春が来る

春が来る


「悟くん、ちょっと聴いてよおおお」


 桜が綻ぶその下、公園のベンチに座るゆいが涙まじりに泣いていた。


「拓海がまた別の女の子とデートに行っちゃった」


 うーん、またか。と悟は心の片隅をよぎった疲労感にも似た感情をぐっと押し殺した。自分の感情は先入観に繋がり観察眼を曇らせる。

 先ずは状況確認。

 悟は同じベンチに腰掛け、隣のゆいに問いかけた。


「和実さん、良かったら話を聞かせて欲しいな」

「うんうん、そのために来てもらったもんね!」


 ゆいはぐすぐすと鼻を鳴らしながらも語り始めた。


「あたし、前スレの序盤に投下したSSで拓海に告白したでしょ? 拓海からも好きだって言われてあたしたち付き合い始めたんだけど」

「うん? うん?」

「でもその翌日にわんぷり第7話が放映された途端にスレはまゆ拓で大盛り上がりになったんだよ!? どうゆうことかな!? まゆちゃんどころかわんぷりと共演もグッズコラボさえしてないのに拓海はまゆちゃんにキスまでしてたんだよ!? ほんとどうゆうこと!?」

「う、うん、そうだね、どういうことだろうね……」


 それを言い出したら僕が和実さんとこうして顔を合わせて相談にのってることもおかしいんだけど。というかそもそもまゆちゃんって誰だろう?

 え? 明日放映の第8話で同じクラスになる転校生? そ、そうですか、はい……じゃあ明日(令和6年3月24日)これ描けばいいじゃないですか……


「悟くん……聴いてる?」

「あ、はい! 大丈夫だよ、ちゃんと聴いてるよ」

「ごめんね、悟くんも忙しいのに……でも相談できるのは悟くんだけで……」

「いや、いいよ。和実さんの力になれるなら……それで、品田先輩はなんて言ってたの?」


 その問いかけに、ゆいは首を横に振った。


「まだちゃんとお話できてないんだ」

「品田先輩とお話する前に、スレだけ先に読んじゃったんだね」

「うん」


 ぐす、と鼻を啜り上げたゆいに、悟はポケットティッシュを差し出した。


「ありがと」


 チーンと鼻を噛んで立ち上がり、近くのゴミ箱にティッシュを捨てて、ベンチに戻ってきたゆいは続けた。


「あたし、拓海のこと信じられなくなっちゃうかも……」

「うーん、でも品田先輩から、その、まゆちゃん…さん? のことをきちんと教えてもらったわけでもないんだよね?」

「聞くの、ちょっと怖い…かも…」

「うんうん、確かにそういうのはとっても勇気が必要だよね。……でも、そもそも情報の出所はあのスレだよね…?」

「うん」

「あの風評被害スレと品田先輩……和実さんは、どっちを信じるの?」


 そう言われて、ゆいはハッとなった。


「そう…そうだよね!」


 邪悪な集団幻覚と手当たり次第なカプ妄想を糧に数を伸ばし続けるNTRスレと、十数年ずっとそばで支え続けてくれた幼馴染のどちらを信じるかなんて、そんなことは初めから決まりきっていた。


「あたし、色んなことを見失ってたかも……拓海は言ってた! 迷ったら大切な人の笑顔に答えはあるって!」


 それはゆいの祖母:よねから拓海が受け継いだ言葉。拓海はそれを、ゆいが迷いの底で立ち止まった時に告げてくれた。その言葉のおかげで、ゆいはもう一度立ち上がることができた。

 だから、今度も立ち上がることができるはずだ。


「悟くん、ありがとう! あたし拓海に会いに行ってくるよ!」


 張りを取り戻したゆいの声と言葉に悟は微笑みながら頷いた。

 と、その時、悟の懐でスマホが音を鳴らして着信を告げた。


「和実さん、ちょっとごめんね」


 スマホを取り出して確認すると、着信は一通のメッセージが届いたことを知らせるものだった。

 差出人は【犬飼いろは】


──悟くん、今日お話できる時間あるかな? 無理なら気にしなくてもいいよ。


 悟はふと迷って、ゆいに一瞬だけ目を向けた。

 それだけで、ゆいは察した。


「悟くん、あたしはもう大丈夫だよ。相談に乗ってくれてありがとう」

「あんまり力になれたとは思えないけれど……またいつでもお話したくなったら付き合うよ?」

「じゃあその時は甘えちゃうね。でも今は……いろはちゃんに向き合ってあげて」

「……わかった。ありがとう」


 悟はメッセージに、


──今からでも大丈夫だよ、電話しても良いかな


 と記入し、それを送ろうとして、その指を止めた。


「………」


 記入したメッセージを全部消して、代わりにこう打ち込む。


──今からそっちに行くよ


 君の顔を見て、君の声を聴きたいから。

 そんな想いを込めてメッセージを送り、悟はベンチから立ち上がった。


「じゃあまたね、和実さん」

「うん、悟くん」


 駆け足気味に去っていった彼の背中に、ゆいは手を振りながら見送った。

 兎山 悟。彼に話を聞いてもらうと抱えていた不安が和らぐ、不思議な少年。

 その背中が見えなくなって、じゃああたしも拓海のところに行こうかな、と考えたゆいの背後から、人影がひょっこり顔を出した。


「ゆいの悩みを真っ直ぐ受け止めて拓ゆいの絆に気づかせてくれる。今日もナイスなアシストだったぞ、うさぎやま。500品田ポインツ進呈だ」

「あまねちゃん!? いつからそこに!?」

「悟くんちょっと聴いてよ、の辺りからだ」

「つまり最初からってことだね!?」


 あまねはフッと笑いながら空いたゆいの隣に腰掛けた。


「うさぎやまの品田ポイントも随分と貯まった。新品田を正式襲名する日も近いな」

「襲名したらどうなるのそれ?」

「品田 悟になる。なんなら君も彼と付き合ってみるか?」


 ハーレム気質な幼馴染より気苦労は少なさそうだぞ?

 そんなことを言ったあまねに、ゆいは目尻を吊り上げた。


「あまねちゃん、冗談でも怒るよ」


 本気の眼差しに、あまねは、ふふ、と穏やかに微笑んだ。


「君がそう言ってくれて安心したよ。やっぱり私は拓ゆいが一番好きだからな」

「じゃあ拓海に変なちょっかい出すのやめて欲しいんだけど?」

「分け合う幸せが私たちのモットーだろ。あんまりヤキモチ妬いてるとまたキュアソクバックに覚醒してしまうぞ?」

「自分こそキュアリャクダッツのくせに〜」


 ゆいから軽く肘鉄を食らいながら、あははと笑うあまね。その頭上で桜が春の日差しを浴びながら、咲き綻ぶ日を今か今かと待ち構えていた。

 もうすぐ四月。あま拓スレは、新しいメンバーと共に二年目の春を迎えようとしていた──

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