ネル曇らせ
いったいアレらがどんな風にミレニアムのセキュリティを掻い潜ってきたのかはわからない。
ただ、ミレニアム総がかりで場所の特定、索敵に奔走し、ほどなく目標地点は捕捉された。
そこは暴漢のアジトなんだろう、分かった範囲でも存外敵の人数がいるため、C&Cだけで一人残らず捕らえるのは不安が残る状況だった。
とはいえ敵の装備は粗末なのも見て取れ、カバーし合える動員人数が稼げることもあって、腕に自信のある連中はあたしらの後続部隊として編成された。
突入してみればあたしらC&Cはマークされてたみたいで、敵戦力の大部分があたしらをどうにかしようと集中しやがった。しかも奴ら、ヘイローがない。
先生と同程度の身体能力と耐久力ってので、その気になれば簡単にねじ伏せられる。むしろ脆すぎて気を使うくらいだ。
そんな中、ユウカの救出に先行したのが後続部隊にいたゲーム開発部の双子だった。
抵抗してくる敵をインファイトで千切っては投げ、ぶん殴って……人数がいたから手間こそかかったが大したこともなく、やがて敵の制圧は完了した。
伸びた連中が縛られ、護送トラックに積まれていく。投降したやつは武装を剥がれ、これも拘束される。
静かになったアジトで、一応は残党や罠に警戒しつつ、奥に進んだとき、全てが終わっていた。
あたしがそこに近づくと、別途先行していたマキが、反吐に塗れてうずくまっていて。
それからパン、パンと銃声が、遅い間隔で響く。激しく撃ち合ってるって感じじゃない。
そこは、かつては医務室だったらしい部屋だった。
泣きじゃくり、えづいて何も喋れないマキが何を見たかを薄々察して、そして……
畜生ッ。
ベッドにはぐったりしてヘイローを現わしていないユウカ。その体に透明や白っぽい汚れがついている。つっても、腹が静かに上下していて、息があるのはわかった。
そして――惨たらしく転がる、血まみれで動かない男たち。男、だったもの、っていうべきか。その半分以上は、身体の重要部位が原型を留めていない。
部屋中に満ちる血の匂い。それだけじゃない、もっとキツい臭いも混じっている。多分破けた腸とかだ。頭が痛くなる。
そして、僅かにまだ息のある二人の男にそれぞれ跨る、目の座った双子。白基調の制服のほとんどが、赤黒く染まっていた。
「そいつはユウカのおっぱい舐めてたんだって」
「そ、じゃあそこ潰しとくね。ミドリ、そっちはクチに入れたって」
「じゃあクチだね」
男の胸の上でマズルフラッシュが光る。絶叫らしい絶叫が上がらないのは、モモイが服か何かで口を押えてるから。血は思ったより噴き出さないが、最初から血みどろだったので、既に噴き出るような血は流れた後なのかもしれない。
そしてミドリは銃口と男の口とをキスさせて――
「何やってやがるバカ!」
ミドリに銃を向けるには、何もかも遅かった。
バン、と乾いた音がすると、それの頭は割れたザクロのようになった。
ぞっとして、指先がすっと冷たくなっていく。
「……あ、ネル先輩。片付きましたよ、これ」
「……いや、掃除はもっと大変になったけどさ、散らかしてごめんねー」
声のトーンは落ち着いているのに、確実に正気のトんだ声音だった。
謝ってるけど、決定的にずれた返事。いつもすっとぼけた連中だけど、そういうんじゃない。
二人がやったことを、当たり前のことと思うほどにキレたか、あるいはそう思い込んで心を守ってるか。
どっちにしろ、あたしは重大なミスを犯したんだ。
あたしらは雑魚にかまけてる場合じゃなかった。一番過酷な場所を請け負う、一番見るに堪えない光景を引き受ける、そのために訓練してきた部隊なんじゃなかったのか。
それを敵の練度を見て、あいつらの練度だけを見て。最悪のミスをしでかした。
「……外の敵はもういないはずだ、ユウカを連れて帰るぞ」
