誰がためのキリエ・エレイソン

誰がためのキリエ・エレイソン


襲い来る無数の敵を前に、聖園ミカは一人残って食い止めることを選んだ。


「先生……行って」

 

おかしな話だ。

自分から全てを奪った女。

善意が空回りした女。

自分とよく似た女……錠前サオリ。

あの子を助けるために、一人で残ろうだなんて。

償いなんて不可能だ。だけど、それでも……この身に変えて、できることがあるなら。

 

「よう、ミカ!」

「!?」

 

静かに歩いていこうとした聖園ミカは、横から聞こえた声に耳を疑った。

見れば黒とオレンジの、目が大きい梟みたいな顔のオートボットが当然と言いたげに立っていた。

 

「ホットロッド!?」

「ここは自分にまかせて~、なんてベタなフラグ立てるなよ。今どき流行らないぜ」

 

おどけた調子で言うと、後ろにいるであろう先生たちに目配せをする。口調とは裏腹に、その目はゾッとするほどに真剣だった。

 

「ホットロッド」

 

オプティマス……色々と口が悪い部分はあれど、オートボットのリーダーたる英雄、先生が信頼する『大人』の一人は、短く命じた。

 

「この場は任せた」

「了解!」

「『健闘を祈る!』『お楽しみはこれからだ!』」

「カッコつけやがって……! 死ぬんじゃねえぞ!!」

「おう!」

 

オプティマスの友であり生徒たちと生徒の友、バンブルビーのラジオ音声と、偶然居合わせただけなのにグチグチ言いながらもここまで付いてきてくれたクロスヘアーズの声に明るく答え、ホットロッドは二丁拳銃を構える。

 

「ちょっと、ホットロッド……! なに考えてるの……!?」

「なーに、なんたって向こうにゃオプティマスやバンブルビーがいるんだぜ! 俺みたいな脇役、いなくても問題ないさ!」


目付きが鋭くなるが、当のホットロッドはおどけたちょうしを崩さない。

このオートボットはいつもそうだ。あの補習授業部の子たちや、ナギサやセイアと一緒にてほしいのに、調印式の日以降、檻の中にいた自分を頻繁に訪ねてきた。

今だって、先生やアリウスの子たちを助けてほしかったのに。

 

「………」

「正直、例のベアなんとかってクソムカつくオバさんと、センチネルの野郎に一発かませないのは残念だけど……」

 

その瞬間、オートボットの目つきが鋭くなった。

 

「いくら君でも、こいつら全員の相手は骨が折れるだろう?」

 

その視線の先にいるのは、ガスマスクにフード、そしてハイレグの水着という何とも言い難い恰好の、しかし生気を感じさせない青白い肌の幽鬼のような一団だった。

ユスティナ聖徒会。シスターフッドの前身であり、かつてトリニティ総合学園で排斥されたアリウスを弾圧しながらも、同時に未開の地に脱出させたという。

彼女たちはミメシス(複製)として蘇り、アリウスの背後に潜む者たちの走狗と化した。

その一団の中央に立つのは、両腕に重火器を構えた彼女たちの中でも最も偉大だと言われる聖女バルバラ。

そして後ろに聳えるのは、騎士甲冑がそのまま動き出したような、重厚な金属生命体たちだ。

背丈だけでもホットロッドの倍はあり、剣を持つ者、槍と盾を構えた者、戦斧を担いだ者、いずれも猛者の貫禄を醸し出している。

 

アイアコンの騎士たち。

 

かつてトリニティ総合学園の創設にも関わったとされる栄誉ある騎士たち。

ユスティナがブラザーフッドにとってそうであるように、ホットロッドらウィトウィック騎士団の前身。

彼らもまた、幽鬼のような青白い光に包まれたミメシスとしてなって復活を遂げた。

 

確かにミカ一人では……そしてお調子者のオートボット一人で何とかできる相手ではない。

 

「だから……」

「おっと、お話しはこれくらいで。来るぞ!!」

「はあ……仕方ないね」

 

ユスティナ信徒の銃が火を噴き、アイアコンの騎士たちの剣がうなりを上げて迫ってくる。

生徒とオートボット、それぞれたった一人ずつは、それぞれの愛銃を手にそれを迎え撃つ……!

