泡沫の日々

おれたちが空間を突き破って走り出たところは、日本は日本でも、関西は大阪、大阪は千里山、おどろくなかれ日本万国博の会場、それも『日本の祭りと西洋の広場の精神を兼ねそなえた施設』と謳われ宣伝された『お祭り広場』のまっただ中だったのである。
 折しも開会式当日の夜のこととて、幅百メートル長さ三百メートル、高さ三十メートルに及ぶ世界最大の屋根に覆われた大グラウンドでは、元首、貴賓、大使を含めた世界各国からの来賓数千人が両側の観覧席から見守る中で『人類の進歩と調和』をテーマにした大ページェントが各国民族舞踊団によって華やかにくりひろげられているまっ最中。
 群舞の中央へ突然あらわれた、裸に近い恰好のおれとしのぶちゃんを見て、最初は余興のひとつと思い笑って眺めていた来賓たちも、こそこそと逃げ出そうとするおれたちの様子にさすがにおかしいと気づいて騒ぎ出し、あわてた主催者の指示で警備の警官たちがばらばらと走ってきた。
 だがその時、おれたちの出てきたのと同じ空間をつき抜け、おれたちを追って拳銃をぶっぱなしながらヌートリアの王様、だんびらふりかざして政府軍兵士、続いて革命軍とアラブ連合の兵士数十人が次つぎとあらわれたから大変なことになった。「あそこにいたぞ。逃がすな」嫉妬に狂い周囲の状況も眼に入らぬ王様がおれたちを指してそう叫んだ。
 警官とアラブ連合軍がぶつかりあい、射撃戦になった。舞踊団は悲鳴をあげて広場を逃げまどい、観覧席は総立ちである。
 おれたちは、衣裳が似ているのをさいわいインド舞踊団のグループにまぎれとんだ。男は上半身裸体、女はすけ透けルックだからである。追ってきた政府軍兵士が、おれとまちがえてインド人の首をだんびらで切り落した。観覧席の貴婦人たちがいっせいに悲鳴をあげ、申しあわせたように失神した。
 広場中央部の、あの見えないトンネルのある空間からは、さらに紅衛兵、ベトコンなども走り出てきて、騒ぎはさらにひどくなった。おれがあの後宮のドアを全部あけ放してしまったため、世界各国の連中がどっと入ってきたらしい。ベトコンを追って米軍兵士や、さらにはソ連の戦車、パリの学生運動の闘士なども次つぎとあらわれ、彼ら同士で相手もよく見定めずに撃ちあいをはじめたため、もはやどう手のつけようもない上を下への騒動になった。
 とばっちりを受けたのは、各国来賓である。ベトコンや紅衛兵が、米兵や警官に追われて観覧席へ逃げこんだため、流れ弾にあたる者、斬られる者、楯にされる者、広場へ落ちる者などが続出、悲鳴と怒号、断末魔の絶叫が広場いっぱいに渦巻き、ここに人間性ゆたかな平和の祭典万国博覧会はついに阿鼻叫喚の巷と化した。おれとしのぶちゃんは観覧席の最上段に逃げ、なすすべもなくただ茫然としてこのありさまを見おろした。
 ロイヤル・ボックスでは総理と国連事務総長がベトコンに追われて逃げまわり、ソ連舞踊団とドン・コサック合唱団は広場で紅衛兵と大乱闘、例の空間の出口からは新たに、餓えたインドの貧民がぞろぞろあらわれて着飾った貴賓席の婦人にすり寄って物乞いしはじめ、フランスの学生たちはソ連の戦車に蟻の如くたかってこれをひっくり返そうとけんめいである。
 これはどたばただ、と、おれは思った。この空虚などたばたの行きつく果てに何が待っているのか、いや、いや、そう考えてはいけない。その考えかたはもっとも安易な理想主義だ。空虚などたばたの果てに何もある筈がないのだ。そして、それが事実なのだ。何もないからといってどたばたから眼をそむけるべきか。不愉快そうに顔をそらすべきか。否、それは現にここにある。現実に眼の前でくりひろげられている。いかに空虚であろうと、その空虚さが現実であれば、まずその空虚さを身にしみて知るべきである。全身で感じとるべきである。眼をそむけてはいけない、眼をそむけてはいけない、折しも天井に吊られていた垂れ幕の紐は切れ、『人類の進歩と調和』と横書きされたペナントはこの乱痴気騒ぎの大広場にゆっくりと舞い落ちはじめおおこれぞ真の調和、人類進歩の果て、宇宙開発と局地戦、話しあいと暴力、繁栄と飢餓、同時通訳と対話の断絶が併存するこの混沌たる現代にふさわしい、EXP0'70最高最大のページェントではないであろうか、うん、そうに違いないぞとうなずきながら、おれはしっかりとしのぶちゃんの手を握りしめ、いつまでもいつまでも、この果てしのない混乱を眺め続けていた。
— 筒井康隆「国境線は遠かった」より

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