世界最大級のスラムで子どもたちにサッカーリーグを届ける

――ケニアが大好きになった5か月間――


by 平塚里奈

アフリカ地域専攻、2020年度入学

1.はじめに


 みなさんこんにちは。私は留学していたわけではないのですが、2023年5月~9月の間、ボランティアでケニアに行ってきました。今回はそのとっても濃かった5か月間について、書き記します。読み終わったころには皆さんに私のケニア愛が伝わって、「ケニア行きたい!」と言っていただけたら幸いです(写真1)。

写真1: ケニアの服とブレイズヘアでお気に入りの1枚 

2. 目的と滞在先


ケニア滞在の目的は、ナイロビのキベラスラムで子どもたちのためのサッカーリーグを実施しているA-GOAL(https://a-goal.org/の活動に現地で参加することでした。A-GOALには2022年秋ごろからボランティアとして所属していて、主に広報のお仕事をさせていただいていました。A-GOALは基本オンラインで活動をしている団体なので、この時は私も日本で活動をしていました。


もともと、「在学中にアフリカには絶対に行く!」と思っていたので、3年が終わったタイミングで休学することは決めていました。しかし、どの方法で行くかは悩んでいました。というのも、留学、在外公館派遣、1人旅などアフリカ行きの選択肢はたくさんあったからです。


特にアフ科の1つ上の代は多くの先輩方がアフリカを旅していたこともあり、当初は1人旅でアフリカの数か国を旅しようと考えていました。しかし、さすがに初めてのアフリカを1人で旅するのは不安だったこと、A-GOALリーグに携わるためケニアにある程度の期間滞在したかったこともあり、ケニア・エンブにある日本のNGO団体ACEF(https://acef-jpn.com/で2か月間お世話になることを決めました。


ACEFは天理教の団体で、敷地内には幼稚園、小学校、中学校、職業訓練校、病院が併設しています。常に日本人の管理人の方が駐在しており、ボランティアの宿泊施設も安全な敷地内にあるので、初めてのアフリカ滞在としてはとても安心でした。(天理教の団体と言っても、天理教への勧誘やお勤めへの参加の強制等は全くありませんでした!)また、活動内容は自分で自由に決めることができたのでA-GOALという別の団体の活動をしたい私にはとてもありがたい環境でした。


当初はACEFに6月末まで滞在したら帰国する予定でした。しかし、ACEFで過ごす2か月間でケニアが大好きになってしまい、2か月だけの滞在では物足りないなと感じるようになりました。そこで、8月初旬まで滞在を延長することを決めました。


ただし、ACEFではなく、同じくケニア滞在を延長することを決めた同期の大屋結莉さん(大屋さんのアフリカ体験記はこちら)とナイロビでシェアハウスをすることにしました。理由は、ナイロビで部屋を借りて生活をする方がACEFに滞在するより支出を抑えられたのと、A-GOALリーグはナイロビで実施されているためより高頻度で通えると考えたためです。


部屋はホテルやAirbnbを探すためによく利用されるBooking.comというサイトを使ってとりあえず1か月で予約しました。1か月45,000ksh(ksh=ケニアシリング、1ksh≒1円)だったので、2人1泊1,500kshと考えたらナイロビにしてはかなりお手頃な方だと思います。しかもゲートも24時間の警備員も付いていたので、セキュリティに関してもパーフェクトでした。


8月初旬まで滞在すると決めた私ですが、7月中旬まで過ごしてみてやはりもう少しケニアにいたいなと思うようになりました。単純にケニアが楽しすぎて日本に帰りたくなかったのと、9月のリーグ開幕を見届けたかったからです。そして私は9月26日までの滞在延長を決めました。

3.ケニアでの生活

かくして私は5~6月をエンブのACEF、7~9月をナイロビのアパートメントで過ごすことになりました()。その間の生活について、書いていこうと思います。

図:ケニア国内のエンブとナイロビの位置

・エンブ(ACEF)での生活について

ACEFは前述したように日本のNGOなので、かなり生活環境は整っています。

寝室は温水が出るシャワーと水洗トイレ付きの1人部屋で、ご飯は3食付いています。

ご飯は「日本人ダイニング」と呼ばれる共同キッチンで基本食べます。夜ご飯のみ全員で一緒に食べて(写真2)、朝と昼に関しては個人のタイミングで好きなものを食べます。前の日の夜ご飯を食べるもよし、常備してある卵や野菜を使って勝手に料理するもよし、といった感じです。

