横須賀聖杯戦争③
「…………という夢を見たんだ」
「朝っぱらから現実逃避かマスター? んなことより飯にしようぜ飯に」
自らのマスター──犬飼 明が自宅で目を覚ましてすぐに口にした言葉を容赦なく切り捨てるセイバーだった。
ともあれ死線を越えたその翌日。朝食を摂るためにリビングに降りた二人を待っていたのは──
「遅い。もう9時過ぎてるわよ」
「早寝早起きは騎士の流儀…………若人がそれを守らないのは嘆かわしい事です」
「あんたもさっき起きたとこでしょうが」
アーチャーとそのマスターが先に食卓について朝食を摂っている様だった。
「なんでおれん家にいんだよっ!?」
「朝からデカい声出さないでくれる? 頭に響くわ」
「質問に答えろ! 父ちゃん母ちゃんは仕事でいねーから良かったけどよ」
「いたなら適当に暗示をかけるから心配いらないわよ」
「心配しかできねえことを言うな! 他人の親に何する気だ! そして最初の質問に答えろ! なんでおれん家にいるんだお前らは!」
「しばらくここを拠点にするからよ」
「〜〜〜〜っ!」
言葉を失ってパクパクと口を開閉するしかなくなる明であった。
「それにしても茶葉も置いてないなんて、まったく呆れたわ。手持ちがあったから良かったものを」
「おれは何一つ良くねえんだよ! 何がどうなっておれん家がお前の拠点になんだ!」
「アサシンを倒すまで共同戦線を張るということで話は決まったはずでしょう? そして相手は気配遮断スキル持ちよ。いつまでも狙われやすいホテルに居を構える理由は無いわ。貴方の家なら身を隠すには問題無いし、連携も密に取れるでしょ。あまり狭くて貧相な家のようだったなら他を当たったけど、それなりに良い家に住んでるじゃない。富裕層かしら?」
「ほっとけ! そ、それをおれが許すとでも」
「思ってるわよ。それとも、聖杯戦争についてあれこれ教えてあげた上に貴方とセイバーの間のか細い魔力経路(パス)をキチンと整備して繋いであげた恩を一晩で忘れたと言うのかしら」
「あー、それに関しちゃ確かにありがたかったなあ。あのままじゃ碌に魔力供給がされないとこだった。満足に次戦も戦えねえとこだったぜ。なかなか腕の良い魔術師みてえだな、嬢ちゃんは」
セイバーはあっけらかんとした声色で告げた。それに対してアーチャーのマスター──魔術師、イヴリン・ハーパーは肩を竦めて応える。
「調律に関しては心得があったってだけよ。あと、一度繋がった魔力経路はそうそう途絶えないけど、活性化させた魔力回路はすぐに落ち着くだろうから当てにしないことね」
「おう、ありがとよ嬢ちゃん」
「肯定すんなよセイバー!」
「事実なんだからしょうがねえだろ。お、このパン貰うぜ」
セイバーは呑気にパン籠からクロワッサンを数個取り出して齧りついていた。
ひとまず明もまた食パンをトースターにセットして、食卓につく。
「しかし、共同戦線に文句はねえが、それでもオレたちゃいずれ殺し合う敵同士だぜ。随分と易易距離を縮めるもんじゃねえか。魔術師ってのは疑り深いのが常だと思ってたが」
「貴方のマスターに疑う程の底がないってだけよ」
「ははっ、そりゃ確かに」
「否定しろやセイバー!」
「一度纏まった話だろ。ゴチャゴチャ言うもんじゃねーぜアキラ。あのアサシンをほっとけねえんだろ? なら手を組んだ方が建設的ってもんだ」
「…………別に、世のため人のためってわけじゃねえけどな。そんなもんのために命懸けれるほど出来た人間じゃねえ。ただ──」
「ただ?」
「…………親が、揃って警察やってるもんで」
「…………なるほど」
テレビから流れる美術館火災事件──ということになったらしい一件のニュースに目を遣りながらイヴリンは頷いた。
「確かに、それは危険ね。いつ聖杯戦争に巻き込まれるかわかったものじゃないわ」
といいつつ、警察関係者が聖杯戦争に深入りする事はそうそうないだろうとイヴリンは内心で独り言ちる。
聖杯と名のつくものが新たに現れた以上、当然『教会』に所属する者達もこの横須賀で暗躍している。連中は財界、マスコミ、基幹産業等にくまなく入り込んでいる──行政機関にさえも。
『協会』と『教会』は反目し合っているものの、神秘の隠匿は両者に共通する命題だ。聖杯戦争における被害の詳細は全てボカされ闇に葬られる事となるだろう。
