闇月に写る

闇月に写る


夢を見ている

なんて事はない、唯の悪夢だ

『待て、ーーー!』

『ああ、なんで……どうしてあなたが、そんな……!』

視界の中で父母が叫ぶ。視界の主はゆっくりとした足取りで父母へと迫る。この視界は誰のものなのか、母の体には浅くない傷が刻まれ、父にも深い傷が複数あった

そうだ。今までこうして悪夢に蘇ってくる。朧げな記憶を再生するかの様に、忘れるなと啓蒙する様に、あの日の惨劇が古びたフィルムの如く悪魔として見続けるのだ

御影悠の、全てを失ったあの日の出来事。僕はこの時、何処かに隠れ息を潜めていた。いた筈だ

何故ならこの日、父母は無惨にも何者かによって惨殺され、幼き頃の僕がただ一人生き残ったのだから

あの時、何があったのか。一体誰がこの様な惨劇を引き起こしたのか。肝心な事は僕は殆ど思い出せずにいる

しかし、度々悪夢として見るのは、いつも誰かの視界の中で両親がその何者かによって斬り殺される一部始終を見させられるのだ

『グゥ……ッ!』

『駄目!剣をおろして!ーーー』

「やめろ…」

思わず夢の中で声を上げるが、視界の主はたまらない。その手に握った凶器を振り回して両親を斬り殺そうと振るう。その視界をそのまま見せられているにも関わらず、僕の意思ではその動きは止まる事は決して無いのだ

「やめてくれ……っ」

『ガハッ……………』

『貴方!ーーーああ、そうなの……これが私達への罰だというの?』

「やめろぉおおお!!」

叫ぶ声も虚しく、視線の先で母親までもが凶刃に掛かる様をまざまざと見せつけられる。変わらぬ悪夢の内容とは言え、それでも叫ばずにはいられなかった

『あなたが……望むのなら、それでも私は……』

母が視界の主に手を伸ばす。そして、伸ばされた指先が微かに光を帯びるその時ーーー

視界が白く染まる


「ーーーッ」

強烈な嫌悪と気味の悪さに強制的に目が覚める。此処はとある高級ホテルの一室。聖杯戦争の舞台となる現地で取ったスイートルームのベッドである

「……ああ、吐き気がする」

時刻を見ればまだ午前2時を回った所だ。時差ボケもあって早めに寝たのは良いもののこうして悪夢を見て目が覚めるのは憂鬱な気持ちになる

横を見ると、隣のベッドでセイバーはまだ寝ている様だ。サーヴァントには本来睡眠は不要らしいのだが、本人が望んだのでこの様な形になったが、安全面を考慮して同じ部屋は仕方ないとしても流石にベッドは二つの部屋を選択した。でないと僕自身色々と保ちそうにない

「はぁ…」

呼吸を一つ置き、喉が渇いているのを実感する。セイバーは起きる様子はない。とは言っても武芸者である以上何かあったらすぐに跳ね起きるだろうし、心配はしていない

ベッドを降りて冷蔵庫の中を開ける。中に入っているミネラルウォーターのボトルを取り出して開ける。悪夢のお陰で酷く渇いた喉に冷たい水が沁みる。一気にバトルの半分を飲み干して息を吐けば、多少は悪夢の憂鬱が流れていく様な感覚を覚えた

(最近、悪夢を見る頻度が増えた……)

聖杯戦争への参戦を決めてからと言うもの、時々にしか見なかった悪夢を見る頻度が目に見えて増加している

初めての戦いに緊張している所為か、特殊な環境に身を置いている為か。あまり良い傾向ではない事は確かだが、如何せんどうしようもない

どうせ見るなら、サーヴァントと契約したマスターが見ると言うその英霊の過去でも見た方が余程良いだろう

「……?」

ふと、暗い室内の一角に備え付けてある姿見が視線に入る。深夜の鏡には真実の姿が写るという迷信があるが、どうせ写っているのは、悪夢にうなされて酷い面をしている自分の姿だけだ

(所詮迷信は迷信、我ながら変な事を考えたーーー)



ーーー本当にそうかな?



