🎲⚓︎でジョジョの存在しない新作を考える

1986年 8月15日

大西洋上空

時刻──正午。

それはジョースター家の令嬢・明星と、無理を通して休みを作った彼女の父母、そして数人の執事が、祖母の誕生日を祝うためプライベート・ジェットに乗ってイギリスへと向かっている最中の出来事であった。

祖母はまさしく聖女のような人物で、寝たきりの状態だとは思えないほど強い意志と、人を思いやる優しい心を持っていた。彼女の腰がまだピンッと伸びていた頃、イギリスと日本は敵対していたが、今はそうではない。彼女は自国民が殺したであろう日本人の英霊を思い、8月15日──つまり今日この日の正午は必ず、黙祷をするように家族に言いつけていた。

明星も父母も執事らも彼女を尊敬していた。それ故に皆彼女の言いつけを守り、パイロット以外の全員が目をしっかり閉じて黙祷をしていた。

その時だった──突然機内に現れた謎の六人組によって、プライベート・ジェットがハイジャックされたのは。

「放せッ！」

明星は盗賊団のリーダー──『エース』と呼ばれた人物に拘束され、自由を奪われていた。190センチ弱の大柄な体躯と鍛え上げられた肉体に12歳の少女が勝てる筈もなく、抵抗は無駄でしかなかった。

「放せッこの野郎ッ！ 金が目的なんだろう！？ そんなもんいくらでもくれてやるからさっさと放せッ！！！」

「……あのなァ嬢ちゃん。ヒグマがせっかく捕まえたサケから『卵をやるから助けてくれ〜』なんて言われて情けをかけてやると思うか？ 思わねェだろ。まだまだ嬢ちゃんは若いから知らないかもしれないけれどさァ、この世は弱肉強食！ 弱者は食われるだけなんだよ。分かるだろ。つうか分かれよな。それともサケがヒグマに勝てるとでも？ ッハハハそりゃ面白そうだ。やってみろよ」

言いながら、エースは明星の首を絞める腕に力を込めた。

「ッ……」

「お……、嬢ッ……、様ァッ……！」

頭から大量の血を流しながら、執事は起き上がり、エースを睨みつけた。既に折れている足で無理矢理立ち上がり、ラグビー選手のような体勢で突っ込んだ。

「ハハッ何だお前。それで『抵抗』のつもりか？ スタンド使いはスタンド使いでしか倒せない──コーラを飲めばゲップが出るのと同じくらいトーゼンの事実だぜッこれはよ」

「スタンド……？」

明星はその言葉に聞き覚えがあった。彼女の遠縁にあたる資産家のジョセフという人物と食事をした際に、そのような話を父母としていたのをなんとなく覚えていたのだ。

「分家とはいえジョースター家ならスタンドくらい知っているだろうと踏んでいたが、その様子だとそうでもないらしい……。拍子抜けだぜオイ。全く『やれやれだぜ』って感じだ。いい機会だ。実際に見せてやるよ──どうせお前らには見えないだろうが」

エースには他人を見下すことでストレスを発散する悪癖があった。今回もその一環のつもりだった。自分だけが『スタンド』を知っていて、周囲のこいつらは何も分からず何も見えないままに死ぬ──その優越感を楽しむ。それだけのつもりだった。

「──『ガン・エレファント』」

エースの右腕の周囲に、形容し難いエネルギーの発光を視認した後──それが奇妙な形に収束してゆく過程を、明星は余すところなく認識していた。

派手な対戦車ライフルのような外見。ただしマガジンは無い。銃身にあたる部分は象の鼻のような形状で、ヒュ〜……、ヒュ〜……、とまるで生きているかのように空気が出入りしていた。

「じゅっ……、銃……！？」

「……なに！？貴様『視える』のか。やれやれ。ジョースター家はみんな『そう』なのか？……手足をブッ飛ばしておくだけで済ませてやろうかと思っていたが、こうなっちゃあ仕方ない。念の為──キッチリ殺しておかなくては」

明星は咄嗟に執事を見た。

「視えないのッ？」

「え？ あ、えぇッ、何にも見えませんが」

視えているのはエースと明星だけらしい。

あの『鼻』はまずい。そう直感した明星は先ず、拘束から脱するため、自身の首に回された太い腕に噛み付いた。

が、小さく震えたのみで、まるで動じない。明星は別に咬合力において秀でているわけでもない。それに相手は大の大人。それも鍛えている。抵抗が無意味であることは自明の理だった。

「キスしてくれるのかい？ 可愛いねえ。だがラブ・シーンはおあずけだ。今からあの執事と、そうだな──嬢ちゃんのお父様とお母様にも『ご挨拶』しなきゃあならねえからな……」

