姉歯大震災の喚起するもの2005‐20006

姉歯大震災の喚起するもの

2005-2006

伊達美徳

○建築技術者は一体どうしたのだ

実際に地震が起きなくても震災が発生した。建築構造技術者が過失ではなく故意に、地震耐力が半分以下の建築を設計をして、現実にそれが確認申請という法律による工事前の検査も、工事中の現場管理者の眼もすり抜けて建ってしまったというのだ。しかも20棟以上ができたというのだからあきれる。これが氷山の一角だったら、怖いなあ。

そんな地震耐力を偽造してわざわざ地震に弱い建物を設計して建てる馬鹿がいるはずがないというのが建築界の常識であったが、世には非常識な人がいるものである。

検査機関も、まさかそんなやつがいるはずが無いと思っているから、構造の検査は甘くなっているらしいが、見事にだまされた。

どうもおかしいのは、昔々わたしも建築設計と現場管理をやっていたことがあるから思うのだが、工事現場で見ればいかにも鉄筋や鉄骨あるいは梁や柱の断面の量が少ないとなれば常識的に分かるものだが、それをだれも変に思わなかったのかしら。

特殊な構造ではない普通のありふれたラーメン(中華そばではない、建築専門用語なのだ)構造だから、ちょっと経験あればそんなことは見て分かるものであるが、今の技術者はそうじゃないのかしら。

ものづくり仕事を現場で行うのが建築工事である。柱や梁の形を大工仕事でつくり、その中の鉄筋を組みたてて、まるで鋳物彫刻をつくるようにそこにコンクリートを流し込む、じつに原始的な手づくり仕事が今もなされている。

鉄筋工という職種の職人こそは、いくつもの建築現場で仕事しているから、その量的感覚が一番よく分かっているはずだ。現場監督の親玉もそうだ。ものづくりには、この現場感覚が一番大切なのだが、合理化の掛け声で失われてしまったのか。

検査機関も見逃したのは、コンピューターシステムはいつも正しいとの、現代的思い込みもあるにちがいない。銀行がなにかあったときに謝る常套語が、コンピューターの間違いでしたと、平気で言うのと同じだ。

だが、この機関も配筋検査という仕事があり、組み立てた鉄筋の配置と数を現場で検査するから、いやでも経験的に現場感覚が養われてくる。鉄抜きコンクリートを見破れないのがおかしい。

確認申請が通過したから安全だと思ったと事業者や工事関係者たちがいうのは、法的にはご尤もだが、技術者としての現場感覚を失っていることの証明である。

この事件で、医者と同じように建築士は人命を預かる仕事だって、やっと世間がその地位を西欧並みに認めてくれるだろうと期待しているし、建築家も自らそのように律する気持ちを新たにしたことだろうと思う。もっとも、医者もこのところなんだか怪しい人がいるけど。だれでもが建築設計をしてはならないと国家が禁じているのを、建築士にだけは許す(免許)という意味がよく分かったことだろう。

○区分所有型共同住宅(通称マンション)という基本的欠陥住宅政策

それにしても日本では基本的人権とでも言うべき住宅を社会政策としないで、市場経済に任せる政策だから、このような場合に救済策をはたらかせることが非常に難しいことになる。 特に、区分所有型共同住宅ビル(いわゆる分譲マンション)というものの持っている基本的な問題がまた露呈した。

阪神大震災であれほどこのシステムに問題があると分かったのに、住宅政策は一向に変わらないし、今回のような三流デベロッパーが三流設計者と三流建設業者を使って手抜きならぬ鉄抜き共同住宅(こんなボロビル住宅をマンション-庭付き豪邸のこと-と報道するのがあきれる)を建てる。