写真2: ACEFのダイニングで日本人ボランティアと 

常に日本人ボランティアが入れ替わり来るのでその人たちが持ってきた日本の食材もありますし、ACEF側でお米や日本の調味料は常備してくれています。ご飯も毎日炊かれています。ちなみに、ケニア人スタッフは基本自宅から通勤しているため食事や睡眠は自宅で取ります。

生活に必要なものに関しても、基本的に用意してくれます。トイレットペーパーやハンドソープ、洗濯洗剤など。ただ、シャンプーリンスやボディソープなど個人で使うものに関しては各自購入する形です。これも必要であれば、日本から持って行かなくても近くのスーパーに連れて行ってもらえます。

洗濯について。ケニアの中ではとても珍しいのですが、洗濯機があります!ケニアでは洗濯機は本当に裕福な家庭しか持てないアイテムで、私もACEF以外では見たことがありません。ACEFにいる間はありがたく使わせていただきました。

外出について。基本的に、勝手に敷地内から出てはいけません。最低でも管理人の日本人に伝える必要があります。近くのタウンに昼間少し買い物に行く程度であれば日本人だけで行かせてもらえることもありましたが、ナイロビであったり、バスで移動などはケニア人スタッフが付いてきてくれたりACEFの車を出してもらったりという形でした。自由はあまりない環境かもしれません。

このように、ACEFでは基本的に日本とはあまり変わらない、安全な生活を送らせてもらいました。私のように初アフリカという方にとっては、慣れるまでの環境としてとてもいいと思います。ただ、慣れてくると前述したように自由があまりないので物足りなくなってくる方もいると思います。私もケニアに慣れる期間ということで2か月の滞在はとても丁度よかったなと思います。

・ナイロビでの生活について

ナイロビでの生活は、ACEFでの生活とは打って変わってローカルな人々の生活に近かったと思います。

滞在先こそセキュリティのしっかりしたホテルでしたが、道端で売っている野菜を買って、ウガリ(トウモロコシ粉を熱湯でこねたケニアの主食)やチャパティ(小麦粉をこねたものを薄く焼いた主食、ナンのような食べ物)やボガ(主食と食べるおかず、キャベツやほうれん草、トマト、肉を炒めて塩で味付けしたもの)を食べて、手で服を洗って、マタトゥ(バス)やボダボダ(バイクタクシー)に乗るという生活(写真3)。

私にとってはこの生活が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。特に移動手段であるマタトゥとボダボダはとても恋しいです。それとナイロビのタウンの喧騒も。

写真3: マタトゥの内装 

ローカルの人たちと基本的に同じ生活をすると、食費や交通費をとても抑えることができます(写真4)。例えば野菜はトマトが3つで20ksh、アボカド1つ30~50ksh、キャベツ1玉25ksh~ほどで買うことができます。主食のチャパティで1枚20~40ksh、ウガリ1食分20~30kshほどです。

写真4: 近所のレストランでの85kshの食事 

交通費に関しては、現地の人たちと同じようにマタトゥとボダボダを利用すればかなり安いですし、どこでも行けます。むしろ日本に帰ってきてから公共交通機関が行き届いていないなあと感じるほどです。

私がよく利用していたマタトゥの例を紹介すると、エンブからナイロビまで約3時間の道のりで400~500ksh、住んでいたアパートからナイロビ市内まで約40分の道のりで50~80ksh。

ケニア在住の外国人は、安全管理のためにUberのタクシーを利用しがちですが、慣れてきてローカルの交通手段を使えるようになると交通費は10分の1以下になります。ケニアの公共交通機関を利用するのは危険ではないのかと皆さん思われるかと思います。

これについて、安易に危険ではないと言うことはできませんが、私自身は交通機関も含め、ケニアでの5か月間で危険を感じたことはありません。これは最低限の安全管理を意識した上ではありますが、個人的にはケニア渡航前に調べた情報にすごくビビっていたので、逆に「意外と全然危なくないじゃん!」と感じてしまいました。

ただ、スマホから目を離したすきに盗まれたり、尻ポケットに入れていて盗まれたり、現金を引き出したのを見られていて追いかけられて盗まれたり、という話は身近にも聞いたことがあるので常に気を引き締めておくに越したことはありません!