「──！」

言葉の意味を即座に理解した明星は、最速でその拘束から脱するため、冷静に、しかし素早く思考し、行動した。

（この状況から『自由』になるにはッ──相手の腕に『全体重』をかけ──肘の方向に顎を向けて『呼吸』を確保し──『アバラ』に肘打ちして『足』を踏むッ──！）

身長からして足は届かなさそうだが──。

失敗！

首を絞める力がより強まる。

「……嬢ちゃん。あんまり大人を舐めないでくれるかな。俺はこう見えて元軍人──もう70手前だが、嬢ちゃんみたいなのに負けるほど衰えたつもりは無い」

「クソッ……！」

スタンドの『鼻』が息を大きく吸い込み膨らむ。机上にあったボールペンが吸い寄せられるように動き、『鼻』の『穴』に吸い込まれた。

「装填完了」

「ボッ、ボールペンがっ、ひとりでに動いて……！？」

ローズマリーは動揺している。当然だ。彼女に見えているのはあくまでボールペンだけなのだから。

「先ずは執事だ──特等席で見せてやるぜ、お嬢ちゃん」

「てめえッ──！」

やるしかない。

明星は覚悟を決めた。

銃を持っているエースの腕──自分が負傷することを承知した上でこれに頭突きし、無理矢理軌道をずらさなければ！

明星の頭突き──それはエースにとって大したダメージにはならない──筈だった。だがその頭突きを軽減しようと、自ら胴を押し付けて衝撃を分散しようとしたのがいけなかった。逆効果だった。拘束が緩んだことである程度自由になった明星の頭は、彼女自身にとっても予想外の場所へと突っ込んだ。

その場所とは──胸。

エースが首を絞めるように拘束していたせいで、宙に浮くような体勢になった明星の肉体から鞭のように放たれる、強烈な頭突き。その衝撃は頑丈な胸筋すらも貫通し──その奥の心臓にまで到達した。

「ぐうッ！？」

双方がもつれるようにその場に倒れる。エースのギッシリ詰まった筋肉の重みと、明星の全体重が、彼の腕に伸し掛る。

ミシリ、と。

古木が朽ちて折れるような音がした。

「……グゥゥゥァァァァァッ……！」

「お嬢様ッ！」

ローズマリーの血塗れの顔がパッと明るくなるが──但しそれはほんの一瞬だけ。

即座に絶望の色に染まった。

エースのぐちゃぐちゃの腕が──そしてそれに重なるように存在している『ガン・エレファント』の銃口が──ローズマリーに向けられていた。

「魚の餌になりやがれェッ──！」

「マリー！」

即座に明星が駆ける。

自らが盾となるために。

それぞれの体勢が変わったことで──発射されたボールペンの軌道上に──水色の瞳が重なった。

奇跡的に──ふたり共助かった。

ただ、失明はしなかったとはいえ──ボールペンは確実に明星の目の周辺を掠めた。

「い──た──い──ッ……！」

「お、おじょ、お嬢様っ、目っ、目はっ、えっ、ええとっ」

目を抑えて蹲る明星を前に、ローズマリーは慌てふためくばかりだが、彼女も血塗れな上に足が折れている。明星の傷を手当てする余裕は全く無かった。

対してエースはというと──ぐちゃぐちゃになった片腕の痛みが、ドーパミンによって軽減され始めていた。

「……ッハハハ！ おかしいな。逆だろーがよッ。なんで主人の嬢ちゃんが執事を守ってんだよ。逆、だろうが……。真逆だろーがよォッ！」

エースはとうとう理性が働かなくなってきた。

「俺は『逆』のものは大ッ嫌いなんだよォーッ！ 昔ッからそうだった！ 金を納めるべき銀行で『逆』に金を奪う強盗をてめーらが嫌うようにッ！ 頭を『逆』にして天井からブラ下がるコウモリが嫌いだったッ！」

「……？」

70手前の巨漢が餓鬼のように喚くその異常な状況に、ローズマリーは圧倒されていた。滅茶苦茶だと思うのと同時に、身を呈して自分を守ってくれた主人が侮辱されるのが腹立たしかった。

ただ──その『主人』はというと。

その場から──いつの間にか消えていたのである。

「──え──」

「──な──」

「「──なにいいいィーッ！？」」

執事と犯罪者の声が重なった。

「貴様ッ──お嬢様を何処へやった！」

「こっちの台詞だッ！ ああ畜生、折角の人質が……！」

狼狽えるエースを他所目に、ローズマリーは主人の影を必死に探しつつも、不思議と安心していた。

これでお嬢様は殺されずに済む。

死ぬのは私だけでいい。

エースがそんな思考を理解出来る筈も無く、ぐちゃぐちゃの腕を無事な腕で必死に支え、銃口を向けた。

「言えッ！ 貴様の主人を何処へやったッ！ 言わんと殺すッ！」

象の鼻にボールペンが装填される。

その光景を、ローズマリーはつまらなさそうに眺めていた。

「……」

「……ぃい言えッ！ 死にてーのかッ！ てめーはッ──はぁッ！？」

直後。

瞬きする間に──執事も消えていた。

「……間違いない……。スタンドだ！ あの小娘、スタンドに目覚めやがったな……！」

〜隣室〜

「……つまり、その……。お嬢様は、すたんどとかいう新しい超能力が突然目覚めて、そうなった……、と？」

「断言はしていない。ただ、そう考えるのがベストってだけで……」

明星は手鏡を見ながら話していた。祖母から貰った大切な手鏡だ。そこに居る彼女の右目には何かの花が咲いていて、そこから蔓のようなものが伸び、それが右腕にまとわりついている。

