もしマッカーサーの指令で禁止された『二・一ゼネスト』が実行されていたら

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確定申告がてんやわんやになっていたでしょう 実を言うと 税法の教科書では最もらしいこと書いてありますが、日本で確定申告をしているのはゼネストで税務職員たちがストライキして仕事をサボったという経緯があります これは武田昌輔という税法の世界の神様ような人が述べています 確実に日本の租税体系がグダグダになったでしょう ぶっちゃけた話、公務員がストライキするなら公務員以外が公務をすれば良いんですよ 例えば日本の陸上交通でトラックが主流なのは当時公務員だった国鉄がストを連発して流通がストップした経緯があります

>1947年2月1日に全国の600万人の官公庁の公務員が参加して行われる予定だった『二・一ゼネスト』が禁止されず実行されていたらどのような影響が当時の日本経済や社会にあったのでしょうか? →百パーセントあり得ない、と断言します。 が、「実行された」という前提で回答させていただきます。 是非論は別にして、もしかしたら、きちんと「憲法が守られる国になった」可能性はあるかもしれません。 あまり指摘する人はいませんが『二・一ゼネスト』の中止命令は、実は「日本国憲法」第28条違反です。 「日本国憲法」第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。 この条文を見ただけでもお分かりになるとは思いますが、GHQによる「2・1ゼネスト中止命令」は、「日本国憲法」第28条に基づく団結権の保障が否定されたことを意味します。 ちなみに「日本国憲法」の成立後に、GHQの指令によりこの「憲法」が無視された事例と言うのはちょっと思いつくだけでも 警察予備隊(後の自衛隊)の設立 (第9条違反) 特別裁判所である極東国際軍事裁判所の容認 (第76条違反) GHQによる、マスメディアの言論統制、報道規制や検閲の容認 (第21条違反) 闇米等がなければ、生活できないような状況下であるのに、社会権の保障が死文化している (第25条違反) これらの違憲状態がGHQの命令により行われている事実から見ても、憲法としての最高法規性が否定されている (第99条違反) などがあるわけですが 仮にGHQとしてゼネストを容認するという事であるなら、彼らが自ら日本国に対して「与えた憲法」を「尊重する」意思を見せた、という事になりますので 少なくともGHQが「日本民主主義のゆるやかな自然成長」を見守る事ができた、という事になるでしょう。 そうなれば、上にあげた他の「憲法違反」の事例についても、違った展開があったかもしれません。 まあ、現実には「日本民主主義のゆるやかな自然成長」は、占領開始後、数週間の時間しか与えられていませんけど。 もっともゼネストが予定通り行われたとしても まず財閥解体は予定通り行われていたでしょう。 実際、マッカーサーが財閥解体を中止したのは、ゼネスト中止の直後です。 また吉田茂首相は「このゼネストの脅威が、GHQの共産主義者に対する政策を変えさせ、一段と厳しい態度を取らせるのに役立ったことは疑いの余地はない」と発言しています。 (参考、西鋭夫『圀破れてマッカーサー』第三部一章) そうなれば共産主義者が台頭し、もしかしたら早い段階で日本共産党が最大野党くらいにはなったかもしれません。 ただし財閥の弱体化と、共産主義勢力の増大により日本経済の復興は遅れ、結果として「経済大国」となることもなかったでしょう。 よくても当時のフィリピンあたりと同レベルの状態になっていたと思われます。 現代からはイメージしにくいですが、もしかしたら国内でも動乱のようなものが起こった可能性はありますね。 勿論、アメリカの世界戦略にも影響は出るでしょう。 どちらがよかったかは私には明白なように思われますが、いかがでしょうか?

