CULTURE | 2018/06/18

100万戸の空き家は共同所有で解消できる。場づくりから街おこしまで行う異色の経営者、近藤威志氏


「人・暮らし・地域・コミュニティ」をテーマに、空き家活用、地域の事業再生を手がける近藤威志(こんどう・たけし)氏。 ...

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「人・暮らし・地域・コミュニティ」をテーマに、空き家活用、地域の事業再生を手がける近藤威志(こんどう・たけし)氏。

ビルを一棟丸ごとセルフリノベーションしながら、アートを発信し続けるギャラリー兼シェアアトリエ「HATCH」の代表であり、アーティストのエージェントを手がける「GTGP JAPAN Corporation」の社長でもある。

2001年以降、実に7法人・20以上もの事業の新規立ち上げに携わり、現在もさまざまな肩書を持つ近藤氏のキャリアの転機には、常に「人とのつながり」が大きく影響している。

今、氏は人間の関わり方に重点を置く地域再生事業に注力している。その構想には、人の暮らし方、生き方の概念を丸ごと変えてしまうほどのインパクトがあった。

聞き手:米田智彦 構成:岩崎昌子 写真:神保勇揮

近藤威志(こんどう・たけし)

GTGP JAPAN Corporation 代表取締役 / HATCH代表

神奈川県横須賀市出身。2001年以降7法人20以上の事業の立ち上げに従事。様々な分野に関わる中で日本のクリエイターやアーティストが抱える課題に直面し、エージェントを開始。2013年より浅草にてアートプロジェクトを始動。ビル1棟をセルフリノベーションしながら日々進化を続けるHATCHは、狭義の既成概念を超えたアートの発信地として、国内外を問わず若手やタイムリーなアーティスト・クリエイターを発信している。 この数年はマチづくり、遊休不動産の有効活用、温泉地の事業再生など、「人・暮らし・地域・コミュニティ」をキーワードに活動中。

“就職氷河期”から始まった起業ストーリー

−− 最初の起業に至るまでの経緯をお聞かせください

近藤:僕は2000年卒なんですが、その頃は第一次就職難と言われていたような就職氷河期だったんです。いわゆる普通の就職活動を経て、結果めちゃくちゃアウトローな形で仕事を始めてしまうわけですが、世の中の大学生は就職情報サイトに載っている企業が世界の全てみたいな感覚で就職活動を送りがちですよね。

僕自身もご多分に漏れずスタート地点はそこだったんですが、先輩たちにお世話になっているうちに世界が広がっていったんです。そして、学生たちに「就活は情報サイトの中だけでやるものじゃないぞ」というメッセージを届けたくて学生の就職支援を始めたんです。そこに外資系の経営コンサルタントをしている方々が集まってきて、そんな仲間と共にこの活動をNPOにしました。

その後、そこで出会った方に誘われてアパレル企画会社の立ち上げに参画しました。がむしゃらにがんばって年商が2億円くらいになり、自信も出てきた3年目に、社長に裏切られる形で会社を辞めることになるんです。人生のどん底とも言える時期でしたが、事実報告で挨拶回りをしていたとき、直接お仕事でお世話になった方も、そうじゃない方も含めて、自分がまったく考えてなかったような方々が一斉に手を差し伸べてくださったということも同時に経験したわけです。信念を持ってがむしゃらに努力していれば、いろんな方々が意外と見てくれているんだなと実感しました。これからは自分と仲間がやりたいことをやって生きていこうと考え、自分自身の会社を設立しました。

どん底からの次なる一歩は「クリエイター支援」

−− その会社はどんな会社ですか?

