春のお彼岸
──念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、 またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、
──親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。
(念仏をいくら唱え続けても喜びは湧きませんし、少しでもはやく浄土に往生したいという心も起こりません。これはどういうことでしょう? と師(親鸞)にお訊きしましたらこう仰られました。「俺もさっぱりわからん。お前(唯円)と一緒だよ」)「歎異抄 第九条」
〜〜〜
春分の日から前後三日間はお彼岸である。山間の鄙びた集落に暮らすクローン拓海は、共に暮らしているプリムとプーカを伴って墓地の清掃に出かけていた。
暦の上では春とはいえまだ雪が多く残る北国だ。後期高齢者が人口の六割を超えてしまった限界集落では、お彼岸に墓参りするのも一苦労という世帯が多く、貴重な若者である拓海たちはそんな村人のために墓参りと清掃を肩代わりしていた。
「ねえ、ジョーブツって何?」
プリムがそんな質問を発したのは、墓参りを終えた後、お寺に招かれお茶を頂いていた時のことだった。
お出ししてくれたお饅頭を遠慮なく頬張りながら唐突に質問したプリムに、お寺の御住職は微笑みながら、
「仏さまにお成りになった、という意味ですよ」
と答えてくれた。
プリムはそれを聞いてもピンとこないらしく、隣に座る拓海に目を移した。
「拓海はこの前、生きてそれが無駄にならずちゃんと死ぬこと、って言ってたよね。違うの?」
「………」
その質問に拓海は気まずそうに黙ってお茶を啜った。本職の聖職者を前に素人の浅知恵を晒されてしまうものほど恥ずかしいものはない。
しかし御住職は微笑みを浮かべたまま深く頷いた。
「拓海さん、良いことを仰りましたね」
「適当言っただけですよ」
気恥ずかしさから否定した拓海に、プリムが不満そうに唇を尖らせた。
「もしかして僕に嘘ついたの?」
「いや嘘って訳じゃねえけど」
「適当という言葉には、適切、ほどよいこと、という意味がございます。拓海さんの言葉は適当ですよ」
「じゃあ、ジューショクが嘘ついたの?」
「おいプリム、失礼だろ!?」
「だって二人とも言ってることが違うじゃないか。拓海が合ってるなら、ジューショクは間違ってる答えを僕に教えたってことになる」
「どっちが合ってるとか間違ってるとかじゃねえんだよ。というか、仏に成ると書いて成仏って読むんだから御住職の方が正しいに決まってるだろ」
「余計にわかんないよ」
不満顔のプリムと困り顔の拓海に、御住職は静かに言った。
「まあまあお二人とも、深く考え過ぎです。それに私が正しいというのも買い被り過ぎです。正しい人など何処にも居ません。居るとすれば唯一人、仏さまだけでござりましょう」
「そのホトケってなに? お寺にその人のお人形を飾ってるのは知ってるけど」
「悟りを開かれ、そのお智慧を持ってあまねく人々へ救いの手を差し伸べて下さるお方です」
「へえ、まるでヒーローみたいだ」
「ええ、そうですね。救いのヒーローに見える方もいらっしゃるでしょう」
「人は死んだらヒーローになるんだ? それがジョーブツ?」
なんじゃそりゃ、と拓海はプリムの言葉に呆れたが、御住職がうんうんと頷いたのを見て口を挟むのをやめた。
御住職は言った。
「往生された方は、仏さまの導きにより浄土へ参ります。そこは一切の苦しみも迷いもない場所。そこで人は悟りを開き、仏さまに成るのです。それが成仏です」
「ホトケになって何をするんだい?」
「あまねく人々を救います」
御住職のその言葉を、プリムは「ハンッ」と鼻で笑った。
「ジューショクは嘘つきだ」
その言葉に拓海は目を剥いた。