ナイロビ生活の2か月間を共に過ごした大屋結莉さんとの生活も少し触れておきます(笑)。一番思い出深いのは、夜な夜な2人で語り合ったことです。遠いナイロビの地で、不安も喜びも分かち合える同期がいたことはとんでもない奇跡だし幸せでした。停電して真っ暗な中、ベランダで見た星は忘れません。結莉、ありがとう!

3.A-GOALでの活動について


私がボランティアとして活動しているA-GOALは、コロナ禍のアフリカにスポーツチームを通じて食糧支援を実施したことで始まった団体で、「スポーツを通じた開発」を掲げて活動をしています。


現在は主にケニアでのキベラA-GOALリーグとマラウイでのレストランZATHU経営が活動の軸となっています。代表の岸卓巨氏を始めとする日本人メンバー約40人がボランティアで活動しています。本部とケニア支部、マラウイ支部に分かれており、基本的にオンラインで活動している団体です。私は参加した当初(2022年10月)からケニア支部のメンバーとして活動を始めました。


ケニア支部では、ケニアの首都ナイロビにある世界最大級のスラム・キベラスラムの子どもたちのためにサッカーリーグを開催しています。年に2回リーグを開催し、それぞれ15週間、毎週末試合があります。


参加する子どもたちはU-9、U-11、U-13、U-15の4カテゴリーに分かれて戦います。始まったのは2022年10月なので2023年11月現在で3回目の開催ですが、参加する子どもの数は600人から1400人になりました。これまで参加した子どもの総計は2800人にのぼります。トーナメントではなくカテゴリー内すべてのチームの総当たり戦で行っているため、試合数も多くこれまで2000試合以上を開催してきました。


また、リーグだけでなく試合の後には毎回参加した全員分の食事の提供も行っています。食事の提供は2023年ファーストレグから提供が始まり、これまでに3万4000食以上を提供しました。


このリーグを運営するため、ケニア支部には広報チーム、イベントチーム、クラウドファンディング対応チーム、現地運営チームがあります。すべてクラウドファンディングで寄付していただいた資金で運営しているため、サポーターへの広報やイベント、お礼の部分は大切な仕事になります。


ケニアに行く前から私は広報の仕事を担当していました。具体的にはキベラから届いた子どもたちの写真を編集したり、記事を書いてSNS等に投稿する仕事です。


ケニアに渡航してからは、仕事内容が少し変わりました。現地にいるということで写真撮影やインタビューから記事作成等、広報のほとんどすべてを対応するようになりました。また、日本とのオンラインイベントの際には現地メンバーとしてキベラスラムから参加したり、ケニア人メンバーとのミーティング調整等、コミュニケーション要員としての仕事もありました(写真5)。

写真5: グラウンドで現地スタッフと 

ケニアで仕事をさせてもらって一番大変だったのは、日本人とケニア人の時間に対する感覚の違いでした。ケニアでは「時間を守る」という考え方があまりないため、イベントはスケジュール通りに進まない/始まらないことが当たり前です。

そもそもケニア人が実施するイベントにはスケジュールが存在しないことが多いのではないかと思います。ただ、日本とオンラインイベントを実施するときには時間管理が必須となります。

例えば日本では当たり前だと思いますが、1時間という枠の中で、何を見せるのか、スケジュールを設定しますよね。しかし、それをケニア側に事前に共有して打ち合わせをしていたとしても、当日その通りにはいきません。

実際にあった例を紹介すると、リーグ最終戦の日に試合後の表彰式を中継するというイベントがありました。事前に「開始10分~ダンス披露、20分~表彰式を中継する」といったようなスケジュールを共有していましたが、まずイベント開始時刻に最終戦が終わっていませんでした(⁉)。そこからイベント会場に移動、すると最初から最後までDJの音楽とダンスが続き、、、といったように、全くスケジュール通りに運びませんでした。

この様子を見た私は、その次のイベントの際にはケニア側と入念な打ち合わせをし、リマインドも何度か行い、自分の頭の中でもシュミレーションをしっかりとして挑みました。結果、インタビュー予定だったケニア人1人を途中で見失うというハプニングはありましたが、とてもスムーズに進み、日本側からもケニアでこれほどスムーズに進むとは、といった感想をいただきました。

日本であればさっと確認して調整できるところがケニアではそうもいかない、というのは学びになりました。誤解を招かないために言っておくと、個人的にはこのケニアの適当さが大好きです!