ああ、GHQの指令による重要な「憲法違反」を忘れていました。 レッド・パージ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8 >日本共産党は神戸訴訟上告棄却・不受理について「日弁連も勧告を出しているように、日本国憲法第19条が保障する思想・良心の自由を蹂躙する人権侵害であり極めて不当なもの」とする抗議談話を発表した[2]。 →この顛末はGHQが内心で「日本国憲法」なるものについて、どのように窺い知るためのいい材料になる、と私は思っています。

平和ボケの日本人には分からなくなっていますが、あの大戦争のあとの占領時代です。共産党主導のゼネストが許されるわけがありません。アジア・太平洋戦争で日本が占領した例えば南京やマニラやシンガポールで共産主義者に煽られた労働者がゼネストをやろうとしたら日本軍は許したと思いますか? マレーの虎と言われた山下奉文司令官は、シンガポール占領後最初の天皇誕生日に現地住民にこう訓示しました。 「このたび新たに大日本帝国の臣民となったマレー住民と共に聖寿をことほぎ奉り得る事は本職の衷心より欣快とするところである。マレー、スマトラの民衆はよろしく光輝ある帝国の新しい民である光栄に感激し、帝国の尊厳なる国体を意識してそれぞれその生業に励むべし」 とてもゼネストどころではありませんね(笑) もしGHQの指令を無視してストを行っていたら、「徳球」などは刑務所に逆戻りでした。そしてストは一日で終了、と(笑)従って「当時の日本経済や社会」にはなんの影響もありませんでした。 まあゼネストをやろうとした気持ちは分からないでもないのですが、マッカーサー主導の日本の民主化促進が理解出来なかったのでしょうね。そしてあの大戦争が終わってまだ1年と6ヶ月、政府に悪意が無くてもそう急に日本の生活水準、食糧事情は回復しませんよ。しかし結局はマッカーサーの押し付け憲法と言われた新憲法を基礎に、日本は「戦後の奇蹟」と呼ばれる大復興を遂げて今に至っています。 ま、それはともかく、下の回答はひどすぎますね!すべてがウソか或いはどうでもいい些細な事を大げさに捻じ曲げてマッカーサーをののしる不思議な人です。 >>マッカーサーは子供の頃からマッカーサーは女装癖のある変態でしたが、母はそれを咎めるどころか応援し、女の子用の服や玩具をマッカーサーに買い与えていました。それを嘆いた父親がこれはいかんとマッカーサーに軍人の道を歩ませました。 ウソです。マッカーサーは小さい頃は大変可愛い子供で、周りが面白がって女の子の服を着せ、「おー、可愛いね!」と写真を撮って笑い合った程度です。それを「女装癖のある変態」?(笑)しかも「子供の頃から」??では成人してからのマッカーサーの女装姿を見せて欲しいですね! >>士官学校の入試の為には、大統領の指名が必要でしたが、 これもウソ。当時も今もウェスト・ポイント陸軍士官学校入試の為に大統領の指名は必要ありません。議員の推薦は必要です。それを知人のオーチェン議員に頼んだだけ。 不正入学??マッカーサー は士官学校始まって以来の最高の成績で卒業(四年間の平均点が98.14)そんなマッカーサーが不正入学なんかするわけがないしその必要もありません。 >>アメリカ軍史上最年少の少将となる際には、母親ピンキーが参謀総長に昇進お願いの手紙を出しまくり、妻のルイーズが陸軍大臣に金はいくらでも払うから昇進させてくれという裏工作を行っており、 これもウソ。どこかのマッカーサー嫌いのウソでしょうね。アメリカ陸軍の参謀総長がそんなつまらない工作を受け入れるわけがありません。当時の参謀総長のサマーオール大将はマッカーサーを高く評価していたので自分の後任として当然の推薦でした。しかもアメリカには「陸軍大臣」などというものは存在しません。「妻のルイーズ」か!以前「ルイス」と書いていたのでそれは男の名前と教えてあげたら早速訂正しましたね!結構な事です。 >>参謀総長時代に、陸軍の予算を調査したルイス・ダグラス予算局長に、トイレットペイパーの予算を不正に水増ししているのを指摘され追い詰められますが、逆ギレして怒鳴り散らし追及を強引に打ち切らせて話をうやむやにして逃げています。 これもウソ。アメリカ陸軍と言う巨大な組織のトップとアメリカ政府と言う更に大きな組織の局長がトイレット・ペーパーの事で議論するはずがありません。 大きな組織で働いた経験がない人には分からないでしょうが、トイレット・ペーパーの予算の事でトヨタ自動車の社長が財務担当重役を呼びつけて怒鳴りあったりすると思いますか?