近藤:その頃、たまたま周りにいっぱいいたクリエイターがみんなバイトをしていたんです。出版社でも代理店でも、どこでも買ってくれそうな絵を描くイラストレーターなのにバイト暮らしをしている。それは一体なぜなのか……そうか、この人たちは営業するのが下手なんだ、と。契約交渉でお金の話をするのが苦手なんだということに気づきました。

それまでに会社や事業の立ち上げに携わってきた僕はそっち方面が得意だから、彼らが苦手としていることを僕が担い、役割分担をしてパートナーシップを組めば、彼らは得意な創作活動に専念でき、なおかつ仕事を取ってきさえすれば食える環境をつくってあげられるかもと思って動きはじめたんです。

−− クラウドファンディングとかがまだない時代ですよね。

近藤:15年ぐらい前の話ですからね。幸いなことにすぐ大手企業さんとの取引が決まったんですが、有限会社以上の法人格を持っていないと口座が開けないからできれば会社にしてくれないかなという話がはじまるわけですよ。当時は300万円で有限会社をつくるか、1,000万円で株式会社をつくるかという二択しかなくて……。でも当時20代の僕はお金がない。どうしようかといろいろ調べていくうちに海外で法人をつくって日本支社という形にすると、株式会社という体裁の元に日本でも事業活動ができるということを知り、仲間たちと実行に移しました。

−− 海外というと、どこですか?

近藤:アメリカのデラウェア州ですね。ぶどうの有名なデラウェア。逆に言うとデラウェアってぶどうくらいしか産業がなかったので当時は新規産業の創出のために税制優遇をしていたんですよ。登記を代行する会社に頼めば、だいたい諸経費込みで30万円くらいで会社設立ができた。仕入れが必要ない商売だったので資本金を積む必要もないし、人が1人食べて行けるようなキャッシュフローでどうにか回していける事業だったということで、この形でスタートさせました。それ以降は人との出会いの中で、面白いこと、面白そうな種を見つけてはいろいろなことをやってきました。

その中の一つがダンスミュージックのレーベル。それに伴って1,000人規模のクラブイベントのオーガナイズも多く手がけました。外国からアーティストを招聘したり、WOMB(渋谷・円山町のクラブ)さんの大規模イベント「WOMB ADVENTURE」を立ち上げからお手伝いしたり。渋谷で10年くらい会社を経営していたことで、渋谷界隈は知り合いだらけなんです。そのうち、大手の代理店から「あの辺りの10店舗をジャックして商品やサービスのプロモーションをやりたい」という話が舞い込んでくるようになりました。普通の制作会社に依頼をするとかなりコストがかかるけれど、僕の知り合いというだけでお店側が使用料を優遇してくれるわけです。

芸能関係や、ウェブを使ったサービスも含め、人と人をつなぐ、人と会社をつなぐということをひたすらやっていた感じですね。

子ども時代を過ごした街・横須賀で訪れた転機

−− では、どっぷり渋谷の時間というのが10何年あったというわけですね。横須賀に関わることになるのはどのタイミングだったのでしょうか。

近藤:僕は横須賀育ちなんですが、2009年、31歳のときに高校の1代上の先輩で当時生徒会長をやっていた方が、いきなり市議会議員2期目の途中で完全無所属で次の市長選に出ると宣言したんです。それで実際に当選しちゃった。20年くらい続いていた官僚政治の改革を掲げて市長選に出た吉田雄人さんです。

実家はもう横須賀にはないんですけど、せっかく先輩が強い思いを持ってそういうポジションに就いたので何かできることはないかなと思いはじめたんですよね。当時の史上最年少市長で話題にもなっていたので、何回か市長室に通ったんです。当時は渋谷で音楽とかファッションの仕事をやっていたので、市内何カ所かで周遊型の音楽イベントは開けないか、というのが最初の提案でした。

高校の3個下の後輩に窪塚洋介君がいて、彼が俳優業とは別に卍ラインというレゲエバンドをやっていて横須賀新港でレゲエのイベントをやったところ、騒音の大苦情があったそうなんです。前のめり気味でやりたいと思っていたけど、最初から行政を巻き込んでしまったら、何かが起きたときに先輩に迷惑をかけてしまう。もし何かやるんだったら、民間主導で始めて実績化されてちゃんと認められるようになってから乗っかってもらう形じゃないとできないなと思って思いとどまったんです。