つまり、警察関係者だったとしても特別に危険というわけでもない。聖杯戦争の被害現場に向かうのはその殆どが教会の工作員だろうから。
無論、運が悪ければその限りではあるまいが──それはもはやこの横須賀にいる全ての人間に言えることである。
なので。
「ええ、ご両親の為にもさっさとこの儀式を終わらせることにしましょう」
「…………わーったよ」
明が頷くのを満足気に眺めつつ、イヴリンはすっとぼけながらに紅茶を啜るのだった。
「しかし、セイバーの姿には首を捻らざるを得ないわね。サーヴァントは全盛期の姿で召喚されるものだというのに、随分と愛嬌のある姿なんだもの。かのアイルランドの大英雄が」
「まーなー。オレとしても納得言ってねえよ。なんでこんなナリで喚ばれる事になったかねえ」
「かの光の御子と相見える事となろうとは…………光栄というべきか恐縮というべきか。とはいえこうしてみるとなんとも反応に困る私です」
セイバーの姿を見て思い思いに言葉を溢す二人だったが、当のセイバーは何処吹く風で食事を続けている。
「まあ宝具を晒した以上真名もバレてるわな。とは言え残念ながら今のオレには猛犬の名はちと重い。真名はセタンタってことにしといてくれや」
「了解したわ。…………しかし、いくらマスターがポンコツとは言え霊基が若やぐなんてことがあるのかしら」
「さてねえ──他になんらかの理由があるのかもしれねえが。ま、今考えてもどうにもならんことだろ。んで、そっちのアーチャーの真名は明かしてくれねえのか?」
「当然でしょ。同盟相手とはいえ聖杯戦争における最重要機密と言っても良い真名をホイホイ明かすわけにはいかないわ。貴方達から漏れる可能性だってあるのだし──」
「…………フェイルノートとか言ってたな」
「何よその無駄に良い記憶力はぁ!」
「んぉ? フェイルノート──ははあ、円卓の騎士サマかよ。同郷みたいなもんじゃねえの」
「改めて、よろしくお願いします」
いがみ合うマスター二人に対して、サーヴァントの方は実に気軽なものであった。
「んで、重要なことをまだ聞いてねえぜ──他のサーヴァントの情報も教えるって話だった筈だ。もったいぶんなよ」
「…………ふん。もちろん約束は守るわよ。もちろん私達も全てのサーヴァントと出くわしたわけではないけれどね──私達が交戦したのはランサー、バーサーカー、そして昨日のアサシンの三騎よ。ライダーとキャスターはまだ未確認。そして、現在生き残っているマスターとサーヴァントは私達含めて五組よ」
「え。つまり、もう二組脱落してるってことか?」
「そうなるわね。まずランサーから話しておくと、マスターはこの聖杯戦争の監督役を務める教会から派遣された神父よ」
「あ? 監督役ってことは審判みたいなもんだろ? それが選手もやってるってことか?」
「ええ、そういうことよ」
「…………ズルじゃねーか」
「そうかもね。でもあいにくと卑怯な手を使っても反則負けになったりはしないのよ、この戦いは」
ペロリと舌を出してイヴリンは顔を顰めた。
「ランサーとの戦いは小競り合いの域を出なかったからお互い真名に迫るような情報は無かったけど…………中々手強そうな相手ではあったわよ。まあ負ける気はしなかったけれどね。外見は女、それも少女の姿をしていたわ」
「めちゃくちゃフワッとした情報だな…………」
「実際それくらいしかわからなかったのよ。詳しく知りたいなら自分達で戦いなさい。で、次に戦ったのはバーサーカー…………とんでもない相手だったわよ」
「過去形か?」
「ええ、バーサーカーは既に脱落済みと見ていいでしょう。霊基盤で確認したわ」
「霊基盤? なんだそりゃ」
「サーヴァントの存在を確認出来る探知機みたいなものよ、細かい位置までは把握出来ないけどね。一から話すと…………四日前に新たなサーヴァントの召喚が確認されたから、威力偵察に行ったのよ。そしたら向こうは猪みたいな勢いで襲いかかって来たわ」
「はっ、バーサーカーってんならそうでなきゃなあ」
無邪気な笑みを浮かべるセイバーだったが、イヴリンとアーチャーの二人は心底厭わしいといった顔色を見せる。