4.A-GOALの経験から感じたこと

A-GOALリーグではキベラスラム出身の子供たちにサッカーリーグを提供しているという構造上、たくさんの貴重な機会をいただきました(写真6)。その中でもすごく心に残ったエピソードが2つあります。

写真6: 私のスマホで写真を撮る子どもたち 

1つ目は、リーグに参加していた男の子が「サッカーリーグを開催してくれてありがとう」と言ってくれたことです。私はその時「アフリカ・ケニアとの関わり方」に悩んでいました。

私には、大きく3つの疑問がありました。

①何かを変えたいという気持ちはエゴではないのか

ケニアの人々は貧しいながらも毎日を楽しく生きていました。言ってみれば日本で暮らす人々よりも楽しそうでした。そんな彼らにより楽しい生活を届けたい、なんてエゴだし傲慢ではないか、と感じていました。

②「対等な立場で」なんてできないのではないか

私は大学で国際協力の勉強をする中で、自分自身が実際に現場に行ったら「対等な立場で現地の人と一緒に」というスタンスでいたいと常々思っていました。しかし、いざその場に飛び込むと否応なく違う立場にいるということを思い知らされました。

スラムでなくとも、ケニアのどこに行っても「学生の身分でアフリカに来られるリッチだね!」と言われてしまう。私は日本では特に裕福な家庭で育ったわけではないし、むしろ貧乏だったし、アフリカに来るために必死でバイトしたお金を使い果たして来たのに、、、。

でも、そもそも学生の身分で働いてお金を稼げるだけで恵まれた環境にいるのだなと気づきました。頑張っても環境を変えるのが難しい人たちを前に、同じ立場に立てないことに罪悪感を感じてしまうことがありました。

③スポーツに何ができるのか

私はスポーツを通じた国際協力に興味があり、スポーツには力があると漠然と信じていても「スポーツに何ができるのか、何かできるのか」について疑問に感じることがありました。食事とかお金のようにもっと直接的に支援できることはあるのになぜスポーツなのか、周りの日本人から聞かれることも多くそのたびに自分自身も考えました。

その男の子の「ありがとう」という言葉は、これらの私のちっぽけな問いを吹き飛ばしてしまうほど、とても印象的でした。1人でも喜んでくれる子がいるのなら、私はその子たちのために自分ができることを頑張るだけだと思うことができたからです。

もう1つの心に残ったシーンは、ケニア滞在も残り少なくなったころ、初めてキベラスラムの内部に入った時のことです。リーグに参加している子どもたちが住んでいる地区を初めて見ました。

その時、スラムにはサッカーをできる場所がほとんどないことに気づきました。あって30㎡の空き地で、袋に丸めた新聞紙を詰めて作った簡易的なボールでサッカーをしているそうです(写真7)。その時、毎週末すごく楽しそうに試合をしている子どもたちの姿がスッと腑に落ちました。

写真7: キベラスラムの空き地と簡易ボール 

思う存分駆けまわることが困難なほど混み合ったスラムの中で生きている子どもたちにとって、リーグは文字通り子どもたちの楽しみであり、希望になっているのだなと。その継続のために私は頑張ろうと思うことができました。

5.ケニアの好きなところ


ケニアで過ごした5ヶ月で、ケニアのここがすごく好きだなあと思ったことがあったので紹介します。


ケニア人はいい意味でも悪い意味でも適当で、細かいことを気にしない性格の人が多いのですが、私にとってそれは心地よく、ケニア滞在を楽しめた理由の1つだと思います。


ケニア人にとっても、それは人生を楽しむ秘訣だと思います。ケニア人の口癖は「Hakuna matata(問題ないさ)」と悪いことが起きた時の「It’s life!(これが人生さ!)」。私自身この言葉に何度救われたか。


ケニアの人たちは貧しい中でも人生を楽しむことを忘れません。苦しいときもこの言葉たちとともに乗り越えて、強く笑って人生を生きるのです。大好きなケニアの人たちから学んだことの1つです(写真8)。

写真8: 道で出会ったおばあちゃんがメイズをくれた

6.おわりに


ケニアで過ごした5か月間で、本当に価値観がガラッと変わりました。こんなにケニアが大好きになるなんて思っていなかったし、アフリカに戻りたいと思うようになるとは思っていませんでした。


ケニアに行って今後の人生でもアフリカに関わっていきたいと強く思ったので、これからその関わり方を模索していきたいと思います(写真9)。ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。

写真9: キベラの子どもたちと 

最終更新:2023年11月17日