(笑)こういう話はせいぜい係長、つまり組織で五、六段も下のレベルの話です。どこかのマッカーサー嫌いが書いたウソをそのまま引用するから恥をかく笑) >>また、参謀総長失職後に、 大ウソ。マッカーサーは参謀総長を「失職」したりしませんよ。正規の任期を勤め上げ、業績を評価されて更に一年延長。そして退職、と。こういう事を「失職」とは言いません。しっかりした大組織での経験がない人には理解出来ないでしょうけど。 ちなみに、マッカーサーは参謀総長を5年。アイゼンハワーは2年と3ヶ月。朝鮮戦争でマッカーサーのあとを継いで国連軍司令官になったリッジウェーは2年。 >>フィリピン準備政府より、軍の給与はそのままもらいながら、18,000ドルの給与、15,000ドルの交際費、マニラホテルの豪華スイートの滞在費をもらった上に、秘密の報酬の取り決めまでありました。この秘密の報酬というのはマッカーサーがフィリピンの防衛計画作成の手数料という名目ですが、マッカーサーはアメリカ軍の公務としてフィリピン防衛強化の軍事顧問として派遣されているので、このような手数料を受け取る事は当然に服務規程違反で、その為に秘密の報酬扱いとなっています。 これもウソ。「秘密の報酬扱い」??そんなものは秘密でもなんでもない。だからみんな知っているのです(笑) 日本の南方侵略を予感したフィリピン大統領のケソンは、ルーズベルト大統領に頼み込んでマッカーサーを軍事顧問として招請、フィリピン軍創設を指導しました。フィリピン大統領がマッカーサーにどんな報酬を払おうが勝手ですよ。別に「アメリカ軍の公務」ではない。まあ完全にはプライベートではありませんが、マッカーサーの待遇については100%フィリピン側に任されていました。しかもこの金額の根拠は乏しい。どこかのマッカーサー嫌いがでっち上げたのでしょう。 そしてマッカーサーは1937年12月に米軍から引退。私人としてのマッカーサーにフィリピン政府がいくら払おうがそんな事はフィリピン政府の自由ですよ(その後日本軍の侵略が近いことを察知したルーズベルト大統領は1941年にマッカーサーを現役に復帰させた) しかしdugoutdoug2さんは日本で共産革命が成功していたら良かったと思っておられる様ですね。マッカーサーが共産主義嫌いのお陰で日本は大変得をしました。 ↓当時のマッカーサーはタレント並みの人気。GHQ登庁、退庁時には見物人で黒山の人だかりでした。マッカーサー主導の軍国主義・国粋主義廃止と日本の民主化で国民は戦後日本に明るい希望を見ていたのでしょうね。

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いいえ、残念ながら強行は絶対にあり得ませんでした。 というのは伊井にしろ徳田にしろマッカーサーという人間を誤解していました。 マッカーサーらGHQを「解放軍(笑)」と信じ、労働者の味方(笑)で、デモの妨害は絶対にしないと思い込んでいた伊井らは浅はかすぎました。 マッカーサーは「占領軍の活動に支障をきたす程度のストライキを中止させてよい」との権限を与えられており、占領軍業務に支障をきたさせ、日本が混乱していると内外に知らしめてしまうゼネストは、円滑に占領軍業務を進め、日本の民主化(笑)を図っているはずの自分のプライドにかけて許せなかったのです。 伊井は哀れにもMPに連行され、泣きながらラジオでゼネストの中止と「一歩退却二歩前進、労働者、農民万歳」と叫びましたが、叫びながらマッカーサーなんぞを信じた自分の愚かさも痛感したことでしょう。 しかし、マッカーサーを「解放軍(笑)」と伊井らが勘違いしてしまったのはある意味仕方ない事で、マッカーサーは徹底した報道管制で、ありもしない幻影のマッカーサー像を作り上げていたからです。 マッカーサーは各報道機関に、GHQが指示した記事が絶対に報道する様に命令していました。その命令を守らなければ、新聞や雑誌であれば発行部数を減らす処分を行うと脅迫しています。※出典 元毎日新聞東京本社社会部長森正蔵著「あるジャーナリストの敗戦日記」 その検閲や記事の強制は当然大手新聞社全部が対象であり、(※出典 元読売新聞報道局員高桑 幸吉著「マッカーサーの新聞検閲―掲載禁止・削除になった新聞記事」)そのせいか、読売新聞はマッカーサーがお忍び(笑)で鶴岡八幡宮を参拝したとかどうでもいい記事を掲載させられ、「きさくでやさしい日本が好きなマ元帥(笑)」という印象操作に一役買っています。 