そして庶民はそれを何千万円もの借金をしても、住宅ローン難民になるリスクを背負っても、人生の半分か3分の1を返済に汲々とする生活を承知しても、それを買うのだ。

この国の人たちはなんと忘れやすいのか、それはそんな巨大リスクを背負ってもなおかつ庶民が買わざるを得ないような貧しい日本の住宅政策がもとにあるのだ。

電車の吊り広告に『20年家賃を払い続けても、何も残らないと知ったとき買うことに決めた』という、いわゆる分譲マンションのキャッチコピーが書いてあった。

借家の賃借料よりも見かけは安いローンの月当たり返済額を突いているのだが、まさにここに政策のねじれと宣伝の悪乗りがある。

本当は、『20年借金を返し続けても、残るは建て直しもままならぬ極小土地共有持分と老朽ボロ長屋』なのである。20年たたなくても今回の姉歯地震でそうなってしまった。

だから私は、1棟全部が1所有者による賃貸共同住宅ビルで、借家暮らしをしているのだ、積極的に、。

でも賃借料が高いなあ、家主は県公社なのに。なんと民間貸家並み家賃をとるって決まりなのだそうだ。でも建設費には税金とか財投とか一部に入っているんだから、それは違うと思う。居住という基本的人権にかかる政策の基本がなってないから、住宅供給公社をつぶせなんて住宅業界から言われるのだ。

なぜ日本では一体管理の住みやすい公的賃貸住宅整備に消極的なのか、あるいは西欧型の組合型賃貸住宅事業に助成策がないのか。この政策欠如が今日の日本の都市問題を作り出した根本原因にある。こんな変な住宅の問題がおきたのに、一建築士の犯罪と不良事業者の問題にしてしまって、その根本にある住宅政策は一向に議論にならないのが不思議である。

しかし考えてみると、そもそもやってきたのが「住宅政策」だったのがいけなかったのかもしれない。本当は「居住政策」でなければならないのだった。住宅という建物だけをつくる政策で、居住という環境やコミュニティあるいは生活というソフトな内容の政策がなかったのだろう。この事件でそれが変わるのだろうか。(051130)

○広がる姉歯大震災の本震余震

震度5だって6だって倒れない設計をするのが建築構造設計技術者の職能なのに、その反対に倒壊するように設計していたとは、意表を突かれたというか想像を絶した事件だが、これが姉歯ばかりじゃないらしいと余震が次々と広がる気配だ。

エーッ、建築設計業界はいつの間にそんなに堕落していたのだ。

あわててデベロッパーたちは、うちの建物は姉歯に関係ないと発表しているところもあるが、中でおかしいのは長谷工コーポレーションで、わが社の建築はわが社の「設計施工一貫体制」だから構造設計は姉歯ではないと言うのである。だから安全だって言ってるつもりなんだろうけど、これって姉歯よりもっと危ないかもしれないぞ。

だって自分の会社で開発から設計、監理、工事、販売まで全て自分の社内やっているなんて、みんな内々だから設計ミス、偽造、工事手抜きなどなどあっても、第三者チェックがどこにも働かないおそれが十分にある。要するにみんなグルってこと、かもしれないのだ。

検査機関がチェックしていることにはなっているが、ご存知の有様だ。TVに登場した民間検査機関日本ERI社長を見て知人と分かったが、ここは住宅デベロッパー数社の出資会社だそうだ。大手建設会社もそれぞれ子会社や関連会社として民間検査機関を持っているそうだ。だから云々ってわけだろうとは思いたくないが、同時に、李下に冠を正さずってことわざも思いださざるを得ない。

○簡単でない公的支援方法

国交省は被害者に公的支援をする方針という。これだけ偽装被害者数が多くなり、法による検査にミスがあったとすれば公的責任は免れないが、ことは詐欺犯罪事件である。

現に新聞の投書欄には、市営住宅に何度応募しても入れないのに、詐欺被害者には入らせるとは?という疑問も出されている。現場は難しいことが起こるだろう。

たとえば、投資用に買って他に賃貸して儲けている場合、企業で買って事務所等にしている場合、一階のあたりの営業店舗の場合など、利殖投資とか営業のために購入あるいは賃借した者にも公的支援が必要なのか。居住という基本的人権にかかる被害ではなく、営利行為の詐欺被害者に公的支援はどうも解せない。

では、その利殖住宅を借りて住んでいた人は被害者なのか。移転補償問題が起きているはずだが、これについて公的支援するのか。共有に場合にはどう配分して支援するのか。転売されていた場合には、どこまで対応するのか。抵当権者にはどうするのか、などなど。国交省は居住者に支援とうたっているが、考えれば考えるほど事は簡単ではないはずだ。

そこで思い出すのが、BSE狂牛病事件で「偽装」した事件だ。雪食、全蓄、日ハムなどだっけか、いろいろとあやしい人たちが登場してどさくさにまぎれて、関係ない肉まで公的補償させてしまった。