「そんな良いものじゃあなかったっての。ハッキリ言ってとんでもない強さだったわ。単純なスペックなら昨日のアサシンと同等か、それ以上かもしれないわね──おそらくはさぞ高名な英霊なんでしょう。中華の武将らしき外見だったけど」
「中華の武将ねえ。あいにくと詳しくねえよ。呂布くらいしか知らねえ」
「心配しなくたって期待してないわよそんなの。それに、もう真名を気にする必要もないしね」
「お? ってことはもう嬢ちゃん達が倒しちまったってのか?」
「…………倒した、って言っちゃうと語弊が生まれるかもしれないわね。真っ向勝負は得策じゃないと判断してマスター狙いに切り替えたんだけど…………マスターに致命傷を与えた途端、バーサーカーが自分のマスターを木っ端微塵にしちゃったのよ」
「…………はい?」
「私達だって呆然としちゃったわ。詳しい理由は訊かれたってわかんないわよ。まああの強さを見るにただでさえ一流の英霊を更に狂化させてたんでしょうから、魔力消費を始めとするリスクも数倍だったってことでしょう」
「…………よくわかんねえけど、マスターが死んだんならもうサーヴァントもおしまいなんだろ?」
「おそらく、ね。マスターを殺したあと、バーサーカーがいよいよ掛け値なしに暴走しだしてどうしたものかと思ったら──ルーラーのサーヴァントがやってきたの。聖杯戦争の審判役の、マスターのいない英霊よ。そのルーラーが後は私に任せて下さい、なんて言うものだからお言葉に甘えてそこで撤退したのよ。それなりに手傷も負ってたからね」
「審判役のサーヴァント? そんなのまでいるのかよ」
「私も初耳だったけれどね。少なくとも過去四度の聖杯戦争ではそんなサーヴァントは召喚されていなかったはずだけれど…………まあ召喚されてたものはしょうがないでしょう。審判役が居るってことはありがたいと思っていいしね」
「そんなのがいるなら、まずアサシンを取り締まって欲しいもんだがな」
「それに関しては私も同意…………或いはルーラーでも手を焼いてるのかもしれないけれどね。ともあれ、そのあと当時の拠点に戻って、しばらく休んでから霊基盤を確認してみたんだけど…………そしたら、二騎のサーヴァントの反応が消失していたのよ」
「…………バーサーカーと、ルーラーか?」
「いや、ルーラーは無事みたいだったわ。でも、バーサーカーの反応が消失して──そのしばらく後で、今度はライダーの反応が消失したのよ」
「…………なんだそりゃ。なんでそこでライダーが出てくるんだ」
「私が訊きたいっての。何が何だかさっぱりよ。でも、バーサーカーとライダーの反応が消失したのは事実なの」
「またあの麗しいルーラーと出逢えたのならば、何があったか訊ねるのも良いかもしれませんね…………あの淑女は信用も信頼も出来ると思います。少し言葉を交わしただけでしたが、その心の清らかさは充分に伝わってきましたから…………おそらくあの方は我が王やギャラハッドに通ずる清廉な魂の持ち主なのでしょう」
アーチャーは感慨深そうに頷きながら言った。
「円卓の騎士がそこまで言うほどか…………まあいいや。とにかくバーサーカーとライダーがそれで脱落済みってことなんだな」
「ちぇっ、なんだよそりゃ拍子抜けだな」
セイバーだけが不服そうに口を尖らせるのだった。
「ええ。そして、その後しばらくは他の陣営の動くを探って、昨日アサシンの足取りを掴んで──って流れね。長くなっちゃったけど、私達の知る他の陣営の情報はこれで全部よ」
「そっか。まあ、参考になった。ありがとう」
「ええ、感謝してちょうだい」
「しかし、気前がいいねえ嬢ちゃんは。そんなに洗いざらい話しても良かったのか? オレたちはいずれ戦うことになるんだぜ」
「構わないわ、勝つのは私とアーチャーだもの」
「へっ、言ってくるねえ。ま、お嬢ちゃんがそれでいいってんなら口は出さねえがな」
そう言ってセイバーは最後のパンを口の中に放り込んだ。
やがてトーストが焼き上がり、それを取った明がジャムの瓶に手を伸ばし──
「…………おい。ウチの自家製ジャムをすっからかんになるまで使ったバカはどっちだ」
「………………(☞)」
「………………(☜)」
そこにはお互いに罪を擦り付け合う主従の姿があるのだった。