 

 

 


「ああ先生。不可解なる者、私の敵対者よ。なぜ、そのような者たちに信を置くのです?」

 

目のある羽根に覆われた頭部を持つ、貴婦人を気取る異形……ゲマトリアのベアトリーチェは、そう嘯いた。

 

「トランスフォーマー、異星からやってきたロボット。まるで子供の玩具ですね……いえ、だからこそですか。大人に抑圧され、支配され、利用され、搾取される。それだけの存在に寄り添う、木偶人形……」

 

手に持った扇子では隠し切れない、亀裂のような笑みを浮かべる。

その横に立つ、裏切りの先代プライム……センチネル・プライムは無表情のまま、弟子の方を見ていた。

 

「それも、トリニティのホットロッド……あんな『子供』に……そう、子供です。ただの一度きり、本人の意図せぬ幸運と、運命の絡繰りによって奇跡にも等しい所業を成し遂げた……それで、役割を終えた子供。もう誰も再登板など期待していない、おもちゃ屋にある安売りの棚か、物好きのコレクションルームで埃を被ったまま忘れ去られていくのがお似合いの……」

“黙れ”

 

裂けた口からとめどなく流れ出る戯言を、シャーレの先生はただ一言で遮った。

 

“確かに彼は子供だ。……だけど、子供は成長するものだ”

「成長?」

 

堪えきれぬとばかりに、ベアトリーチェは嗤いだした。

 

「成長? 否、否です先生。子供とは大人に支配され、管理され、利用され、搾取される! それだけの、永遠に、それだけの存在なのです!!」

「マダム……!!」

「なんつう傲慢ババアだ! ディセプティコンよりヒデエぜ!」

 

かつて自分たちが主と仰いだ存在の、あまりに醜悪なその姿に、錠前サオリは怒りを堪えきれず、彼女をさりげなく庇う位置に立つクロスヘアーズは吐き捨てた。

 

「ババア!? なんと不躾な……! いえ、あなたのような下賤には理解できないでしょう! これが、これこそが、高位なる大人の姿なのです!!」

 

頭部の羽根が花のように開き、手足が、胴が、木の枝のように伸びていく。

サオリが戦慄するように呟いた。

 

「これが、本当のマダム……!」

「ヒデエ面だなおい」

「『なんて醜い化物だ』」

“同感だね”

 

クロスヘアーズの声とバンブルビーのラジオ音声に先生が頷く。

ここまで黙っていたセンチネルは、前に進み出て両柄の大剣プライマックスブレードをかつての弟子の方へと向けた。

 

「センチネル……!」

「オプティマス……儂が願うのは故郷を蘇らせること。そして、いずれや来たる全てを塗り潰す『色彩』、全てを喰いつくす『混沌』を打ち払うことだ」

センチネルの目が鋭くなり、オプティマスを射抜く。

 

「お前はどうだ? その者たち、このキヴォトスに生きる者たちを守ることは……この儂の大義よりも優先すべきことなのか? この場において、儂と戦うに足る理由か?」

「ここも故郷だ。なにより……」

 

オプティマスの顔に、一瞬だが笑みが浮かんだ。

 

「ある部下と約束した。アリウスの皆を助けると」

“『大人』は約束を守り、責任を果たす者だ”

“あなたたちと戦う理由なんて、それで充分だ”

「何を愚かな……」

「そうか」

 

ベアトリーチェは嘲笑を隠さないが、逆にセンチネルはどこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。

 

「ならばオプティマス! オートボットたち! そしてシャーレの先生と生徒たちよ!! その信念、その熱意! 我が大儀を凌駕しうると言うのなら、見事この儂を超え、それを証明してみせよ!!」

「そんな物が証明されることはありません!! あなた方は皆、ここで滅ぶのです!!」

 

センチネルとベアトリーチェが咆哮する。

バンブルビーとクロスヘアーズが、アリウススクワッドが、それぞれの銃を構える。

オートボットの総司令官とシャーレの先生は、仲間たちに号令をかけた。

 

「オートボット!」

“みんな!”

『ロールアウト!!』

 

そして戦いが始まった……!

 

 

 

 

「ねえホットロッド、私ね、あなたのこと好きじゃなかった」

 

椅子に腰かけ体を休めるミカは、周囲を警戒するオートボットの方を見ずにそう言った。

ここは聖歌隊室。譜面にパイプオルガン、蓄音機までトリニティにある物とそっくりだ。

トリニティとアリウスは、元をたどれば同じ流れを汲んでいるのだから、それも納得できる。

押し寄せる銃弾と、槍や剣を掻い潜り戦い続けていたミカとホットロッドは、一度ここに身を潜めていた。

二人とも傷つき、疲れている。

 

「ノリの軽い口調でさあ☆ そのくせ、喋り方に変な訛りがあるしさ」

「俺だって嫌だよ、こんな訛りカッコ悪い。これはフランスの……フランスってどこだっけ?」

「変なトコ真面目でさ、使命っていうのに忠実でさ。まるで犬みたい。……そんな君が、好きじゃなかった」

「……ああそうだな。俺も正直、ミカのこと好きじゃなかったよ」

 

静かな声に、ミカはしかし微笑むだけだった。そんなこと、分かり切っていると言う風に。

 

「いっつも強引で、考え無しで、思い込んだら一直線! その癖、妙に抱え込んで……今回だって、自分が一人きりだって思い込んでる」

「……じゃあ、なんで私を助けようとするの? ……ああ、ウィトウィック騎士団の使命だもんね」

 

