齊藤工 役者業を半年休み監督業に専念 家を舞台にしたミステリーで採用した「十字架」に込めた思い

俳優の斎藤工が「齊藤工」名義でメガホンを取った映画『スイート・マイホーム』が9月1日に全国公開される。ミステリー作家・神津凛子の同名小説が原作。理想の家族がほころんでいく物語について最初は「映像化してはいけない」と依頼を断ったが、コロナ禍で聖域と考えていた“家”を舞台に起こった凶悪事件を目にしたことで気持ちが変化。「理想と現実を疑い出した、始まりの時代の空気を残そう」と制作を進めた。113分の映像の中には、その知名度を全国区にした『昼顔』の劇場版に刻まれたあるモチーフを、罪の象徴として盛り込んだ。

本名の齊藤工としてメガホンを取った5年ぶりの長編映画『スイート・マイホーム』について真摯に語った【写真:冨田味我】
本名の齊藤工としてメガホンを取った5年ぶりの長編映画『スイート・マイホーム』について真摯に語った【写真:冨田味我】

見えない世界は「ある」 背筋が凍る幼少期のエピソード

 俳優の斎藤工が「齊藤工」名義でメガホンを取った映画『スイート・マイホーム』が9月1日に全国公開される。ミステリー作家・神津凛子の同名小説が原作。理想の家族がほころんでいく物語について最初は「映像化してはいけない」と依頼を断ったが、コロナ禍で聖域と考えていた“家”を舞台に起こった凶悪事件を目にしたことで気持ちが変化。「理想と現実を疑い出した、始まりの時代の空気を残そう」と制作を進めた。113分の映像の中には、その知名度を全国区にした『昼顔』の劇場版に刻まれたあるモチーフを、罪の象徴として盛り込んだ。(取材・文=西村綾乃)

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 物語の舞台は妻子に囲まれた温かな“家”。新居を手に入れた主人公・清沢賢二(窪田正孝)は順風満帆に見えるが、誰にも言えないトラウマを抱えていた。賢二の裏の顔が明らかになる中で、ささやかな暮らしが崩れていく。

「原作を読んだときは、活字だからこそ描ける世界。小さい命の扱いに対しての抵抗感もあり、『映像化の依頼はお受けできない』と断り続けていました。でもコロナ禍のステイホーム中に、僕が“聖域”と考えていた家の中で、DV(ドメスティック・バイオレンス)などの事件が起きていることを報道で見聞きし、守られるべき聖域が必ずしも安全な場ではないということが露呈した。理想で覆われていたものが崩れてしまったと感じたと同時に、いくつまでに結婚をして、子どもに恵まれてと、僕らが理想だとしていたものは、一体誰の理想だったんだろうという疑問が湧いたんです」

 ウルトラマン誕生55周年を記念し制作された主演映画『シン・ウルトラマン』(樋口真嗣監督)が公開された2022年の上半期、齊藤は全ての俳優業をストップ。同作はその半年間で制作した4つの映像作品の1つだ。

「クリエーティブなものを造るためには時間が必要です。俳優の仕事を止めないと出合えない作品があると思ったので、俳優の仕事をお休みしました。そして『この作品の見どころは』など安易に言語化できないものが、映ってしまいました。本当に怖いものは目に見えないものではなく、人間そのもの。妻子も知らない裏の顔を持つ主人公を演じてくれた窪田(正孝)くんは、心の機微を表現できる俳優。セリフ劇ではない作品の中で、そのたたずまいだけで伝えることができる。彼がこの作品を必然にしてくれました」

 映画では窪田演じる賢二がパンドラの箱を開いたことで、意識の奥深くに沈めていたものが噴出する。齊藤自身のパンドラの箱は――。

「幼少期のことなんですが、当時暮らしていた家の玄関に向かって僕がしゃべっていたことが何度かあったんです。ある日、見ていた母が『話し相手を絵にしてごらん』と言うので、『顔が穴だらけのおじさん』を描いて、母親を驚かせたことがありました。その後、初めてお付き合いをした人が、その家に泊まりにきたことがあって、不在だった姉の部屋を使ってもらったんです。真夜中に悲鳴が聞こえたので、慌てて見に行ったら、彼女が『穴ぼこおじさんに、いつもの子と違う』と言われた…って。姉の部屋に住んでいたみたいなんですよね」

「見えないものがいる世界はあると信じている」という齊藤。そしてその世界から見たら、人間が持つ強欲さなどの方が、よっぽど怖いと思うと吐露。齊藤が思う「人間の怖さ」とは。

「伝染していく感じが怖いです。スポーツ選手とか、調子がいいときは絶賛するけれど、一度でも歯車が狂うと一斉に攻撃する。恐ろしいのはみこしを担いでいた人までが、手のひらを返すこと。自分もそれを見ている時点で加害者なのかもしれない。攻撃されている人を同情できる立場にないという自覚があります」

映画『スイート・マイホーム』の1カット。写真は主演の窪田正孝【写真:(C)2023『スイート・マイホーム』製作委員会 (C)神津凛子/講談社】
映画『スイート・マイホーム』の1カット。写真は主演の窪田正孝【写真:(C)2023『スイート・マイホーム』製作委員会 (C)神津凛子/講談社】

