No. 1995 イスラエルの対ガザ戦争は核戦争になるのか?

Could Israel’s War on Gaza Go Nuclear?

危険は増すばかりである

by Joshua Frank

世界で4番目に強いイスラエル軍は、武装した入植者たちとともにガザを荒らしまわり、10月7日のハマスの残忍な虐殺のあとヨルダン川西岸でパレスチナ人を恐怖に陥れている。他の多くの植民地プロジェクトと同様イスラエルはテロから生まれ、それ以来アラブ領土を占領し、パレスチナ人を隔離するために暴力を行使する必要があった。敵対的な地域にあるため、イスラエルの存在は優れた軍事力に依存しているという認識は、1948年にイスラエルが創設された直後に核兵器プログラムを進めることを奨励した。

イスラエルは若い国だったが、1950年代半ばまでにフランスの援助を受けて秘密裏に大型原子炉の建設に着手した。ドワイト・D・アイゼンハワー米大統領の政権に知られることなく2つの同盟国が手を組んで核兵器計画を開始したことは米国情報機関の大失敗(そして恥ずべきこと)であった。

アイゼンハワー大統領の最後の任期である1960年6月まで、ディモナ計画としてすでに知られていたものを米国政府関係者が気付くことはなかった。イスラエルの石油王であるダニエル・キムヒは、テルアビブの米国大使館で開かれた深夜のパーティーで明らかにカクテルを飲みすぎたために、イスラエルが実際にネゲブ砂漠に大規模な「発電用炉」を建設しているという驚くべきことを米国の外交官に告白したのである。

「(キムヒは)このプロジェクトは約60メガワットの電力を生産可能なガス冷却発電用炉であると説明している」と、1960年8月に国務省に送られた大使館の報告書には記されている。「(キムヒ)は、作業は約2年前から進められており、完成予定日はまだ約2年ほど先だと言っていた」

だがディモナ原子炉は増大するエネルギー需要に対応するために建設されたのではなかった。後に米国が知ったように、この原子炉は(フランスの意見を取り入れて)イスラエルの核兵器開発計画を始めるにあたりプルトニウムを生産するために設計されたものだった。1960年12月、米国政府関係者がイスラエルの核兵器開発に対する懸念を強める中、モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル仏外相はクリスチャン・ヘルター米国務長官に、フランスがイスラエルのプロジェクト立ち上げに協力し、原子炉に必要なウランなどの原料も提供することを認めた。その結果フランスは、ディモナが生産したプルトニウムの分け前を得るのである。

イスラエルとフランスの高官は、ディモナは平和目的のみで建設されているとアイゼンハワーに保証した。さらに注意をそらそうと、イスラエル政府高官はディモナは繊維工場から気象観測施設まで、兵器級プルトニウムを生産できる原子炉以外の何にでもなると主張し、その主張を裏付けるためにいくつかの偽装工作も行った。

原子力を否定

1960年12月、イスラエルがダーティーな(つまり極めて放射能が高い)核兵器を建設していると懸念するイギリスの核科学者から情報を得た記者チャップマン・ピンチャーは、ロンドンの『デイリー・エクスプレス』紙にこう書いた:

    英米の情報当局はイスラエルが初の実験用核爆弾の製造に大きく前進していると考えている。

イスラエル当局はロンドン大使館から簡潔なコメントを発表した:

    イスラエルは原子爆弾を製造していないし、そのつもりもない。

アラブ諸国が、ワシントンがイスラエルの核開発を援助していると懸念する中、原子力委員会のジョン・マコーン委員長は機密指定されたCIAの文書をニューヨークタイムズのジョン・フィニーにリークした。この文書によれば、米国はイスラエルがフランスの助けを得て核炉を建設しているという証拠を持っており、これはワシントンがイスラエルの核開発を喜んでいない証拠であると主張した。

アイゼンハワー大統領は驚愕した。彼の政権が情報を得ていなかっただけでなく、彼の役人たちは将来イスラエルが核武装すれば、既に不安定な地域がさらに不安定になると懸念した。1961年1月にパリの米大使館に送られた国務省の電報には、「アラブ諸国からの報告が、多くの人々がこの可能性(イスラエルの核兵器)をどれほど深刻に見ているかを裏付けている」とあった。

その核開発計画がマスコミを騒がせ始めると、イスラエルのダヴィド・ベン・グリオン首相は、この暴露を軽視させようと素早く動いた。 彼はクネセト(イスラエル議会)で演説し、国が核開発計画を進めていることを認めた。「メディアの報道は誤りである。ネゲブに建設中の研究用原子炉はイスラエルの専門家の指導の下で建設されており、平和目的のために設計されている。完成すれば、他国の科学者にも開放されるだろう」と述べた。

もちろん彼は嘘をついていたし、米国人もそれを知っていた。平和目的などではなかった。さらに悪いことに、米国の同盟国の間では、アイゼンハワーが策略にはまり、彼の政権がこの計画を軌道に乗せるためのノウハウを提供したというコンセンサスが高まっていた。そうではなかったが、米国政府は、国連によるディモナ査察を阻止しようと必死になった。