ホットロッドが所属する騎士団は、代々のティーパーティーを愚直なまでに守護してきた。

今回もその延長線上だろう。

 

「違う」

 

だが、ホットロッドは静かに否定した。

 

「?」

「使命とかそんなんじゃない。ただ嫌なんだよ。君にせよアリウスの連中にせよ、見捨てたり悲しませたり。そういうの、もう嫌なんだ」

「フワフワしてるねえ☆」

「ああ、でもフワフワに命かけてみるのも悪くない。君たちを助けたいんだ」

「…………」

 

『私はバカだから、なにがどうなってるのか全然分からないけど!』

『でも、これは違う! こんなの絶対にダメ!』

 

脳裏に過るのは、あの正義実現委員会の少女、コハルのことだった。

あの、誰もが抱くような、しかし建前ということにして諦めてしまうような正義感を、それでも当然のように口にした少女。

とても素敵だった。先生に助けられて、まるで物語のお姫様みたいだった。

窮地に陥った姫を、運命の人が救う……ありきたりだけど、だからこそ憧れる物語。

 

「ふふふ、それじゃあホットロッド。私の騎士になってくれる?なんてね」

「喜んで、といいたいとこだけど、君みたいな女は俺の手には余るね」

 

ちょっとだけ期待したが、残念ながらフラれてしまった。

まあいいか。追い詰められて結ばれて、なんて映画なら続編で別れている。

 

「今どき王子様を待ってるだけなんて流行らないぜ。いつでも、どこへでも、自分で探しにいけばいいさ。君がそうできる未来を守るために、俺はここにいるんだ」

「わーお……」

 

この機械、単に口説くよりこっぱずかしいことを言ってくれる。

照れを隠すように立ち上がったミカは、机の上に置かれた蓄音機を動かした。黒いレコードの上を針が走るが音はでない。故障しているようだ。

わかっている。自分はコハルのような物語の主人公にはなれない。ホットロッドが言うような未来を得る資格なんてない。

『魔女』がハッピーエンドを得る物語なんか存在しない。

でもこんな自分でも、最後に誰かを救うことができたなら……。

 

「ああ、そっか……」

 

きっとサオリもそうなのだろう。誰かを救うことができたなら、自分も救われるかもしれないと、きっとそう思っているのだろう。

だけどホットロッドは違う。後悔しても、挫折しても、それでも自分が救われることは望んでいない。

きっとこいつは、誰かのために自分の身を削って戦い続ける。そんな道に足を踏み入れていたのだ。……自覚がなかっただけで、きっとずっと前からすでに。

自分と似ていて、しかし決定的に違う。だから自分はホットロッドを好きになれなかったのか。

 

「だったら……祈るよ。あなたたちのために」

 

自分によく似た、彼女たちのために。

自分に似ていない、彼のために。

彼ら彼女らに未来があることを。いつかその苦痛が癒えることを。いつかその苦悩が報われることを。

聖園ミカは、祈る。

 

「! 来やがったか!!」

 

そんな静かな祈りを邪魔するように、聖歌隊室の扉が破られ、聖女バルバラを先頭にユスティナ信徒が雪崩れ込んできた。

そして彼女たちを守るようにして、アイアコンの騎士たちも進み出る。誰一人として、自分よりも小さな少女たちの後ろに隠れる者はいない。

 

「……ああ、先輩方。あんたらもそうなんだな」

 

ホットロッドの、こんな時だというのに感嘆と敬意に満ちた呟きがミカの耳に届いた。

 

「政治だの、主張だの、そんなのどうだってよかったんだ。見捨てられたアリウスを、そんな彼女たちを助けたユスティナを、守りたかった。彼女たちの手を汚させたくなかった。ただそれだけだったんだな」

 

剣を、槍を構える騎士たちを、ホットロッドは畏敬の念を持って、だからこそ決して許せないようだった。

彼らではなく、その尊厳を穢した者たちを。

 

「そんな騎士団と信徒の絆を利用して……あのベアトリーチェとやらも、ゲマトリアの他の連中も……許せない!」

 

義憤。

そうとしかいいようのない感情で、ホットロッドの目は燃えていた。

 

(ああ、やっぱり……)

 

故障していたはずの蓄音機が音楽を奏でる。

誰の物とも知れぬ、しかし美しい歌は『キリエ・エレイソン』……主の憐れみを乞う、祈りの歌。

 

(きっとたくさん、苦しむんだろうな。この人は)

「……あは☆ だったらここで食い止めよう。私たち二人で」

「ああ、もちろん! 食い止めて、帰るぞ!!」

 

無数の敵、無数の銃弾、無数の剣と槍。

それらを前に二人は立ち向かっていった。


――Kyrie eleison……

――Kyrie eleison……


鳴り響く祈りは、誰がためか。

Report Page