ヨコスカバレー構想実現委員会のメンバーとして

近藤:そして2015年、行政と民間が一緒になってIOTを軸にこの先10年、100社・100億円の創出を目指すというヨコスカバレー構想実現委員会が発足したんです。これは改めて何かお手伝いできる可能性がありそうだ、と委員会のメンバーになりました。

ヨコスカバレー構想実現委員会のHP

横須賀市は2013年に「日本で最も人口減が激しい都市」と名指しされたり、空き家率も一番高い「汐入町5丁目」で18.5%に上っていたりと課題が山積していました。その後空き家バンクが立ち上がるも、3年間かけて掲載件数39件、成約件数が13件くらいと、民間人からしたらあり得ないほど低い数字なんです。そして実際に汐入町5丁目を自分の足で歩いてみると、体感では半分くらいが空き家なんじゃない? と。

「このギャップには何かあるぞ」と思ったわけです。それで試しに山のテッペンに空き家バンクを通じて空き家を借りて、地域にぐーっと入っていってみた。すると、3カ月後には近所の空き家4軒と空き地2カ所をタダでもいいから何とか引き受けてくれないか、という話が始まるわけです。あぁやっぱりな、と思いました。東京から小1時間の横須賀でこんなことが起きているので、おそらく日本全国で同じことが起きているんじゃないだろうかと。まずは育ちの街である横須賀でひとつ事例をつくれば、いろんなエリアで展開できるのでは、と。

横須賀の空き家

最初は小さな集落の空き家を起点としてどう使っていこうかと「点」で考えていたんですが、その後にいろんな自治体の方や地方創生の文脈で地域の活性化に携わっている方々とお会いして話しているうちに、これは「点」ではなく、もっと大きな枠組みで捉えるべきだと思い直しました。パラダイムシフトを起こすように仕掛けていったほうが、社会課題の解決と同時に大きく世の中を変えながら、全ての空き家空き地の利活用に繋げられるんじゃないかなと考え始めたわけです。

−−今は横須賀で何軒くらいの空き地を手掛けられているんですか?

近藤:実際に預かっているのは空き家が3軒、お話をいただいているのがプラス2軒です。実際に請け負ってみて、仕組みをきちんとつくっていかなきゃいけないと痛感しました。例えば単純に困っているから譲りたいという方と、どうにかして引き受けてあげたい私がいて、もらっちゃうと贈与税がかかるわけですよね。市場価値はなくても、資産価値で税金はかかってしまう。今手がけている物件もけっこうなお屋敷で、贈与税と不動産取得税と登記の書き換え手数料諸々込みで800〜850万円はかかるんですよ。1軒だけならまだしも、1万軒・10万軒・100万軒となってきたときに抱えきれないのでこの問題はどうにかしないといけませんね。

場づくりから、まちづくりへ

近藤:横須賀での活動だけでなく、浅草では5年前からビルを1棟丸ごとセルフリノベーションしながらアートを発信する「HATCH」というプロジェクトをやっています。この“場づくり”がきっかけで、その地域の方々と共にまちづくりに携わるようになっていきました。浅草もその当時はホテルや宿泊施設が足りていなかったので、内装と外装の全てがアートで埋め尽くされたデザインホテルができたら面白いなと。

HATCH外観

高円寺や京都には、ストリート系のアーティストが集まってそういうゲストハウスをつくる動きがあるんですけど、ほぼローカルのアーティストだけが集まっているので、訪日観光客の方からすれば強い動機づけにならないなと思ったんです。

でも、3年ギャラリーを続けたことで世界のトップアーティストたちとのパイプができた。彼らが「渋谷の壁に描いているぜ!イエーイ」とインスタでUPするとブラジルからファンが会いたさに翌日駆けつけるみたいなことがあるんです。本当にそんなノリなんです。グラフィックアーティストって覆面で活動している人が多いじゃないですか。何とかして会おうとするみたいです。もちろん単純に作品が見たいというのもあるんですけど、ここに何かしらの引きがあるなと思ったんです。世界のトップとローカルを混ぜながらひとつの施設を構成していくと、宿泊理由をつくりながらローカルで名の知れない若手アーティストたちのボトムアップにもつながるなと。

