横須賀聖杯戦争⑤

横須賀聖杯戦争⑤


 真夏の太陽が晴天で燦々と輝いている。

 その場所は横須賀から東に位置する無人島。

 島の中心地に近い広角砲台跡にて、二人の男が邂逅していた。

「やあ、フェルセン神父。無事でなにより」

「相変わらず心にも無い事を心からの笑顔で口にするんだな、君は」

 一人は少々線の細い体型の青年。

 もう一人は対象的に体格の良い親父服を着込んだ壮年の男だった。

「いやいや、昨晩何やら一戦交えていたようだったので。まあ貴方ほどの代行者がそう簡単にやられるとは思っていませんけど」

「ああ、私もそう自負していたのだがね──完敗だったよ。辛くもサーヴァントは離脱出来たが、令呪二画を持っていかれてしまった」

「…………へえ。貴方のランサー、高い神性を宿した霊格だと聞いていましたがね」

「誰からだね? …………とは、訊くまでもないか。──君のランサーからかい。辰巳砂くん」

「はっはっはっは。アレを自分のランサーなどとは口が裂けても言えませんよ。令呪を宿しているわけでもないんだから、主従関係なんて皆無です。そもそも魔力供給なんて必要としてないですから、アレ」

「そうかね。ともあれ、昨日召喚されたものに関しては君達も察知しているのだろう? 未知のサーヴァントが召喚された。ルーラーとも違う、おそらくは今回の聖杯戦争の枠組みから逸脱した英霊だ。…………君のランサー同様にね」

「そのようですね。ま、アレはいつものように笑うばかりで碌に説明もしてくれませんでしたが…………取り敢えず、キャスターは仕留めそこねたということでいいんですね?」

「ああ。召喚以来ずっと穴熊を決め込んでいてどう見つけ出そうとしたものかと思っていたが、昨晩ひょっこりと現れた。これ幸いとランサーを向かわせたが…………その結果がご覧の有り様というわけだ」

 ヒラヒラと残り一画となった令呪が刻まれている手を振るいながらフェルセンと呼ばれた神父は嘆息した。

「君から提供して貰った魔力炉もフル稼働した。全精力を尽くした戦闘だったが、敢え無く返り討ちだ。…………あのもう一人の──はぐれとでも呼ぶべきセイバーの強さは異常だった。ただ強力な英霊、というだけでは済まされない程に」

「──ほうほうそれはそれは。こっちのランサーが上機嫌になるわけだ」

 辰巳砂と呼ばれたその青年は、目だけで笑みを浮かべながら呟いた。

「監督役を引き受ける代わりにと色々と支援を送ってもらったが、その甲斐はなかったようだよ。我ながら情けない事にね」

「いやいや、こんな胡散臭い案件を引き受けて教会との話を繋げてくれただけでも自分としては大助かりですよ。あの程度の物資、お気持ち程度です。案の定参加人員は碌に集まりませんでしたからね。お陰で半数近くのマスターが一般人となってしまった」

「無理もない。二十年前に打ち切りとなってしまった筈の聖杯戦争が、代々の開催地とはかけ離れたこの横須賀で開催などと言われても訝しむのが当然というものだ」

「でしょうとも。今の時計塔で聖杯戦争なんて言われても、『そんなものもあったな』と懐かしまれて終わりでしょうから。いやー世知辛い。ロードが死んだ時にはそれなりに騒がれた筈なんですがね」

「何より、本来聖杯戦争を主催していたはずの魔術家──その中でも名高いアインツベルンが音沙汰もない。これでは信用しろという方が難しい」

「そこに関しては自分としても驚きなんですよ。勝手に聖杯戦争を開催されるとなったら何かしらのモーションをかけてくるかと身構えていたのですが──結果、梨の礫ですからね。或いはアインツベルンもまた与太話と一蹴したのかと思いましたが…………それにしたってアインツベルンの動きが全く見えなさ過ぎる。最近の話だけでなく、二十年前の聖杯戦争以来真実掛け値なしに影も形も見えなくなった。身を隠している、息を潜めているというよりは、息絶えたと言われた方が納得がいくほどに。それだけ前回のご破産が痛恨だったという事かもしれませんが」

「それはそれで間違いは無いだろうよ。というか痛恨だったのはアインツベルンだけに留まるまい。残る二家も被害は甚大だったと聞いている──いや、それに関してはもっと広い範囲で」

 フェルセン神父は眼下に広がる海原に目を遣りながらに語った。

「二十年前から、この国の魔術家は上から下へ、ひっくり返ったような事態に陥っている──極東を僻地扱いしている魔術協会では片田舎のゴタゴタくらいにしか思っていないようだが」

「この国の魔術は根本から西洋のそれとは違い過ぎていますからねえ。まあだからこそ国内での厄介事も世界的にはそこまでの大事にはなっていない。騒いでいるのは西洋の魔術基盤を扱っていながら極東に根差しているような変わり者の家系くらい──冬木の遠坂家なんかがまさにそれですがね。間桐が滅び、アインツベルンが音信不通となった今、唯一残った御三家になってしまった」