1961年5月、ジョン・F・ケネディが大統領になると状況は一変した。ケネディ大統領は、原子力委員会の科学者2人をディモナの視察に派遣した。彼はイスラエルの誇大宣伝の多くを信じたが、専門家たちは工場の原子炉が「兵器に適した」プルトニウムを生産する可能性があると指摘した。米中央情報局(CIA)は、イスラエルの主張をあまり信用しておらず、現在では機密扱いとなっている『国家情報評価書』の中で、原子炉の建設は「イスラエルが核兵器プログラムに着手することを決定した可能性があることを示している。少なくともイスラエルが核兵器開発を決断した場合、速やかに核兵器開発ができるような形で核施設を開発することを決定したと考えられる」と記していた。

そしてもちろん、まさにそれが起こった。1967年1月、『NBCニュース』はイスラエルが核兵器能力を持つ寸前であることを確認したのだ。その時点で米国政府関係者はイスラエルが核開発に近づいていること、ディモナが核爆弾に匹敵するプルトニウムを生産していることを知っていた。数十年後の2013年、米国防情報局の数字を引用した『Bulletin of the Atomic Scientists(原子科学者会報)』は、イスラエルが最低80個の原子兵器を保有し、中東で唯一の核保有国であることを明らかにした。パキスタンが核兵器を保有したのは1976年であり、いずれにしてもパキスタンは南アジアの一部と考えられている。 

今日に至るまで、イスラエルはそのような兵器の保有を公然と認めたことはなく、国際原子力機関(IAEA)の査察団が秘密基地を訪れることを一貫して拒否してきた。それにもかかわらず、2021年にはディモナで「主要プロジェクト」が進行中であり、イスラエルはそれまでに核生産施設を積極的に拡張していたことを示す証拠がある。しかし、ディモナでの国連やその他の査察の欠如は、イスラエルが核弾頭の存在を公に認めず、説明責任を果たす脅威がないことを意味する。

ならず者の核保有国?

1967年6月の6日間戦争後、イスラエルはヨルダンからヨルダン川西岸地区、エジプトからガザ地区とシナイ半島、シリアからゴラン高原など、アラブの広大な土地を占拠した。その年がイスラエルが核の閾値を越えた瞬間でもあったことは偶然ではない。(2017年、イスラエルは6日戦争の寸前に近隣諸国への究極の脅威としてエジプトのシナイ砂漠で核爆弾を爆発させることさえ検討していたことが明らかになった。)

当時、人権弁護士のヌーラ・エラカットが『The Dig』でダニエル・デンヴィアに語ったように、リンドン・ジョンソン政権はイスラエルを「冷戦時代の重要な資産」とみなし、イスラエルが単独で、あるいは集団で中東のいかなる大国をも打ち負かすことができるような、この地域における質的な軍事的優位を確保するという新たな政策を非常に迅速に(方向転換して)確立したという。そしてそれは、冷戦時代に「ソ連と競争して中東全域での影響力を確保するため」に行われたと彼女は付け加えた。

イスラエルとアメリカが最も緊密な同盟国である限り、イスラエルは中東におけるワシントンの軍事的代理人として機能することができるとワシントンは考えたのである。「1966年から1970年まで、1年あたりの平均援助額は約1億200万ドルに増加し、軍事融資は全体の約47%に増加した」と議会調査局は2014年に報告している。「イスラエルは1974年、米国の対外援助の最大の受益国となった……1971年から現在に至るまで、米国の対イスラエル援助は年平均26億ドルを超え、その3分の2は軍事援助だった

ワシントンが共生的で互恵的な関係を望んでいるにもかかわらず、イスラエルは、指導者たちが自分たちの利益になると考えれば暴挙に出ることを恐れなかった。1981年6月、イスラエルはフランスとイタリアの支援を得て、当時イラクに建設中だったオシラク原子炉を爆撃した。

ロナルド・レーガン大統領の政権のトップ高官は、イラクへの空爆にアメリカのF-16が使われたことに不満だった。なぜならイスラエルは「正当な自衛の場合にのみ」戦闘機を使用することが法的に求められていたからである。しかし水面下での交渉の末、彼らはこの問題を外交的な紛争として片付けることにした。イラクの核プログラムを阻止し、イスラエルがこの地域で唯一の核兵器を維持することが空爆を正当化すると考えるようになったからだ。

1980年代末には、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、イスラエルは米国、パキスタン、サウジアラビアと共に、対ソ連のムジャヒディン抵抗戦士に武器を供給する「オペレーション・サイクロン」に参加した。冷戦が終結し1990年にイラクで始まった湾岸戦争では、イスラエルが直接紛争に参加すればアラブ諸国が対抗してイラクのサダム・フセインによるクウェート侵攻に加担する可能性があると考え、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の政権を裏から支援した。かつては米国とイスラエルの結びつきは希薄だったが、イスラエルが時折、情報や他の秘密の支援を提供することでこの地域における米国の作戦において重要な役割を果たすことができると長い間理解されてきたのだ。