そんなホテルをやりたいと方々に言っていたんですけど、いろんな方々が興味を持ってくださいました。外資系の不動産投資ファンドもそうですし、都内のビルオーナーもそう。ただなかなか具体的に動いていかないわけですよ。

これのひとつの理由としては僕自身が今まで実績として宿泊業をやったことがないということがあると思ったんです。そこで、REVIC(地域経済活性化支援機構)と横浜銀行が手がけている湯河原の温泉街の事業再生事業に参加しました。老舗旅館の再生だけではなく、景観整備や空き家活用も含めた取り組みですね。

隣の真鶴町でも2014年から「スタートアップウィークエンド真鶴」という起業イベントが行われているのですが、メンターと審査員を引き受けたことをきっかけに、役場の方に対してこれまでの自分の仕事の話をしたら「実は真鶴町も空き家に困っている」と。

空き家寄付の申し出があると、利活用のあてはないけど町役場で引き受けてしまって、町役場所有の空き家がたくさん放置状態になってしまっていたんです。民間企業、自治体、国の省庁を結びつけながら、町とか自治体予算に頼らない形で先々きちんと自走していけるような形で事業をちゃんとつくっていきましょうと動きはじめました。

空き家活用からはじまる世代を超えた“関わり”の創出

近藤:空き家・空き地の利活用は、住民にとって暮らしをより良くすると同時に、外の人にとっても魅力的に映るということを実現していかなきゃいけないんです。世代や文化を越えた人との関わりってすごく強い刺激になるじゃないですか。これには良し悪しもあると思うんですが、この刺激がお互いを活き活きさせ合うんじゃないかと思っているんです。

これはなぜかというと、自分自身が公務員宿舎育ちだったので、周りの何十世帯が家族ぐるみで付き合っていたんです。隣り近所のおじさんおばさんに怒られ、お兄ちゃんたちとサッカーボールを蹴り、お姉ちゃんたちとママゴトをして小さい子たちの面倒を見るみたいな。こういう関係性が今の自分の礎をつくっていると思いますね。

同時に民泊という言葉が一般的ではなかった頃、都心でひとり暮らしをする80歳を超えたおばあさんが、息子さんが出ていった自宅の空き部屋に代行会社を通じて外国人旅行者を受け入れるということにチャレンジされていたんです。英語はしゃべれないけれど、身振り手振りで旅行者とコミュニケーションを取ったり、毎朝おにぎりとお味噌汁の朝ごはんをつくってあげたり。嬉々として生き甲斐のように取り組まれているお姿を拝見して、さっき話した「世代や文化を超えた関わりの意義」というものを強く実感したんですよね。

コミュニティハブとして機能している場所を、地域に住まわれている方も外の人も自由に来られてみんなで食卓を囲んでご飯を食べましょうというスタイルの食堂にすることができれば、ここがみんなの「リビング」だという捉え方ができてくる。そうするとそれぞれが住んでいる家、空き家を「居室」と考えれば、地域全体が100LDKみたいな見立てができますよね。

これが実現すれば、前述の地域の人たちにとって良く、なおかつ外の人たちにとって興味深い魅力的な地域がつくれるんじゃないかなと考えはじめたんです。例えば、一人暮らしのおばあさんの家の空き部屋に、子育て中のシングルマザーが間借りする。血のつながりはないけど疑似家族のような形でシェアハウスをはじめると圧倒的に生活コストを下げられるんですよね。かつ、シングルマザーがこの地域の寮母さんとか管理人さんみたいな役割を担いはじめて、家事の代行や病院やお買い物の付き添いといったお手伝いでちょっとずつフィーをとっていける可能性も出てくるだろうと。そんな風に生活コストを抑えながらその地域でお仕事ができれば、地域の方々に見守られながら子育ても成立させていけるよねと考えたり。

−− それは行政の助成金をあてにするわけではなく、近藤さんの会社で取り組まれるんですか?