あたしは二人をどうすることもできなかった。口実にするようにユウカを運ぼうとする。
タイミングがよかったのか最悪だったのか、今しがた撃ったのが最後の二人だったらしい。
指示しなくとも、モモイとミドリがユウカをシーツでくるみ、左右から身体を支える。あたしは足を持って先導する形になって、部屋を後にした。
出てすぐにアカネとアスナが来てくれて、動けないでいるマキの救助、そして部屋の封鎖を頼めたのは幸いだった。
結局敵がどういう輩だったかは調査中でまだよく分かっていない。キヴォトス外部から来て、悪意ある誰かの手先になってた、ってことだが、尻尾がまだ掴めていないらしい。
ユウカはトラウマに悩まされ、苦しんで、定期的にカウンセリングを受けて過ごしている。
それとは別に、モモイとミドリもまた、カウンセリングの対象になった。
悪人とはいえ、作戦中とはいえ、人を死に至らしめた。それは狭い連中にだけ共有され、結果、その措置に決まった。
あの日から二人ははしゃぐことがなくなった。ゲーム開発を続けてるみたいなんだが、まるで感情が凪いだみたいに、静かになっちまった。
それを招いたのはあたしの判断ミスだ。そう名乗り出ても、先生はあたしの責任じゃないという。
「チビメイド先輩……」
あたしの部屋にゲームしにきたアリスが沈痛な顔して言う。ゲーム開発部の新作は出来がいいらしい。だけど、と続く。
「新作の悪者は、魔王じゃないんです。悪い人……絶対許せないような、すごくすごく悪い人で。それを徹底的にやっつけるんです。仲間とか、出会いとか、希望とか、冒険の中の嬉しいことはないままです」
断罪。復讐。執行者。そんなキーワードが並んだ、これまでのあいつらのゲームとまるで別物らしくて。
アリスはそれを辛そうに話す。
けれど、それを変えさせたり、やめさせることは、しなかったのかできなかったのか。そういう話は出てこなかった。
精彩を欠いたアリスのキャラは、全然強くなくて、あっさりとストレート勝ちできてしまった。
何の感慨もない勝利だった。
喧噪の戻らないミレニアムの静かな空気。あたしは積もる罪悪感を誤魔化すように、ゲームセンターの騒音を浴びては帰るのが日課になっていた。
帰り道。人の少ない高架下。
そこにあったのは、橋脚に描かれたグラフィティ。そして、放置された塗料だった。
そんなものを描く奴は多くなくて、他にやってるやつもいるのかもしれないけど、真っ先に思い浮かぶのは一人だけだ。もしかして忘れモンか、と思って拾いにいく。
カラフルに彩られた文字。一文字一文字が別の色で塗られて、それが左から描かれている。R、E、B、■.……Bの次の字は真っ黒なスプレーで塗りつぶされて、先は途切れていた。
他人の書いたいたずら書きを潰すいたずらもあるのか、と思ったのは一瞬で。ふと感づいた何かに、ちりちりと首の後ろが熱くなる。
纏めて置かれてる缶とは別に、二本だけ離れて転がっている。
絵の前にあったのは黒。拾い上げると、それは軽くて空っぽみたいだった。
それから……あたしはその予感をまさかと否定し――違っていることを祈りながら、まるで”咄嗟に投げ捨てたように遠くにある”缶の色を見て……祈りが通じなかったことを確かめた。
まだずっしり重く、中の液が揺れるスプレーの色は赤。
塗りつぶした黒をよく見る。一面の黒の下、乱雑なスプレーの隙間にあったのは……赤。血の色。あいつが見ちまっただろう、死の色。
つまり、あいつは赤を塗ろうとして、出来なくなった……
それも、あたしのミスが招いた結果だ。
書きかけのそれを前に膝をついて、慟哭が溢れた。
R、E、B。その先に続くはずだった単語は、多分Reborn、Rebirth、Reboot……どれにせよ再起や再生を意味する願いの言葉。
それが放り出されたグラフィティに絶望的な意味を読み取って……あたしの心は、押し潰れた。