波に千鳥はまだ遠い

波に千鳥はまだ遠い


※娘ちゃんは撫子ちゃん


なんだかんだあらゆることをそつなくこなす男であると思っていたので、惣右介にも出来ないことがあるというのは意外だった。

もちろんやらないことがあるのは知っているが、それは能力が足りないとかそういう問題でなく惣右介の性格の問題であるのでまた種類が違う。

単純な能力不足、というのがこいつにもあったんだなとなんだか感慨深いような気持ちにもなった。


「おとんのおうたへた!」

「……歌えと言ったのに酷いな」

「おうたへたやとねれへんもん!」


声はいいのにどうにも一本調子で、娘が下手というのも頷ける。これがわざとでないのなら惣右介は歌が下手だと言って差し支えないだろう。

思い返してみると歌っているところなど見たことがなかったので、やらなすぎて勝手がわからないとか本人も余り得意でない自覚があるとかそんなところじゃないだろうか。


「鳥に産まれんでよかったな、それじゃ見た目がよくてもモテへんわ」

「あなたまでそんなことを」

「可愛らしとこあるやないか、でけへんなら言うたらええのに」

「……別に、出来ないと言う程ではないですよ」


そこで見栄を張る必要はないと思うが、わりとええかっこしいの惣右介はこういうことでも自尊心が傷つくのかもしれない。

特に娘には格好のつかないところをあまり見られたくないらしく、それなりに取り繕っているところを度々見かける。


俺と二人だけなら手をつけもしないゆで卵も娘が殻をむいたからと押し付けられた時は食べていたのだから、一応父親らしくあろうという努力はしているのだと思う。

ちなみに娘は父親に似たのか、ゆで卵はそれほど好きではない。それなのに殻はむきたがるので、母親的には甘やかさずに娘に食べさせればいいと思ってもいる。


「おかんはおうたうたう?」

「今忙しいから後でな」

「いいじゃないですか歌えば」

「おうたの上手な惣右介くんの後やと緊張してまうわ」

「そんなに僕ができないのは面白いんですか?」


ふてくされた顔をする惣右介は拗ねた娘によく似ている。顔かたちだけなら俺によく似ているものの、表情の部分は父親似だったりするから面白い。

普段は可愛げなんぞ母親の腹の中にでも忘れてきたような男だというのに、案外と子供じみた面があるのがなんともおかしく思えてしまう。


惣右介は俺にかわいいなんて言われたら憤慨するだろうが、俺としてはたまには年下の夫であると認識できる機会があるのはありがたい次第だ。

そうでもないと、なんだかえたいの知れないものと結婚してしまったという実感がジワジワと沸いてくるのであまりよろしくない。


「だいじょぶやでおとん、なこちゃんがおうたおしえてあげるからなかんでね」

「撫子はお歌が上手なのかな?」

「せやで!みんなじょうずやなぁっていうの!せやからおとんはないたらあかんよ」

「なぜ僕が泣くことになっているんだろうね」

「お姉さんぶりたいねん、させとき」


大人にちやほやされまくっている娘は最近大人ぶりたいらしく、されたことをそのまま返すような言動をとることが度々ある。

ちなみに今言っている「してあげるから泣かないで」も言われたことをやっているだけだ。転んだときなどに側にいる大人がそうやってあやしたのを覚えているのだろう。


「もうおとなやから、あしたになったらおとんよりおっきいなるかもしれんよ」

「そんな急には大きくならないよ」

「じゃああさって?」

「もっとずっと後や、せっかちしたらあかんで」


抱き上げた娘はたしかに大きく重くなっているが、明日にも父を越えるなんてほどでは全くない。なんなら同年代よりも小柄かもしれないくらいだ。

少しばかり体が弱いところがあるので、小柄なのはそのせいだろうか。惣右介が過保護ぎみなのもはじめての娘だからという理由だけではないのだろう。


顔かたちだけでなく体の方も俺に似てしまえば、身長の方はそこまで望めない。体格の方も言わずもがなだ。

惣右介が誰から見てもでかいのと比べられそうなひよ里が俺以上に小柄なのであまり指摘されることはないが、身長は人並みでも体格まで含めると俺はそれなりに小柄な方に入る。


「おっきいなったら、おとんだっこしたるのに」

「やめとき、重いやろ」

「あなたが軽すぎるだけで僕は普通ですよ」

「けんかせんでも、なこちゃんがりょうほうだっこしたるよ!」


娘の中の将来像では一体どれほど大きくなっているのだろうか。大の大人二人を抱き上げられるほどの大きさは、もう健やかに育つどころではない気がするのだが。

惣右介もそう思ったらしく、しかしそれでも娘の言葉に口を挟むこともできず妙な顔をしている。否定して嫌われるのは避けたいが、かわいい娘が巨大になるのは嫌なんだろう。


「そういなそもそも子守唄とか歌った覚えがあんまないんやけど、どこで聞いてきたん?」

「うきたけさんがねるときのおうたやいうてたの」

「あー……あの人子供好きやからなァ」

「あれは眠れないときのお歌だから、撫子にはあまり必要ないかもしれないね」


娘が寝付きがいい上に惣右介が本でも読むと俺でも眠くなるような声をしているものだから、あまり子守唄が必要になったことがない。

なんなら赤ん坊の頃はあまりにぐずらず寝続けるものだから生きているか心配になるくらいだった。それが今はこんなに賑やかなのだから不思議なものだ。


「おとんもおうたいらん?」

「……そうだね、大人は必要ないんだよ」

「ほんま?」


そういえば藍染惣右介に子守唄を歌ってやるやつがいたのかどうかを、俺はなに一つしらない。それでもなんとなくいなかったのではないか、という気はしている。

だから歌が下手なのだ、なんてことはないだろうが惣右介からしたら寝ようとする際に人の声が聞こえるというのは安心感を与えるものでなく気に障るものなのかもしれない。


「安心しィ、必要なら俺が歌ったるわ」

「おかんうたうん?」

「オトンがいる言うたらな、せやから撫子は気にせんでええわ」


どうせ必要だなんて口が裂けても言わないだろうから、とは言うまい。必要になることすらないかもしれないのだから、どちらにしても気休めだ。

そもそも寝ている姿を見るようになったのも子供が出来てからというような関係なのだから、未だに寝付きの良し悪しも詳しいところはわかりはしない。


「楽しみにしてますよ」

「寝れへんことないやろ」

「あるかもしれないじゃないですか」


それでもそんな顔で笑ってるやつが寝れないわけがないだろうと思う程度には顔を見慣れているので、生きているとなにが起こるかはわからないものだ。

それこそ完璧な男のヘタクソな歌が聞ける程度には、面白いことも起こるらしい。

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