオ・ナチズムなど極右政治勢力(欧米各国の極右派、米国におけるトランピズム(歪んだ正義)、日本における日本会議(周知のとおり、それは靖国顕幽論の取り戻しと国家神道への回帰を謀る菅自民党政権の守護神!)などが急速に台頭しつつある政治状況の深層には、M.アンリの「情感の現象学」のテーマとも深く関わる問題が潜む可能性があり、特にザハヴィの「無媒介的認知的自己意識」が重要なテーマとして注目されている。

そもそも"原因の空間 or 理由の空間"(この場合は内的なエトノス環境)における「前反省的自己意識(prereflective self-consciousness/ザハヴィの言葉で言えば無媒介的認知的自己意識)」は、<自己自身はそれを意識していないが前意識(無意識・深層意識)は自己を確実に志向(無意識に意識)していると思われる状態>を指す。

つまり、フッサールの用語で言えば前反省的自己意識はノエシス(考える作用そのもので、それを意識しているか、あるいは意識していないかの別は問わない)である。因みに、考える作用の対象となる概念がノエマ(例えば、上で挙げたエンテレケイア(永遠に未達の理想・理念)など)である。

従って、この「無媒介的認知的自己意識」は、<ヒトには“自らの破滅をももたらしかねない自己破壊的リスクとエントロピーを増加させる自滅(無限背進・後退)型のマイファースト利己主義(Ex.トランピズム等)への没入、あるいは自然&文化破壊、歴史修正主義(時間性の錯乱)、ファシズム、殺人、テロ、復讐先取(@カズオ・イシグロ)、猟奇・残虐嗜好などへの激烈な衝動をもたらし続ける前意識の系譜(エス/das Es)”が普遍的に存在している可能性が高い>という、非常に厄介な事態(現実)を示唆している。まさに、これは内なる「ホッブスのリバイアサン(レヴィアタン)」である。

そして、それこそが権力者を“政治権力の暴走”へ誘導するリスキーな情念をもたらす根源(根茎)と言えるのではないか? つまり、これこそが<過激化した「歪んだ正義」という重力(激しい内なるサタンの誘惑)>ということになる。従って、そのような視点から見れば、スガ・アベらの日本会議フリーク政治、トランプ(トランピズム)、金正恩らの暴政は紛れもなくこの様な意味で「魔術(悪魔)信仰」による「歪んだ正義」を振りかざす暴政のジャンルに入るだろう。

<注>「無限背進・後退」については、下記★の関連記事(特に、リアリズム法学、米最高裁オリジナリズム判事、の部分)も参照乞う。

★第二ゲームチェンジャー!ポスト資本主義を創る協同プラットフォーム/中世コモンズ: GAFAに問う革新的伝統で[ No time!→ We have Time! ]の逆転が可!その心はAI「情報」と「協同組合」の結合 et 外界の思考!/付:リアリズム法学、米最高裁オリジナリズム判事、他 https://note.com/toxandoria2/n/nf511803822cd

・・・ここで(2/6)はおわり・・・

(1/6)はコチラ↓にあります。https://note.com/toxandoria2/n/n2d2245347857

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