「これが僕」と言える写真の表現が 俳優と監督業のバランスを取っている

 自らが指揮を執る「齊藤組」の現場では「自由度」を大切にしている。俳優には正攻法を取るのではなく「見たことがない自分に出会ってほしい」と願い、スタッフ陣には「挑戦できる場」になればと思いを込める。

「僕は今42歳ですが、作品のため過重労働をするなど我慢を強いられることに耐性がある世代で、感覚がマヒしてしまっている。耐性がない人たちに向けては(僕が)加害者になっているかもしれない。なので、撮影の前には、全部署に対してストレスが溜まらないよう声を掛けました。予算の中で一番先に削られるのが弁当。続けている腸活で、第2の脳である“腸”を大切にする重要さを(自分の)“人体実験”で学んだので、俳優やスタッフも、その腸も快適に過ごしてほしいと、オーガニックなものを提供したり、大雪の中での撮影では、温かいみそ汁を用意してもらいました。人形を使った影づくりにチャレンジした照明さんから『ずっとやりたかったんだよね』と言われたときは、この現場がある意味があったなと感じました」

 今作では、齊藤と俳優の上戸彩が禁断の恋人を演じ、齊藤がブレークするきっかけをつかんだテレビドラマ『昼顔 平日午後3時の恋人たち』の劇場版『昼顔』(西谷弘監督、17年)に登場したあるモチーフを取り入れた。

「罪を犯したことがある人間の背中には、十字架が浮かぶと言われていて、その人物が映る場面に十字架を差し込んでもらいました。これは西谷監督がドラマから3年後を描いた劇場版の中で、上戸さん演じる(木下)紗和ちゃんが働くカフェのシーンに登場しています。観たときに『絶対いつか使おう!』と思って、今回やっと温めていた思いがかないました」

 映像制作の仕事をしていた父の影響を受け、映画館に通うように。作品の最後に流れるエンドロールに「いつか、名を刻みたい」と憧れた。15歳でモデルデビューしたが、すぐには仕事に恵まれず。くすぶっていたとき、ノンフィクション作家の沢木耕太郎の紀行小説『深夜特急』の冒頭に刻まれた『ある朝、眼を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ』という一文に突き動かされた。沢木が最初に目指した香港に降り立ったのは16歳のときだった。

 齊藤にとって原点と言える小説。縁があり、4月から『朗読・斎藤工 深夜特急 オン・ザ・ロード』(TBSラジオ、月~金曜、午後11時半~)という番組の中で朗読している。香港、マカオ、そしてインドのデリーから、バスや列車に乗り最終目的地のロンドンへと続く冒険と、改めて向き合い思うことは――。

「沢木さんと初めてお会いしたのは昨年の秋。75歳になられた今も、バックパッカーとして世界を旅していて、その帰国を待ってのことでした。沢木さんが香港を目指したのは26歳のときでしたが、『今も旅が好きなんだ』と言われ、当時と変わらない熱量を持っていると知り、ズシンと来ました。人間は年を重ねると、足取りが重くなるものだけどそうじゃない。でも僕が影響を受けて来た人は、(ファッションデザイナーの)ヨウジヤマモトさんなど、いつまでもキラキラとしている。本質は変わらないんだと気付きました。僕自身、気付けば中堅と言われる年齢になりましたが、いつまでも軽やかさを意識していたい。そうしないと自分のことを好きじゃなくなってしまうから」

 脚本家のはしもとこうじが、失踪した父のことをまとめた実話を映像化した『blank13』(18年)で長編監督デビュー。以降、監督として20本近い作品を世に残して来た。世界を自在に行き来する映画は「世界の共通言語」。その重責と自分自身の心を保つために続けているのが、インスタグラムで公開している「写真」だという。

「映画はいろいろな人とピリオドを決めてモノづくりをする現場。関係した人たちとベストな着地をするために、全体を考えて動くことも求められます。一方で写真は、僕が撮りたいと思ったものを切り取って、人に見せることができる。始まりから公開するまでの流れを、ほぼ僕の意思で完結できるんですよね。だから、唯一『これが僕です』と言えるものが、写真。撮って、発表するまでが1つの流れ。そうすることで、監督や俳優業とのバランスを取っているんだと、最近気が付きました」

 俳優の柄本佑を撮影したことをきっかけに、著名人を収めるようになったという。主演した窪田、今作で窪田の娘役を演じた子役の磯村アメリなどが、心を解放している写真にはその人の本質がにじみ出ている。

■齊藤工(さいとう・たくみ) 1981年8月22日、東京都生まれ。映画『時の香り ~リメンバー・ミー~』(山川直人監督、2001年)で俳優デビュー。監督としては「齊藤工」の名義で活動。初長編監督作『blank13』(18年)では国内外の映画祭で8冠を獲得した。劇場体験が難しい被災地で暮らす子どもたちに、映画を届ける移動映画館『cinema bird』を主宰している。

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