前田憲男

Norio Maeda

1934年12月6日、大阪市生まれ。

幼少の頃より小学校教師の父親から読譜を学び、ピアノ・指揮法は独学で習得。高校卒業と同時にプロ・デビュー。関西で活躍後、上京して「ダブル・ビーツ・ファイブ」に加入。以降、名門コンボ「ウエスト・ライナーズ」、ビッグバンド「ザ・サード」など、各グループの要としてピアノ、作編曲の両面で優れた才能を発揮。

80年には日本最高峰のジャズメンを集めた自己のビッグ・コンボ「ウインド・ブレイカーズ」を結成。盟友の荒川康男、猪俣猛と組んだピアノ・トリオ「WE3」とともに、晩年まで意欲的に4ビート・ジャズに取り組んだ。

ソロから3人のピアニストによるユニークなユニット「トリプルピアノ」、そしてビッグ・バンドにいたるまで、いかなる編成でも卓抜したテクニックとリズム感、そして、センス溢れるアレンジで聴かせる前田憲男のピアノ演奏は高い評価と人気を得て、聴衆を魅了し続けた。

また、その多才ぶりは演奏に留まらず、70年代以降は「11PM」「サウンドインS」「ミュージックフェア」「題名のない音楽会」「ポップス倶楽部」「ザッツ・ミュージック」など人気テレビ番組の音楽を担当。「Mr.サマータイム」(サーカス)、「冬のリヴィエラ」(森進一)といった歌謡曲の編曲も手掛け、見事な仕事ぶりでヒットに貢献した。

そのほか、クラシックのオーケストラとの共演も多く、東京フィルハーモニー交響楽団をはじめ、全国主要オーケストラで客演指揮をおこなうなど多彩な音楽活動を展開。後進の指導にも熱心に取り組み、2003年からは大阪芸術大学音楽学科教授を務めていた。

2018年11月25日、肺炎のため東京都内で死去。享年83。

バイオグラフィー

Biography
1934年

大阪に生まれる。

1951年

大阪府立桜塚高校3年在学中に米軍キャンプのジャズ・バンドに参加。

1952年

高校卒業と同時に関西でプロとしてライブ活動を始める。


1955年

上京。澤田駿吾のダブル・ビーツ・ファイブに加入。

1957年

西條孝之介とウエスト・ライナーズに参加。ピアニストとしての実力を高く評価されると共にアレンジャーとしても頭角を現し、ステージ、テレビなど 幅広い分野で活動を始める。

1960年

三保敬太郎、山屋清との「モダン・ジャズ三人の会」の作編曲に対し、昭和34年度芸術祭賞・大衆芸能部門で《芸術祭奨励賞》を受賞。

1966年

ジャズ専門誌「スイングジャーナル」読者人気投票《作編曲部門》で1位を獲得。以降、20年以上にわたって同部門のポールウイナーに選出された。

東京キューバン・ボーイズに作編曲を提供した組曲「祭りの四季」が昭和40年度芸術祭賞・大衆芸能部門で《芸術祭奨励賞》を受賞。

1975年

日本テレビ「11 PM」にレギュラー出演。

1977年

TBS「サウンド・イン・S」、フジ「ミュージックフェア」、テレビ朝日「題名のない音楽会」、テレビ東京「ポップス倶楽部」、NHK「ザッツ ミュージック」等の音楽を担当。

1978年

「Mr.サマータイム」のアレンジで第20回日本レコード大賞《編曲賞》を受賞。

1980年

前田憲男とウインドブレイカーズを結成。

1981年 

東京音楽祭《最優秀編曲賞》を受賞。

1983年 

日本ジャズ界の最高位に価する《南里文雄賞》を受賞。

2003年

大阪芸術大学音楽科教授に就任。

2008年

第50回レコード大賞《功労賞》受賞。

2014年 

《文化庁長官表彰》を受賞。

2015年

第6回岩谷時子賞《特別賞》を受賞。

2017年

古賀政男音楽文化振興財団《大衆音楽の殿堂》顕彰を授与される。

2018年

肺炎のため永眠。
没後、長年に渡る音楽界への功績を称えて、第60回日本レコード大賞《特別功労賞》、JAZZ JAPAN AWARD 2018《特別賞》が贈られた。

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