危険な状況に進展

9.11同時多発テロの後、イスラエルはジョージ・W・ブッシュ政権にオサマ・ビンラディンをどう扱うのが最善かを助言した(後に彼を殺害する待ち伏せのための情報を提供したようだ)。航空機が世界貿易センターを襲ったとき、イスラエルでは第二次インティファーダとして知られるパレスチナ人の蜂起が起きていた。イスラエルの指導者たちはブッシュ大統領が発表したばかりの「テロとの戦争」から自分たちが利益を得られると考えるようになった。当時の首相だったベンヤミン・ネタニヤフは、米・イスラエル関係にとってどのような意味があるのかと問われ、「とても良いことだ」と答えた。そして9.11を楽観視しすぎているように聞こえないように、「とても良いとは言えないが、すぐに共感を呼ぶだろう……(中略)私たちは何十年にもわたってテロを経験してきたが、米国は今、大量のテロの出血を経験しているのだから」と付け加えた。

その1年後、イスラエルは米国の対イラク戦争推進派となり、サダム・フセインが大量破壊兵器を保有し、イスラエルとアメリカだけでなく世界の脅威となっているというデマを広める手助けをした。

「(サダムは)核兵器を手に入れようと躍起になっている暴君だ」とネタニヤフはイラク侵攻の半年前、2002年9月に米下院政府改革委員会で述べた。「そして今日、米国は(サダムの)政権を破壊しなければならない。核武装したサダムは全世界の安全を危険にさらすからだ。サダムが核武装すれば、われわれの世界全体の安全保障が危険にさらされる。サダムが核兵器を持てば、テロ・ネットワークも核兵器を持つことになる。そして、いったんテロ・ネットワークが核兵器を持てば、その核兵器が使用されるのは時間の問題だ」

イスラエルは後に、2007年にシリアに建設中の原子炉が疑われる施設への攻撃を正当化するために、同じような推論を用いた。イスラエルは長年にわたり、サイバー攻撃から爆撃に至るまで、さまざまな方法でイランの核開発を標的にしてきたとされる。2010年にイランは、イスラエルが物理学者マスード・アリ・モハマディとエンジニアのマジド・シャリアリビーを2つの別々の事件で殺害し、イランの核開発計画に不可欠と思われる他の科学者も殺害したと非難した。2021年にイランはまた、イスラエルがカラージ市の施設を攻撃し、その施設が核遠心分離機の製造に使用されていると信じていると主張した。

イスラエルのガザに対する残酷な戦争がレバノンのヒズボラを巻き込んで地域的に拡大すれば、ヒズボラの有力な支援者であるイランを戦火に巻き込むことになると懸念する者は多い。そうなればネタニヤフがイランの核施設を攻撃する正当な理由になる。実際、イランに支援された武装勢力によるイラクとシリアの米軍関係者へのドローンやロケット攻撃を受けて、米国は最近、シリアの兵器施設を破壊した。

ガザの状況に関して、右派の文化大臣アミハイ・エリヤフは最近、ネタニヤフの連立政権のメンバーであるとして、「ハマスを排除する」ための「一つの方法」は核オプションだと発言した。「ガザには無実の人はいない」とも述べている。これらの発言への反応として、ネタニヤフはエリヤフを一時的に停職させたが、これは主に、戦争が罪のない市民に過酷な影響を与えているという国内外の批判を静めるためか、あるいはエリヤフが無意識にイスラエルの核能力を認めてしまったことと関係があるかもしれない。

中東における広範な戦争を間違いなく恐れているバイデン政権は、ハマス排除に向けたイスラエルの取り組みに大きく関与している。ミサイル防衛システム「アイアンドーム」用の迎撃ミサイルや、ボーイング社製のJDAM(ミサイル用誘導弾)1800発以上を提供するだけでなく、イスラエルが米国製F-35戦闘機に搭載する兵器の在庫も補充している。さらに米国製のF-35戦闘機やCH-53ヘリコプター、KC046空中給油タンカーにも武器を補給している。さらに米国の空母機動部隊2隻が中東に配備され、オハイオ級原子力潜水艦も配備されている。ニューヨークタイムズの調査によれば米国はガザにいるイスラエル人(と米国人)の人質を見つけるために、コマンド部隊とドローンを提供している。

バイデン政権は中東戦争の拡大を望んでいるようには見えないが、それに備えているようである。もちろん、軍事的エスカレーション、特にイスラエルが複数の戦線で戦うようになれば事態がさらに悪化する可能性を高めるだけだ。追い詰められた核武装したベンヤミン・ネタニヤフは、ジャーナリスト、学校、病院さえが無差別の攻撃対象となっている戦争で、極めて危険な状況の典型となるだろう。実際、早くも11月初旬までにガザには25,000トン以上の爆弾が投下されており、これは広島型の核爆弾2発分に相当する(放射能はふくまれていないが)。このような状況下で国際法を明確に無視する核保有のイスラエルは、無力なパレスチナだけでなく、ますます危険で混乱した世界にとって、明白な危険な存在となり得るだろう。

Joshua Frank:カリフォルニア在住のジャーナリスト。著書に『Atomic Days:The Untold Story of the Most Toxic Place in America』(Haymarket Books)。

The Dangers Only Multiply