サクラサク

サクラサク


 桜が咲くにはまだ早いけれど、街路樹の枝には薄く色づいたたくさんの蕾がはち切れんばかりに実っていた。

 三月の中旬、今日は高校の合格発表日。

 最近はネットで公表されるから出かける必要もないけれど、やっぱりこういうのは自分の目で確かめたくて、あたしは制服に身を包んで外に出かけた。


 行く道は、ひとり。


 ここねちゃんも、らんちゃんも、あたしとは別の学校を選んだ。それぞれに夢があって、それぞれに目指したい未来があって、そして離れ離れでも揺るがない絆を信じていたから、あたしたちは寂しくない。

 目指す学校に着くと、校舎の前には大勢の人たちがもう集まっていた。制服はみんなバラバラ。大きな掲示板の前で歓声を上げたり、近くの人と抱き合ったり、掲示板の前で記念写真を撮ったりしてる。

 不合格で悲しんでる人は……パッと見じゃ見当たらなかった。倍率はそこそこあった学校だけどなぁ〜って、ちょっと不思議だけど、もしかしたら先にネットで結果を見て合格だった人ばかりがここに改めて来ているのかもしれない。

 あたしみたいに、結果を知らないままやってくる人はかなり少数派なのかも?

 あたしはドキドキしながら人混みに分け入って、掲示板を見上げた。

 自分の受験番号はすぐに見つかった。


「……あった」


 自分の番号と、受験票の番号を何度も見比べる。……うん、間違いない。

 あたしは無事に、第一志望の高校に合格した。


「ふぃ〜……」


 安堵の長いため息が口から静かに溢れた。

 良かった。これで……これで、あたし……


 やっとスタート地点に立てたんだ。


〜〜〜


 去年の夏、ゆいの誕生日を迎えたあの日、あいつは俺にこう言った。


「あたし、これからはひとりで頑張ってみる」


 って。


「今までずっと拓海に助けられてきたから……ここからはひとりでやり遂げたいんだ。拓海と、ちゃんと向き合うために」


 真剣な表情で見つめられて、俺は、その言葉を受け入れた。

 それから半年間、俺たちの関係は表面的には何も変わったようには見えなかったけれど、二人の間では間違いなく一線が引かれた。

 お互いの部屋を訪れることも無くなったし、それどころか家族同士の付き合い以外で会うこともやめた。

 その反面、なぜか俺と他のデパプリメンバーとの付き合いは増えた。

 菓彩とは同じ高校に進学しておまけに同じクラスということもあって中学時代より日常的に接するようになったし、レストラン・デュ・ラクやパンダ軒でバイトするようになって、芙羽や華満と二人きりで過ごすこともあった。

 とある事件がきっかけでソラや花寺たち別のプリキュアたちとも知り合い、ブラックペッパーとして共に戦ったこともある。

 俺が高校に進学してから一年、思えばゆい以外の子たちと関係を深めたり、新しい出会いがあった。自分でも驚くくらい世界が拡がって、繋がった、そんな気がする。


 でも……


 三月の今日、この日。ゆいの合格発表日。あいつは、俺と同じ高校を受験していた。

 正直言って最初は無茶だと思っていた。本気で合格したいなら俺が付きっきりで勉強を見てやらないと不可能だと思っていた。

 だけど、ゆいはやり遂げた。たったひとりで。


──合格したよ。


 そんな短いメッセージを受け取った俺は、事前の約束どおり家を出た。

 歩く道は、高校までの通学路。通いなれたその道の途中、未だ花の無い桜並木の下で、帰ってくるゆいの姿を見つけた。

 お互い、遠目からすぐに相手の姿を認識していたけれど、あいつは落ち着いた足取りのままで、だから俺も思わず駆け出したくなる気持ちを必死に堪えながら、そのまま歩み寄った。

 近づくと、ゆいはちょっと思い詰めたみたいな硬い表情をしていた。多分、俺も似たような表情になってたと思う。

 お互い手が届くかどうかという距離になって、立ち止まる。


「えっと……ゆい」


 色々と言いたいことがたくさんあって考えがまとまらないけれど、先ずはこれだ。


「合格、おめでとう」

「うん……ありがとう、拓海」


 彼女はちょっとだけはにかんだような笑みを浮かべた。

 それだけで、俺は心の中が熱くなる。ゆいの笑顔をこうやってちゃんと見たのは、いったいいつぶりだろうか。

 熱くなった気持ちのままに俺は口を開いた。


「ゆい、お前に話がある」

「うん。あ、でも、あたしも拓海に話たいことがあったんだ」

「そ、そうか」


 ゆいからも、って何だよ、何を言う気なんだよ。

 何でまたお前、真面目な顔になっちまうんだよ。

 やばい、どうしよう、俺、ゆいの話を聞くのが怖い。

 ゆいも少し俯いて、何か迷っているみたいな雰囲気を感じる。


「ねえ、た、拓海……そっちから先に話す?」

「い、いや、うん、えっと……じゃんけんするか?」

「そ、そうだね!」


 最初はグー、じゃんけんぽん。

 ゆいの勝ち。

 ゆいは勝った自分の手をしばらく見つめた後、深呼吸してから俺に目を向けた。


「拓海」

「お、おう」

「あ、あたし……あたしね、拓海のこと……」

「うん」


 ゆいは一度言葉を切って、また深呼吸して、そして覚悟を決めたみたいにこう言った。


「拓海のこと、これから先輩って呼ぶね!」

「うん?」


 いまなんつったコイツ? 思わず耳の穴を指でかっぽじってから俺は訊いた。


「なんだって?」

「だから拓海先輩って呼ぶね」

「何でだよ」

「だって同じ高校だし?」

「中学んときから一緒だったじゃねーか」


 ずっと呼び捨てタメ口だったのに何で今さら?