近藤:あてにはしていないですね。会社とかの器に関してはどうあってもいいと思うんです。そのシングルマザーがフリーランスであってもいいでしょうし、フリーランスで働ける女性たちが子どもを連れてその場で遊ばせながら仕事をするような動きって、世の中的にも生まれ始めているじゃないですか。これをクラウドワーキングのスタイルをつくりながらやることもできるでしょうし、それぞれの得意分野を活かしていろんなところから仕事をとってくると同時に創出することができるんじゃないかなと。

−− その中の手数料を近藤さんはいただくということですか?

近藤:そういう可能性もあると思います。

−− 場所のプロデュースも手がけていかれるんですよね。

近藤:そうですね。核家族がひとつのマイホームを持つという今までの考え方を、100万人で100万戸の空き家を共同所有するプラットフォームみたいな形にシフトするのが究極の最終形かなと思っています。これまでは、この路線のこの駅から徒歩何分、という指標が不動産の価値になっていたとすると、今後自動運転が実用化された世界が訪れるとしたら、その不動産の価値って意味がなくなりますよね。

−−またパラダイムシフトが起きますよね。

近藤:そうですよね。また、AIの進化によって何の仕事が奪われて何の仕事が残るのかという議論が最近よくありますけど、実はその議論ってナンセンスだと思うんです。どんな仕事がこれから生まれてくるかわからないし、仕事的な経済活動は全てAIが担っていて、人間はほぼほぼ仕事という仕事はしていない可能性も出てくる。

−− 遊びを仕事にしているかもしれませんよね。

近藤:そうです。そうするとより一層人間はどう生きていくのか、誰と生きていくのか、人間の生き方の根本にマインドがシフトしていくと思います。そうなったときに、100万人で100万戸を共同所有していると、気分に合わせて場所を変えながら暮らせる。1時間のショートステイも10〜20年のロングステイも時間軸の違いはあるけど気分の変化と捉えて行けば、「住む」「泊まる」という概念も怪しくなってくるかもしれません。

−− 住まなくても通えばそこのコミュニティに入れますからね。

近藤:そうです。

理想はできるだけ高く持つべき

−− 中期的な目標はありますか? 短期的な目標でもいいです。

近藤:できるだけ早く、日本中で悩みの種となっている不動産を引き受けられる器をつくりたいですね。同時にそれを利活用するためのプラットフォームも整備したい。きちんとした事例を1つでも2つでも早くどこかのエリアでつくっていかなきゃいけないと思っています。

−− それは横須賀以外でも?

近藤:そうですね。実現できる可能性が高くて、なるべく早く始められる場所ならどこでもいいと思っています。

−− 近藤さんが関わっている取り組みは、なるべく長く続いてほしいことばかりですよね。でも近藤さんは1人しかいないわけで、そこにコミットしてくれる人を探したり育てたりしなきゃいけないと思うんですけど、そういう人材の発見育成はどうされているんですか?

近藤:よく聞かれるんですが、僕は言い出しっぺでいいと思っているんです。僕が何かを始めれば、仲間が集まってくる。最初のうちは近藤に振り回されていると思って仕方なく付き合っているかもしれない。でも何かが1つ2つ起こると面白くなってきて、次どうしようかということを僕からじゃなくて、仲間たちが考え始める。

−− コトを起こす、着火させるコツみたいなものはあったりするんですか?

近藤:自分たちの理想をなるべく具体的にイメージしてもらうことですね。僕はやりたいことを制約を受けずにやりたいだけだから、お金が目的ではないんですが、例えば「年収1,000万円のサラリーマンを目指す」という目標設定をすると、達成率100%でも年収1,000万円でしかないとも言えます。でも1億円と言い続けていると、達成率30%だとしても年収は3,000万円に届いているんです。ならば、目標設定の仕方としてどっちを選ぶべきかといえば1億円の方ですよね。できるだけ高い、究極の理想を思い描きながら、なるべくそこに近づけるように自分たちで知恵を絞って行動していきましょうよ、と。そのために何をすればワクワクするかということを、仲間たちが自分自身の頭で考えて、やりたいことに対する推進力をいかに作っていくか–−そういったことを考えるのが僕の役割ですね。