「──二十年前。冬木の最期の聖杯戦争を端として、この国の霊脈(レイライン)に異様な乱れが生まれた。国内では一二を争うという霊地だった筈の冬木の霊脈は見違えるほどに枯れ萎み、聖杯戦争はとても開催できなくなった。そしてそのような事態が日本全体に広がっていた。ある場所では冬木同様に豊富な霊脈が枯れ、ある場所では逆に枯れていた筈の霊脈が活性化した。日本中で霊脈の賦活と枯渇が入り乱れ、霊地の価値が暴騰と暴落を繰り返し、根付く魔術師達は悲喜交交の有り様だ」

「そりゃあ国外からは匙を投げられますよね。触らぬ神になんとやら。元々落ち目だった土地が更に手をつけられないような惨状だっていうんですから」

「だが、そんな上から下へ大動乱の中で密かに、しかし的確に霊地の売買を繰り返し凄まじい利益を得た魔術師がいた」

 フェルセン神父はゆっくりと振り返り、改めてその青年を真正面から見据える。

「その魔術師は一代にして巨万の富を築き上げ、最後にこの横須賀の血のセカンドオーナーの座を買い取り──そうした途端にこの横須賀の霊地は活性化した。そう、冬木の霊地にも劣らぬ程にね」

「…………」

 その青年は何も語らない。

 能面のような笑みだけを浮かべて、佇んでいる。

「インサイダー取引というやつなのかな、現代風に言えば」

「あっはっは。土地転がしにインサイドもアウトサイドもない──などとしらばっくれるのはやめましょうか。ええ、まあ、だいたいお察しの通りですよ」

「…………よく笑っていられるものだ。霊脈の活性化と沈静化を自在に行えるなどと知られれば黙っていない者たちは山程いように」

「自在になんか行えませんからね。自分が口出ししたのは最後──この横須賀の霊脈を活性化させる事だけです。それ以外はアレの表情を上手く伺って立ち回っただけですよ」

 辰巳砂は肩を竦めて語った。

「…………聖杯の器はこの戦いに参ずるにあたって監督役として確認させてもらった。あの精密かつ崇高な出来栄えは紛れもなくアインツベルンのものだろう。前回の──第四次聖杯戦争で掠め取ってきたものと思ってよいのかね」

「でしょうね。その辺は自分も当事者ではないので人伝で聞いたことしかないんですが。唯一の当事者であるランサーはあの通りですし」

「…………第四次聖杯戦争にて退去せずに残ったサーヴァント、か」

「いかにも。確保した聖杯の器を始めとして、アレがいてこそ今回の横須賀での聖杯戦争が叶いました。さっき言った通り、自分はアレの機嫌を損ねず、なおかつお互いの利益を確保出来るように動いただけですよ」

「となると、君と君のランサーの目的は同じではない、と?」

「大まかな目的は同じですよ。ズバリ、『この聖杯戦争を無事に貫徹させること』です。その結果に何を得るのかは、まあそれぞれ違うかもしれませんが」

「そのために少なくない資財を払ってでも私を監督役として登用したかったと」

「はい。何の後ろ楯も無い状態でだと聖杯戦争として成立させることさえ出来なかったでしょうからね。繰り返し礼を言わせてください、貴方が聖堂教会の一員として参加してくれて本当に助かりました」

「私としてもただの慈善事業でやっているわけではないよ。私が訊きたいのは──此度の聖杯で本当に願いを叶えることが出来るのか、だ」

「出来ます。それは、というかそれだけは断言しておきますよ。この戦いに勝利したものは願いを叶えることが出来る──前回とは違ってね」

「む?」

「おっとお気になさらず。ともあれ、そこに関しては信用してもらいたいものですね。そうでなければわざわざ聖杯戦争をやる意味などありはしませんから──ええ、あのランサーにとっては、特に」

 意味深極まりないその態度にフェルセン神父は何か言い出そうではあったが、しかしそれを飲み込んで別の疑問を口にした。

「………………キャスターを優先的に仕留めてほしいという話はどういう意味があったのかな」

「ああ、あれは運営側としての優先事項だったんですが…………もう忘れてくれて構わないとのことです。キャスターに関しては色々と皮算用をしていたのですが、予想外の巧妙がありまして、もう取り急ぐ必要はなくなりました。その恐ろしく強いらしいはぐれのセイバーとやらが側にいるのであれば、無理に交戦する必要はないですよ」

「…………了解した。では、ここからはいち参加者として行動させて貰うよ。構わないね?」

「ええ、もちろんです。お互い願いを叶える為、全力を尽くすとしましょう」

「では、相見えることが無いように祈っておこうか、辰巳砂君」

「それはこちらのセリフですよ、フェルセン神父」

 やがて神父は青年に背を向け、何処へともなく歩き去っていった。

「…………はてさて、彼には恩も義理もある。出来れば生き残ってほしいものだが。ともあれ、そろそろアレも痺れを切らす頃だろう。とても既存の聖杯戦争の通りには進みそうにないが…………しかし、行き着く果ての最終局面だけはアレによって保証されている。それに英霊とマスター達がどれだけ抗えるものか──期待して待つとするか」

 この聖杯戦争の主催した黒幕と言える青年は、妙に毒気のない笑顔でそう呟くのだった。


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