今度の事件も「偽装」である。ドサクサである。消費者保護の政策として本当に困っている居住者支援はよいとしても、これは一方ではマンション業者支援になっていることも忘れてはならない。ヒューザー社長が「うちが倒産したら元も子もない」と脅迫したのは、見事に効果があったのだ。BSE事件みたいに、偽装していないマンションも偽装させて何かたくらむやつが出るかもしれない。(051204)

○マンション耐力偽装と人の命を預かる商売

ところで、建築基準法による建築士に対する違反罰金が「人の命を預かりながら」50万円は安い、という論調が新聞に見られるし、国土交通省も罰金を高くする方針だそうだ。

では、聞こう、人の命を預かる仕事なのに、その設計の仕事に対する報酬は保証されているのか。

医者は診療報酬について保証されているのはご存知の通り。罰金を上げると免許した教師も医者も建築士もモラルの保証ができるのか。

建築士は何の保証もないどころか、役所の建物の設計をするときは、建築士たちに設計報酬を競争入札させて、一番安い建築士に設計させるのだ。低価格オークションをやっているのだ。

医者に診療代を入札させる馬鹿は世の中にいないが、建築士に入札させて命を預ける馬鹿は世の中に普通にいるのだ。しかも不特定多数が使う公共の建物のほとんどがそうなのだ。お宅の近くにあるかもしれない安かろう設計の市民会館とか役場の建物は大丈夫かしら?

罰金額を上げるなら、報酬の保証や資質確保の制度が要るはずだ。これらの免許は自動車運転免許とは違って、公共的社会的役割の重要性から免許制度になっていると解するべきだろう。社会が彼らをきちんと育て守ることべきが、その免許制度の裏にはあるはずだ。

更新制度とか罰則強化とか言っているだけだから、このまま行くと建築士免許はだれもが練習したら取れるけど間違ったら刑務所行きもあるという、自動車運転免許並みになるのかもしれない。建物も自動車並みの生産仕組みにしてしまうってことになるかもしれない。そう、欠陥建物はリコールだ。

まあ、それもよいかもしれない、建築文化なんて言葉がいまだに生まれない日本なのだから。建築は日本では未だに文明開化の時代なのである。ほら、全国どこ行っても街には髷頭・背広・袴・革靴の建物だらけですもんね。

それにしても新聞に建築士(姉歯元建築士ってさ)や設計士(なんで士なんだろう)って言葉は出るけど、「建築家」はぜんぜん登場しないですね。(051206)

○建築士は建設業者の下請け屋か?

『建設業の支店長から仕事をもらっているので、偽造せよといわれて断れなかった』

こんなことを姉歯元建築士が国会に登場してしゃべったことで、日本の建築士は建設業者の下請け業者であると、これほど明確に示してくれた証言はないだろうと思う。

ああ、やっぱりそうだったのかと、世の一般人は思っただろうか。そして世の建築家は、ああ、一番いやなことをいってくれたし、やってくれたと思っただろうか。

建築士と建築家の違いはどこにあるのか。日本建築家協会なる建築家を標榜する専門家たちの歴史ある全国的職能団体があるが、そこは建築士であれば入会資格があるかというと、そうではない。

建築士という資格は、、国家の免許による資格だが、この事件でやっと世の中に知られた。建設工事業会社の社員にも建築士はいて設計をしていつが、彼らは日本建築家協会に会員になることはできない。つまり、建築家は建設業から独立していることが前提としているのだ。

だから、建築家は建設業の下請けはしないのだ(多分)。建築家は建設業の支店長から言われても、対等に渡り合って毅然として構造偽造など断ることができる人格なのだ(多分)。建築家は建設業の下請けではないし、ましてや建設業を自分の設計の下請けに使うことなどしないのだ(多分)。

(多分)をつけたのは、あるいは、、と、思われる筋もあるからだ。

さて、国交省はこれで建築士法と建築基準法を改定するらしいが、果たして建築士を建設業から分離して、毅然とした人格になる方向にするのだろうか。

それとも政治力に長けている建設業界がそんなことをさせるはずがないのが現実だろうか。設計業界なんてなんの政治力もないからなあ。

そしてまた、既に述べたように区分所有コンクリ長屋をマンションといって庶民に大借金を背負わせるゆがんだ住宅政策が変わるだろうか。(051218)

○姉歯震災事件は、なんと別件逮捕とは!?

