小野篁
小野篁は、仕事ができる人だった。ただ、反骨心のある人だったようだ。
官位は従三位、参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。(ウィキペディア「小野篁」より)
小野妹子の子孫であり、小野小町の祖父であるとも。
その小野篁は昼間は朝廷で働き、夜は閻魔庁で働いた。東山の松原通り(旧五条大路)沿いにある六道珍皇寺の冥土通いの井戸から、地獄の閻摩庁に行き閻摩大王に仕え、朝には、黄泉がえりの井戸から戻り、朝廷で働いたと言われている。
冥土通いの井・六道珍皇寺
「冥土通いの井」は六道珍皇寺にある。
↓六道珍皇寺の「六道の辻」の石碑。
六道珍皇寺は、盂蘭盆になるとご先祖のお精霊さんを迎える「六道まいり」が行われる。境内にある「迎え鐘」を鳴らしお迎えする。多くの人が訪れる。
↓六道珍皇寺「閻摩・篁堂」、奥の朱色に建物が「迎え鐘」
そして、小野篁が帰って来る「黄泉がえりの井」があるのが京都の嵯峨野にあった福生寺だと言われていた。
しかし、福生寺は嵯峨薬師寺に合併されて、今はない。
↓嵯峨薬師寺は、清涼寺の境内にある。
福生寺の跡地に行ってみた、跡地は整備されている。
Googleマップで調べると福生寺跡で場所を確認できる。
大覚寺へ続く参道入り口の辻にある。
嵐山駅から来たバスは、この辻で、左に曲がり真っ直ぐ大覚寺に向かう。
六道珍皇寺にも「黄泉がえりの井」
2011年(平成12年)に六道珍皇寺に、黄泉がえりの井戸が見つかったそうだ。
2019年の一般公開の六道珍皇寺の一般公開の時には、黄泉がえりの井戸を見ることができた。撮影禁止だった。
装飾がされていて、井戸の中に光のラインがまっすぐ井戸の底まで続いていいるようだった。
井戸の深さとこの光のラインに沿って小野篁が上がって来るのはどんな感じか想像をしてみたりした。
外には黄泉がえりの井戸がある門のところには、「黄泉がえりの井戸」と書かれた標識がかかっていた。
↓この戸の中に「黄泉がえりの井」がある。
それ以前は福生寺に「黄泉がえりの井」があると言われていた。しかし、六道珍皇寺にもあると言われると。どっちが正しいのか考えてしまう。
考えてしまうと。
小野篁が、夜になると、冥土通いの井戸から地獄に行って閻魔大王に仕え、朝には「黄泉がえりの井」から帰って来ることが、史実のように思えて来る。
黄泉がえりのの井戸がどこにあるかは、どう調べてもわかるものではない。
福生寺跡(生の六道の辻)
道路から目立つところに、「六道の辻」の石碑があった。
全体は
生の六道延命地蔵石碑
祠の前に井戸があった。
説明はなかったが、これが「黄泉がえりのの井戸」かと思える。
今は、「黄泉がえりの井」は六道珍皇子にあるということになったのだろうか?ここには「黄泉がえりの井」とう文字は見つからなかった。
雰囲気、地獄の三途の川の河原の雰囲気をかもしているような感じがした。
あの世との境
六道珍皇寺は、その先にある葬送の地の鳥戸野へ続く道にあって、あの世との境とも言われた。
六道珍皇寺の少し西も六道の辻の石碑がある。これは本当にT字路の辻に建てられていた。T字路を曲がると「六波羅蜜寺」がある。
同じく、福生寺もその先には、葬送の地化野がある。どちらも、あの世との境にあらあるお寺と見られていたのかもしれない。