頭の中に、誰かの声が響く。幻聴?にしては余りにもはっきりと聞こえた声に驚いて周囲を見渡す

見渡した視界の中、やはり目に留まったのはあの姿見。しかし、やはり視線の先に映る姿は、酷い顔をした自分自身に他はなくーーー



『やあ、気分はどうだい?』



ボトルを右手におどけた様子で嗤っている、己と同じ姿をしただけの、別人の姿が写し出されていた


「……」

鏡の中に映る何者かは、嘲る様なーーー憐れむ様な目を向けて変わらず嗤っている

その姿見へと一歩、また一歩と近づくが、映る姿に変わりはない。近づいているにも関わらず映し出される姿、その大きさに変化はない

まるで、初めから鏡のすぐ前に居るかの様なーーー

姿見の前に立つ。写し出された己の姿をした何者かは、変わらずの顔でバトルの水を飲む。当然自分はそんな動きを見せていない。光の反射で自己を写す鏡は、その役割を放棄して己とはまるで異なる表情と動きを見せていた

「お前は……誰だ?」

思わず口にした問い。明らかに目の前に居る自分は自分ではない。しかし、誰がどう見てもその姿は御影悠のものである

己なのに己でない。そのあり得ない筈の事実を前に、吐き気すら催してくるほどだ

『誰だ……か』

鏡の向こうの己は、くっくと、心底愉快そうに喉を鳴らす

当然ではあるがその声も己のものである為、生理的な気味の悪さを感じざるを得ない

『お前こそ……誰だ?』

首を傾げながらこちらを指差す自身の姿。嗤いながらも純粋に疑問を投げかける様な態度に苛立ちを覚えるが、それ以上に薄気味が悪い

「なんだと?」

『ああ、返事はいらないよ?俺はお前を、よーく、知っているからさ』

大仰に、指揮者の様にボトルを持ち上げる鏡の奥の己は、ついでそのままボトルをツイ、と此方へと向けた

『おまえは、俺の抜け殻だから、さ』

「……どういう意味だ?」

『いずれ解る……また逢おう』

不愉快で不可解な言葉を残し、奴は手を振る。その嘲笑う様な笑顔を貼り付けたまま、輪郭がぼやけていきーーー

「ーーーっ」

気がつけば、鏡には悪魔にうなされた酷い面構えの己が写っていた。先程までの己の姿と声をした何者かは、初めからどこにもいなかった様に姿見は自然と自分自身を映し出している

「……」

不可思議な出来事。奴の言っていた『俺の抜け殻』とは一体どういう意味なのか。僕自身が持ち得ない、しかし本来なければならない筈の対魔衝動とも何か関係があるのか。それともまた別の意味が存在しているのか……

「くそっ」

行き場の無い苛立ちを、荒っぽくボトルを開けて中の水を飲み干す事で流そうとする。ボトルの水はすぐに空になり、喉は潤った筈なのに、どこか渇いた自分が消えないで残っていた

「……今は、戦いに集中しろ」

自身に言い聞かせる様に呟く。奴の言葉と存在は気になるが、それに意識を向けて目の前の戦いで足元を掬われては元も子もない

奴は言った。「また逢おう」と

つまりいつかもう一度あの己と向き合う時が来る。その時、もう一度問いただせばいい。そしてーーー

「ーーー斬れば終わる」

やつの正体がなんであれ、バッサリと斬り捨てて仕舞えばそれでおしまいだ。時刻はまだ殆ど進んでいない。もう一度寝れば、多少はこの気味の悪さも消えるだろう。そう考え直してベッドへと戻る


今度こそ、悪魔にうなされないよう。せめてそう願いながら瞼を閉じた

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