すっかり定着した感のある「耐震偽装」というマスコミ業界用語は、建築設計業界用語では「建築構造計算書偽造」というらしい。建築の設計、確認、監理、施工というシステムが分っていないマスコミも含めた一般人の頭では、これら全部含めて「偽装」なんだろうが、技術者の世界では正確に言うとこうなる。だからここでは偽造した建築士の倫理と、その偽造文書を見破れなかった建築確認検査機関(行政も民間も)の能力が問われている。

ところが、建築構造技術のあいまいなことが次第に分かってきて、はたして偽造なのかどうか、よく分からなくなってきた。構造計算方法にいくつかあって、同じ建物でも計算方法でどうにでもなるらしい。実は、その建物が建っている土地の地盤の強さが、地震時の建物への影響が一番大きいので、果たして偽造といわれる建物が一律に弱いのかどうかも分からなくなる。

あるいは、耐震は建物の形にもよる。たとえば鉛筆のっぽ型とべったり四角型とでは後者が安全だし、平面が真四角とL字型とでは前者が安全となる。超高層建築は柳腰に揺れるので倒れないというが、その柳のように揺れて窓から人間が飛び出して死んでも建物は倒れないてなことになると、手術は成功、患者は死亡である。

これに加えて、30年ほど前までの建築設計方法では、姉歯設計並みの耐震強度しかない建物がほとんどという建築界では常識だったことが、この事件が契機となって一般にも知れたから、ことは簡単でない。阪神淡路大地震でたくさんの鉄筋コンクリートの建物が壊れたのが、それである。そのほかの都市でも同じことが起きるはずである。その数は姉歯建築の数など比較にならないくらい無数にある。

姉歯もフューザーも、大地震が来たら壊れるのはいっぱいあるからどうにでもなる、と思ったのかもしれない。いや、そこまで考えは及んではいない、単なる馬鹿技術と儲け主義の偶然合体のなせる業と思うほうが、より正確のような気がする。

なんだか気の毒なのは、確認検査機関のイーホームズである。多分、検査機関としての責任感あるいは社長の正義感もあって、フューザー小島社長の脅しに屈せずに公表したら、なんと自分が別件逮捕されてしまった。私も心配だ、真夜中に無人無車の横断歩道を赤信号で渡った容疑で逮捕されるかもしれない。どう考えても、どこかヘンである。B級テレビドラマみたいだ(見たことないけど)。

ところで、この事件の持っている最も基本的な問題であるところの、区分所有方共同住宅(いわゆるマンション)システムへの対応は、何一つ考えられる気配がない。耐震設計の偽造あるいはミスの問題で、一棟賃貸型共同住宅がほとんど社会問題とならずに解決方向にあるのに、区分所有の分譲型がこれだけもめていることから、問題点は明らかである。

潜在していたビルの区分所有システム問題は、阪神淡路地震で顕在化したのにもかかわらず、その問題を無視あるいは意識的に忘れたかして今日までやってきて、こんどは天災の地震ではなくて人災で再び顕在化したのに、いっこうにこれに抜本的に対処しようとしていない。姉歯物件にかぎらず、老朽化した区分所有型ビルは、いま問題を抱えたままに朽ちようとしているのだ。朽ちることでしか解決方法がないのが現実である。

これだけたくさんの問題住宅に住んでいる人たちが日本ではいるために、もう政策では手が付けられなくなったということだろうか。問題住宅居住者がこれだけ多くいればこそ、小手先ではなく住宅基本政策として手を打つべきなのだ。次の関東大震災が、三度この問題をあぶりだすだろうが、そのときは被害者はとんでもない数になるはずだ。

今のような区分所有方共同住宅は今後は禁止、あるいはシステム保全の方法が政策として確立するまでいったん禁止するべきである。

日本の政策が変わるのは、人の身御供と欧米外圧(アジア外圧は無視する習慣がある)があった時だけである、ああ、。住宅問題は戦後これだけたっても、いまだに解決していない。(060502)

