いいえ、残念ながら強行は絶対にあり得ませんでした。
というのは伊井にしろ徳田にしろマッカーサーという人間を誤解していました。
マッカーサーらGHQを「解放軍(笑)」と信じ、労働者の味方(笑)で、デモの妨害は絶対にしないと思い込んでいた伊井らは浅はかすぎました。
マッカーサーは「占領軍の活動に支障をきたす程度のストライキを中止させてよい」との権限を与えられており、占領軍業務に支障をきたさせ、日本が混乱していると内外に知らしめてしまうゼネストは、円滑に占領軍業務を進め、日本の民主化(笑)を図っているはずの自分のプライドにかけて許せなかったのです。
伊井は哀れにもMPに連行され、泣きながらラジオでゼネストの中止と「一歩退却二歩前進、労働者、農民万歳」と叫びましたが、叫びながらマッカーサーなんぞを信じた自分の愚かさも痛感したことでしょう。
しかし、マッカーサーを「解放軍(笑)」と伊井らが勘違いしてしまったのはある意味仕方ない事で、マッカーサーは徹底した報道管制で、ありもしない幻影のマッカーサー像を作り上げていたからです。
マッカーサーは各報道機関に、GHQが指示した記事が絶対に報道する様に命令していました。その命令を守らなければ、新聞や雑誌であれば発行部数を減らす処分を行うと脅迫しています。※出典 元毎日新聞東京本社社会部長森正蔵著「あるジャーナリストの敗戦日記」
その検閲や記事の強制は当然大手新聞社全部が対象であり、(※出典 元読売新聞報道局員高桑 幸吉著「マッカーサーの新聞検閲―掲載禁止・削除になった新聞記事」)そのせいか、読売新聞はマッカーサーがお忍び(笑)で鶴岡八幡宮を参拝したとかどうでもいい記事を掲載させられ、「きさくでやさしい日本が好きなマ元帥(笑)」という印象操作に一役買っています。
一番酷いのは朝日新聞で、初めは原爆投下に対する非難や、進駐軍犯罪に対する論評などを記事に載せてましたが、マッカーサーの逆鱗に触れ(笑)なんと1945年9月19日と20日の2日間の発行停止処分にしています。
これですっかりびびりあがった各新聞はマッカーサーのファンクラブ会報に成り下がり「ああマッカーサー元帥、日本を混迷と飢餓から救いあげてくれた元帥、元帥!その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのを御覧になりましたか。今年のみのりは豊かでしょう。(毎日新聞)」「元帥を待つ我ら日本人はまるで恋をする女学生のようなもの(朝日新聞)」「元帥は日本国民にとってあまりにも大きい存在であった。国民の多くがいま元帥を永久に失って多少の空虚感をもつのもけだしやむをえない(同じく朝日新聞)」とコピペするのも恥ずかしくなるぐらいのマッカーサーへの美辞麗句に埋め尽くされています。
こんな狂った新聞を毎日読まされれば、マッカーサーは素晴らしい人だ・・と勘違いしても仕方がないことでしょう。
それにマッカーサーが一時期せよ労働者の味方のふりをしていたのは、資本家に搾取されていた日本の哀れな労働者を救済し、日本の前時代的で封建的な経済体制を打破する(笑)という妄想に取りつかれていただけであり、人生イージーモードのマッカーサーに労働者の労苦なんて初めから解ろうはずもありません。
マッカーサーのイージーモード人生の実例
マッカーサーは子供の頃からマッカーサーは女装癖のある変態でしたが、母はそれを咎めるどころか応援し、女の子用の服や玩具をマッカーサーに買い与えていました。それを嘆いた父親がこれはいかんとマッカーサーに軍人の道を歩ませました。士官学校の入試の為には、大統領の指名が必要でしたが、その枠は4名で、クリーブランド大統領も続くマッキンリー大統領もマッカーサーの指名を見送りました。しかたなく、母親は義父のつてで、下院議員シーボルト・オーチェンに推薦を頼みますが、その推薦枠を決める試験で試験官となったミルウォーキーの3人の校長の内の一人ウェストエンド高校長マック・マクラナガンに個人的な家庭教師を頼むという不正を行ないました。(明大教授の試験問題漏えい事件のアメリカ版みたいなもの)※出典 American Caesar: Douglas MacArthur 1880 - 1964 著者: William Manchester、訳本ダグラス・マッカーサー P.58
アメリカ軍史上最年少の少将となる際には、母親ピンキーが参謀総長に昇進お願いの手紙を出しまくり、妻のルイーズが陸軍大臣に金はいくらでも払うから昇進させてくれという裏工作を行っており、それらが実り史上最年少の少将となる。
※出典 袖井林二郎著 マッカーサーの二千日 P.28
※出典 American Caesar: Douglas MacArthur 1880 - 1964 著者: William Manchester、訳本ダグラス・マッカーサー P.147
参謀総長時代に、陸軍の予算を調査したルイス・ダグラス予算局長に、トイレットペイパーの予算を不正に水増ししているのを指摘され追い詰められますが、逆ギレして怒鳴り散らし追及を強引に打ち切らせて話をうやむやにして逃げています。
※出典 著者John Gunther The Riddle of MacArthur: Japan, Korea, and the Far East 翻訳本「マッカーサーの謎」P.63
また、参謀総長失職後に、フィリピン準備政府より、軍の給与はそのままもらいながら、18,000ドルの給与、15,000ドルの交際費、マニラホテルの豪華スイートの滞在費をもらった上に、秘密の報酬の取り決めまでありました。この秘密の報酬というのはマッカーサーがフィリピンの防衛計画作成の手数料という名目ですが、マッカーサーはアメリカ軍の公務としてフィリピン防衛強化の軍事顧問として派遣されているので、このような手数料を受け取る事は当然に服務規程違反で、その為に秘密の報酬扱いとなっています。
※出典 Douglas Macarthur: The Far Eastern General 著者: Michael Schaller 、訳本マッカーサーの時代 P.50
このように大した能力もないのに金と権力になんの不自由もしなかった男に労働者の気持ちなんか判るはずもなく、伊井や徳田は信じる人を間違えた為にかかなくていい恥をかくことになりました。