一番酷いのは朝日新聞で、初めは原爆投下に対する非難や、進駐軍犯罪に対する論評などを記事に載せてましたが、マッカーサーの逆鱗に触れ(笑)なんと1945年9月19日と20日の2日間の発行停止処分にしています。 これですっかりびびりあがった各新聞はマッカーサーのファンクラブ会報に成り下がり「ああマッカーサー元帥、日本を混迷と飢餓から救いあげてくれた元帥、元帥!その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのを御覧になりましたか。今年のみのりは豊かでしょう。(毎日新聞)」「元帥を待つ我ら日本人はまるで恋をする女学生のようなもの(朝日新聞)」「元帥は日本国民にとってあまりにも大きい存在であった。国民の多くがいま元帥を永久に失って多少の空虚感をもつのもけだしやむをえない(同じく朝日新聞)」とコピペするのも恥ずかしくなるぐらいのマッカーサーへの美辞麗句に埋め尽くされています。 こんな狂った新聞を毎日読まされれば、マッカーサーは素晴らしい人だ・・と勘違いしても仕方がないことでしょう。 それにマッカーサーが一時期せよ労働者の味方のふりをしていたのは、資本家に搾取されていた日本の哀れな労働者を救済し、日本の前時代的で封建的な経済体制を打破する(笑)という妄想に取りつかれていただけであり、人生イージーモードのマッカーサーに労働者の労苦なんて初めから解ろうはずもありません。 マッカーサーのイージーモード人生の実例 マッカーサーは子供の頃からマッカーサーは女装癖のある変態でしたが、母はそれを咎めるどころか応援し、女の子用の服や玩具をマッカーサーに買い与えていました。それを嘆いた父親がこれはいかんとマッカーサーに軍人の道を歩ませました。士官学校の入試の為には、大統領の指名が必要でしたが、その枠は4名で、クリーブランド大統領も続くマッキンリー大統領もマッカーサーの指名を見送りました。しかたなく、母親は義父のつてで、下院議員シーボルト・オーチェンに推薦を頼みますが、その推薦枠を決める試験で試験官となったミルウォーキーの3人の校長の内の一人ウェストエンド高校長マック・マクラナガンに個人的な家庭教師を頼むという不正を行ないました。(明大教授の試験問題漏えい事件のアメリカ版みたいなもの)※出典 American Caesar: Douglas MacArthur 1880 - 1964 著者: William Manchester、訳本ダグラス・マッカーサー P.58 アメリカ軍史上最年少の少将となる際には、母親ピンキーが参謀総長に昇進お願いの手紙を出しまくり、妻のルイーズが陸軍大臣に金はいくらでも払うから昇進させてくれという裏工作を行っており、それらが実り史上最年少の少将となる。 ※出典 袖井林二郎著 マッカーサーの二千日 P.28 ※出典 American Caesar: Douglas MacArthur 1880 - 1964 著者: William Manchester、訳本ダグラス・マッカーサー P.147 参謀総長時代に、陸軍の予算を調査したルイス・ダグラス予算局長に、トイレットペイパーの予算を不正に水増ししているのを指摘され追い詰められますが、逆ギレして怒鳴り散らし追及を強引に打ち切らせて話をうやむやにして逃げています。 ※出典 著者John Gunther The Riddle of MacArthur: Japan, Korea, and the Far East 翻訳本「マッカーサーの謎」P.63 また、参謀総長失職後に、フィリピン準備政府より、軍の給与はそのままもらいながら、18,000ドルの給与、15,000ドルの交際費、マニラホテルの豪華スイートの滞在費をもらった上に、秘密の報酬の取り決めまでありました。この秘密の報酬というのはマッカーサーがフィリピンの防衛計画作成の手数料という名目ですが、マッカーサーはアメリカ軍の公務としてフィリピン防衛強化の軍事顧問として派遣されているので、このような手数料を受け取る事は当然に服務規程違反で、その為に秘密の報酬扱いとなっています。 ※出典 Douglas Macarthur: The Far Eastern General 著者: Michael Schaller 、訳本マッカーサーの時代 P.50 このように大した能力もないのに金と権力になんの不自由もしなかった男に労働者の気持ちなんか判るはずもなく、伊井や徳田は信じる人を間違えた為にかかなくていい恥をかくことになりました。