○他人のリスクも背負い込む分譲型集合住宅は大問題だ

共同住宅ビル(いわゆるマンション)やホテルの建築構造設計の計算書を偽造した「姉歯事件」から1年たった。11月17日朝日新聞朝刊によれば、耐震強度が0.5以下の建て替え等の何とかしないと危ない建物が33棟あり、そのうち区分所有型共同住宅(いわゆる分譲マンション)が16棟、賃貸型共同住宅ビルが8棟、ホテルが11棟だそうである。

それらのうちホテルと賃貸型共同住宅ビルは、とにかく取り壊しやら建て替えやら何とか対応が進行中あるいは済んでいるのだが、問題は区分所有型共同住宅である。事業者が販売を取りやめて取り壊している2棟は別として、残り14棟のうちで建て替え決議にこぎつけ解体中が1棟、決議だけしたもの3棟、決議予定が2棟、協議中が6棟だそうだ。

それぞれに現実の進行事情は異なるだろうが、明確に建て替えに入ったのはわずかに1棟のみということになる。同じ共同住宅ビルでも賃貸型とは大違いであるのは、権利が多様化していて、それぞれの権利者の事情が異なるから調整が困難であるからに違いない。

これは既に阪神淡路大震災のときにも露呈したことなのであるが、姉歯大震災で再び問題が表われた。姉歯事件はある種の震災と同じ現象であったのだ。このことはすでにこのサイトにも書いたのだが、次に関東大震災が来たら、この問題はまたも登場して、分譲マンションはもう都市のガンのようになるに違いない。

姉歯事件による今後の対策は、建築基準法、建築士法、建設業法という建物の生産と販売形式について規制強化したらしいが、ことの本質であるところの、区分所有型共同住宅というシステムの持つ問題へのへの対応は何もないらしい。

高い金を払って、分譲マンション(でも「mansion」て戸建豪邸のことだよ)なる危険きわまる生活空間を買ってはいけません。大勢にいろいろな事情のある人々が、自分の住戸だけではなくそれを支える柱や梁、基礎、電力や給排水の設備も共有する。ここに他人のリスクも背負い込むシステムがあることを忘れてはならない。

それは、建物は地震では倒れないように構造計算して設計して、その通りに建てるのだかが、だから大丈夫とは言えないのは、構造計算偽造事件、工事手抜き事件がおきているし、それがなくても地震で建物は倒壊しなくて大揺れでかなり痛むことは十分にありうる。そのように設計してあるのだ。

柱・梁の構造体や共同設備が壊れて大修理をしなければならないことは、地震だけではなく時間の経過による老朽化でも必ず起きる。これを修繕する、あるいは建て直しするには莫大な費用がかかる。

このときにその共同住宅ビルを共同所有する者全部が、修繕費や建て直し費用を簡単に負担できないのは、現にその事件が起きている通りである。特に超高層共同住宅ならば、大規模だから費用も大きいが関係者も多いから、それは大変である。すぐに建て直ししたい・修理したい人もいれば、したいけれど金銭負担できない人がいる。

つまり、見も知らぬ他人と建物を共有することは、互いに見も知らぬ他人のリスクも背負い込んで建物を買ってしまうことなのだ。区分所有型共同住宅(いわゆる分譲マンション)を買うとは、何千万円も出して人様のリスクを背負う、そういうことなのである。その覚悟もできないどころか、そのことを知らないままに不動産屋の宣伝に乗せられて買うのが止まらないのは、一体どうしたことだろうか。政策的にもそれを規制しないのはどうしたことなのだろう。

これが賃貸借型共同住宅なら、自分の住戸内の家財は自分で責任持つが、そのほかは賃貸主にリスクがかかるから、修繕や建て直しはそちらの責任である。もちろんそのリスクに対応する家賃を払う仕組みである。賃貸借型共同住宅ならば、居住者が見も知らぬ他の居住者のリスクを背負うことはない。なお、分譲型の共同住宅をそれぞれのオーナーが賃貸している形式は、ここで言う賃貸借型共同住宅とはいえないことは、当然である。その建物全部がひとつの賃貸借主のものであるべきだ。

共同住宅は賃貸借システムに限ると、まさに姉歯さんが証明してくれたのですね、ありがとう姉歯さん、まさに私の日ごろの持論も証明されました、、、。(20061120)