宮武孝吉の詩集「内場幻想」を読む。

 不思議な縁で私はこの詩集を手にした。詩集に添えられた著者のレターでは、去年の三月まで千葉詩人クラブの理事をしていたこと、そしてこの不思議な縁の結び目は、私が去年の十二月十五日に芦屋芸術のブログに書いた「千葉県詩集第55集」の紹介文をこの著者が読んでくださったことだった。私の紹介文のお礼にわざわざこの詩集が我が家まで届いたのだった。

 深い味わいのある詩集だった。語り上手な詩人が、少年時代の戦争体験を根底にした言葉を、何ものにも迎合せず、社会の片隅でそっと、ひそやかに、白紙の上に書き刻んでいる。

 詩集「内場幻想」 宮武孝吉著 大空社出版 2019年7月8日発行

 もともとこの詩集は著者が三十代後半に出版しようとしたが、そのまま忘却され、八十一歳になってやっと出版することを決意した、そう言った異色のいきさつは巻末の著者略歴・あとがきに詳しい。また、巻末のこれらの記載もすべてこの詩集に組み込まれ構成されている特異な詩集であるため、読者は必ず著者の略歴・あとがきも含めて読んで欲しい。決して大声を張り上げるわけではなく、静かな、丁寧な、太平洋戦争の日本の悲惨の一個人の声を読者は聴くだろう。著者の言葉は、私のような戦後生まれの人間には到底及ぶべくもない、人間の悲惨を生き抜いた言葉だった。

 さて、この詩集は一九五五年、十七歳頃に書いた作品「五月の空」(「紅」3号に発表)から、八十一歳になってこの詩集のために書き下ろした作品「高松」まで、六十年余りの歳月の中で成立した作品群だった。ちなみに、私がブログに紹介した「千葉県詩集第55集」(2022年11月6日発行)には著者の作品「昭和の記録/祖母の手紙」が発表されている。著者の戦争体験を描いたもので、この詩集のために書き下ろした「高松」と対をなす作品だった。

 私の場合、この詩集の読み方はこうだった。まず、表紙から裏表紙までの全ての表現を一読再読した。その上で、特に強く印象を残した作品だけをピックアップしてもう一度読み返してみた。ピックアップした作品を以下に掲げておこう。

 「春に」、「悲シミノ上ニ」、「あるとき」、「はだか電球の下にて」、「サーのこと」、「家の履歴書(一)」「家の履歴書(二)、「内場幻想」、「亀」、「高松」。以上十篇。

 東京住まいだった昭和十三年生まれの著者は戦時下の昭和十九年八月、母の郷里、香川県の内場へ疎開する。その後、昭和二十年三月の東京大空襲で自宅は焼失、四十歳にして召集された父は二月の冬の北支で戦死した。父の死の通知はその一年後に受けとるのだが。こうした履歴を受け止めるためには、ぜひ、私が上記に揚げた十篇と巻末の著者略歴・あとがきを読んでいただきたい。著者は自らの詩の位置を作品の中でこのように語っている。まず十七歳の頃に書いた詩「悲シミノ上ニ」から引用してみる。

 アレカラ十年タチマシタ

 年ヲ増スゴトニ父ノ思イ出ハ鮮明ニナリ

 涙管ハマスマス太クナッテユキマシタ

 悲シミノ日モ喜ビノ日モ

 僕ノ心ハ泣キツヅケマシタ

 僕ハ僕ノスベテヲ

 コノ悲シミノ上ニ結実シヨウト思イマス

(「悲シミノ上ニ」最終連1~7行目、14~15頁)

 著者は香川県で高校を卒業後、東京に出て職業を転々としながら夜間大学に入学し卒業をしている。おそらく母子家庭四人の長男として、苛酷な重責を背負って。この三行も確認していただきたい。

 あるとき ぼくは群衆の中にいた

 にぶい光を放つ機動隊員のヘルメットの群れが、不気味に怖かったけれど

 ぼくは闘った 戦争につながるぼくの貧しさの、その悲しみのために

 (「あるとき」第6連全文、37頁)

 少年時代、青年時代の生きざまはその人の一生の根底に生き続けるのではないのだろうか。テレビのように簡単に生きて来た場面を切り替えるわけにはいかないのではなかろうか。著者は八十一歳になって、こう語っている。

 もう私も八十一歳

 いつ消えてしまうか分からない

 空襲された高松の街の瓦礫の光景を

 言葉で書き残しておきたいと思います

 (「高松」第4連10~13行目、96頁)

 詩集の巻頭に置かれた秀作「春に」を一読してもわかるように、この著者の作品からは、現実の中からわきあがりほとばしる悲苦、とでも形容すればいいのか、私は深い悲しみと苦しみを覚えた。さらに言えば、ここから先はまったく私個人の思い入れに過ぎないだろうが、著者にはこれらの悲しみや苦しみを支えるものを先験的に持っているのではないか、私はそう思った。それは生きとし生けるものへの本能とでもいえる愛だ、そう言っていいと思う。著者が七十代半ば頃に書いた詩の一部を引用してこの拙稿の筆を擱く。

 捨てられた犬、捨てられた鶏、

 捨てられてわが家に辿り着き

 庭の段差を這い登ろうとしていた子犬、

 もらわれてきた子猫、など

 様々な生き物と付き合ってきたが

 亀もなかなかの愛嬌者である

 (「亀」第2連全文、74頁)

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