 というかわざわざ二回も深呼吸して覚悟決めてまで言うことか、これ?

 拍子抜けしてしまった俺の前で、ゆいが「だって」と唇を尖らせた。


「いつまでも幼馴染じゃ、拓海の彼女になれないもん」

「うん?」


 いまなんつったコイツ? 思わず反対の耳の穴を指でかっぽじってから俺は訊いた。


「なんだって?」

「拓海の彼女になりたい」


 聞き間違いじゃなかった。いや、さっきよりもはっきり言われた。

 耳の奥でゆいの言葉が何度も木霊して、俺の顔が一気に熱くなった。


「ゆ、ゆ、ゆ…い…」


 唇が震えて何にも話せなくなった俺をゆいは真っ直ぐに見つめて、言葉を続けた。


「あたしはずっと拓海に特別扱いしてもらってた。あたしも幼馴染ってそういうもので、ずっとそばに居るのが当たり前だって思ってた。でもそうじゃないんだよね。拓海には拓海の世界があって、それはどんどん拡がって、そして色んな人たちとも繋がって……いつまでもあたしだけの特別な拓海じゃいてくれないんだって、わかったの」


 本当の幸せは分け合うことにある。だから拓海を自分だけに縛りつけるのは、それはきっと拓海の幸せじゃない。

 だから、距離を置いた。

 拓海がみんなと世界を分け合うために。

 拓海が、みんなと分け合う幸せを知るために。


「拓海……世界は拡がった?」


 ゆいの問いかけに、俺は素直に頷いた。


「自分でも信じられないくらい、拡がって、繋がった」

「その言葉、ソラちゃんみたいだね」

「ああ。そして、今を、これからを生きていく、って強く感じている」

「のどかちゃんの影響かな?」

「そうだな。ついでに言うと新しい出会いもあって、ワンダフルな驚きでいっぱいだ」

「こむぎちゃんの正体がワンちゃんでしかもプリキュアだもん、びっくりだよね〜」


 他にも数えきれないくらいの出会いと、冒険があった。大切なものがたくさん増えた。


「拓海は、みんなの拓海になったんだね」


 ゆいは嬉しそうに、でも少し寂しそうな目で、こう続けた。


「みんな、拓海のことが大好きだよ。ここねちゃんも、らんちゃんも、あまねちゃんも。きっとソラちゃんやのどかちゃんだって拓海のことが大好き。それをあたしが何にもせずに独り占めしちゃうのはさ、ズルいと思ったんだ」

「ゆい、俺は、ずっと──」

「拓海」


 しーっ、とゆいの人差し指が俺の唇に触れて、言葉を遮った。


「あたしから言いたいの。だってこれが、あたしにとってのスタート地点。みんなへの宣言だもん」

「宣言?」


 うん、とゆいは頷くと俺から数は後ずさって、そして背筋を伸ばして、まっすぐ見つめあって──


──その唇が言葉を紡いだ。


「品田拓海先輩。あたしは、あなたのことが大好きです」


 ゆいからの告白。

 俺への告白。


「ゆい……」

「拓海はあたしのこと、どう思ってる?」

「……っ!」


 ゆいのその問いは、俺がずっと待ちわびていたものだった。

 でもいざその場面になると、俺は何も答えられなかった。ただ口をパクパクさせて、ゆいの綺麗な瞳を見つめ返して……バカみたいに立ちつくすことしかできなかった。

 だって……そんな……まさか……いやでも……ああ……もう!

  そんな俺の情けない姿に、ゆいがちょっと寂しそうに笑った。


「ごめんね、拓海。いきなりこんなこと言って……」

「あ、いや、違う! そうじゃなくて……その……」


 俺は慌てて首を振って否定した。そしてゆいの目をまっすぐ見つめ返してから口を開いた。


「俺も、ゆいのことが好きだ!」

「……っ!」


 今度はゆいの方が言葉を無くして俺を見つめ返したまま固まった。

 でもすぐにその瞳に涙が溜まっていくのが見えた。そして、涙はすぐに溢れて頰を伝った。


「うれ……しい……」


 そんなゆいが愛しくて、俺はゆいの手をそっと握った。


「俺は、ゆいとずっと一緒にいたい」

「うんっ! うんっ!」


 ゆいが頷くたび、頬から涙がボロボロととめどなく落ちていく。

 俺が頬に指を伸ばしてその涙を拭うと、ゆいは照れくさそうに笑って、そして、


「拓海、大好き!」


 勢いよく飛びつかれて、力いっぱい抱きしめられた。


「うぐ」


 俺は後ろに倒れそうになったけれど、彼女の柔らかい体を負けじと抱きしめ返しながら、なんとか踏ん張る。

 少しのけ反って見上げた視界に、枝の片隅で一輪の桜が、俺たちを祝うみたいに花開いていた──


〜〜〜


「ところでゆい、みんなへの宣言ってどういう意味だったんだ?」

「ん? 言葉どおりだよ。今日、合格したら拓海に告白するって、みんなに知らせてたんだ♪ ハートキュアウォッチを通じてみんな聴いてるよ♪」

「…………………………」

「あ、これから他の子たちも拓海に告白しに来るって言ってたから、ちゃんと断ってね💕」

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