「マリーはこれ見える？」

「……これとは？」

「僕の目に咲いてる花のこと」

「……ええと……、み、見えません」

明星は納得したように息を吐いた。

「これではっきりした。これは『スタンド能力』だ。仕組みはよく分からないけれど、僕のスタンドは壁を『すり抜けて』人や物を移動させることができるらしい……。どうして今こんなものが発現したのかは僕にも分からない。けれどきっとこれは『切り札』だ。父様や母様、それにマリーたちを守るためのギフトを、きっと与えられたんだ」

「……申し訳ありません。私たちが『守られる』側だなんて……。あまりにも不甲斐なくてお嬢様のお顔も正面から見ることが出来ません……」

「マリーが気に病む必要は無いよ。だって──」

ばん、と扉が開き、象の鼻が顔を出した。

「──希望は視えているからね！」

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酷く狭い部屋。

きつい血の匂い。

対峙する二人のスタンド使い。

「……目を抑えているな。痛むんだろう、さっきの傷が」

「……お前こそ、腕を抑えているじゃあないか」

「そりゃあそうだ。……今から貴様を殺す。嫌ならさっきの執事の居場所と運転席の金庫の暗証番号を教えろ。」

「誰が誰を殺すって？ 笑わせんな。お前じゃ俺に勝てねえよ」

「……口を割らねーなら頭蓋骨ごと割ってやるまでだ。発射するのはこの『硬貨』だ。なまっちょろいボールペンなんざとは断じて違うッ！」

「はっ。無駄遣いはやめといた方がいいぜ。地獄の沙汰も金次第って言うだろ？ お前は今からそこに行くんだからよ」

数秒、沈黙。

先に動いたのは──エースだった。

「『ガン・エレファント』ッ！」

明星のスタンドのスピードでは『ガン・エレファント』の攻撃を透過させることは出来ない。故に先手必勝、彼女が行動するより前に攻撃すれば、エースの勝ちは確定する。

その読みは間違っていなかった。

「勝ったッ！」

ただし──それは彼女が先程と同様の状態であれば──の話である。

エースの銃口の先にある彼女の顔──それを覆い隠す手が離れた時──彼は酷く動揺した。

「──なにいいいいいいいーッ！？」

当然の反応である。彼女の右の眼窩には──眼球が無かったのだから。

「……なッ……、何ッ、考えてやがんだッ、てめーはよォッ！？」

「何って……。ひとつさ。どうやってお前を倒してやろうか──それだけを考えている。」

残った左の眼差しから感じられる明確な意志は、とても十二歳の少女のそれではなかった。数多の戦場を経験した戦士が、愛や綺麗事のために覚悟を決めたような──そんなスゴ味が、そこにはあった。

その誇り高き意志をどう呼称してよいかはまだ、誰も知らない。

ずるり、と、エースの視界が下降する。

少しづつ、少しづつ──彼の体は、床に沈んでゆく。

そんな彼の体の横には──剥き出しの眼球。

そしてそこから発現する──スタンド。

その床の下では、死が大口を開けて待っている。

「射程距離を伸ばすために──自らの眼を──抉り取ったのかよォォォッ！ きっ、きっ、気持ち悪いッ！ イカれてやがるッ！ 思いついたからってンなことするかよッ、普通よォォォーッ！」

幾年かの時が過ぎ去ったのち、とある船の上で老人は、その誇り高き意志に良く似合う名前を呟いた。

「たぁた、助け、助けてくれッ！ お、俺はまだ死にたくないッ！ 何でもするッ、何でもだ！ 靴だって舐める！」

「……お前──これまでもこうやってハイジャックしてきたんだろう？ 慣れた手口だ。その過程で何人殺した？」

「……な、何人、って……」

エースが数を数えようと、わざとらしく指を折る。

明星は躊躇なくその手を踏み潰した。

「ぐぎあああああッ！」

「どうせ覚えてないか、お前のようなクズは。じゃあ質問を変える。お前が今から何かしたところで──これまで殺してきたそいつらは浮かばれると思うか？ 俺の靴を舐めて誰かが喜ぶか？ 喜ばないよなあ。それくらい分かるだろう？」

エースの顔が恐怖に歪む。

それを見て、明星の頭は涼しくなった。

「……いけない……、お祖母様に叱られてしまうな。一人称が『俺』は良くない。お淑やかに『私』だなんて言わなくていいから、せめて『僕』にしろ──お祖母様ならそう仰るはずだ。僕としたことが取り乱した。やれやれだ……」

小さくそう呟く明星を見て、訳が分からないと言いたげな呆然としたエースの顔は、しかし恐怖の色を濃く残していた。

「わ、分かったッ、サツに出頭したっていい！ だからッ、助けてくれェッ！」

「……警察にはこの『スタンド』が見えないだろう。これを裁く法律もない。ならどうすればいいか、もう分かるよな？ 安心しろ、中学受験の国語の問題よりもずっと簡単さ──答えはひとつだ」

彼は言った──それは、「正義」の輝きの中にあるという──

「──僕が裁く」

──『黄金の精神』である──と。