「プリム、なんてこと言うんだ!?」
「だって、死んだらヒーローになるってんならこの世界はヒーローだらけだ。でもそんなにヒーローは居ないよ。僕が知ってるのはせいぜい八十人ぐらいだ」
「割と居るな!?」
多分それプリキュアオールスターズのことだろうな、と拓海も察しがついた。プリキュアもなんだかんだ毎年増えていくが、しかし死ねば皆仏、というレベルで増えるものではない。
「ホトケなんて僕はお寺のお人形でしか見たことない。何処にも居ないよ」
「そうですね」
と御住職はうんうんと頷きながら言った。
「仏さまに本来形はございません。見えず、聴こえず、しかし本当に救いを求めたとき、その人が望む御姿となって現れてくださります」
「僕は見たことないな。救いを求めたこともない。求める気もないけど」
「そのようなお方こそ、仏さまはお救いになられます」
「救ってくれないよ。僕がこの前お腹を壊した時も、風邪をひいた時も、ホトケは来てくれなかったじゃないか」
あんまりにも身近な不平不満に、拓海は思わず呆れ笑った。
「あれはお前の自業自得だ」
そうツッコミを入れてから、そういえば自業自得という言葉も仏教用語だと思い出した。
「僕が育てた白菜が害虫に食い荒らされた。ホトケってやつはそれも助けてくれない」
「お前が畑の手入れをサボったからだ」
「僕とプーカが行き倒れたときも助けてくれなかった。助けてくれたのは拓海だった」
「それこそ仏の導きってやつだろ」
拓海はそっとため息をついて、御住職に目を移した。
「……俺も行き倒れたところを御住職に救われたんだ」
拓海の言葉に、御住職は静かに合掌し、南無阿弥陀と小さく呟いた。
「仏さまのお導きに従ったまでです。拓海さんはそれをプリムさんとプーカさんにお返ししたのです」
「返す? 僕はあの時、拓海にまだ何も貸してなかったのに?」
「一切の有情はみなもって世々生々の父 母・兄弟なり。全ての命は前世からのご縁によって繋がっております。私たちは、生まれるずっとずっと前から出会っているのですよ」
「例え宇宙の果てを彷徨っていたとしてもかい?」
「宇宙とは仏さまの御心にございます。数多の星々もまた、同じ縁で繋がっております」
「うーん……」
プリムは腕組みをして悩もうとして、そういえば手に饅頭を掴んだままだったことに気がついて口に放り込んだ。
もっしゃもっしゃしながら天井を見上げて考え込み、ごくんと飲み込んで目を戻した。
「つまりホトケってのは宇宙そのものだから、僕の五感じゃ捉えきれないってことか」
「なんでそうなる?」と拓海。
しかし御住職はやっぱりうんうんと頷いた。
「プリムさん、良いことを仰りましたね」
「こいつ適当ぬかしてるだけですよ」
「適当とは──」
「適切、ほどよいって意味! つまり僕は正解したってこと!」
「だから正しいも間違いもねえんだよ!?」
言い合う二人の様子を、御住職はニコニコと微笑みながら見守り、そして密やかに合掌し南無阿弥陀と呟いた。
〜〜〜
「なんまんだー、なんまんだー」
お寺からの帰り道、プリムはそう唱えながら拾った棒切れを振り回していた。
「小学生の男子かお前は」
「くらえ、ナンマンダー斬り!」
「甘い!」
大上段から振り下ろされた棒切れを拓海は真剣白刃取りの要領で手で挟み込んだ。
「む、やるね」
「御住職の説法を聴いてなんでチャンバラごっこなんざやり出した?」
「ホトケは宇宙そのものなヒーローなんだろ? プリキュアより強そうだ。だったら僕もホトケになりたい」
「単純な思考してんなお前。それで念仏を唱えてるわけか」
「なんまんだーって唱えるだけでホトケになれるらしいからね」
「死んだ後の話だろ、それ」
「拓海も一緒に唱えようよ。そして二人で最強のホトケヒーローになるんだ」
「遠慮しておく。俺にとって仏や念仏ってのは、そういうもんじゃない」
棒を手放し、二人はまた肩を並べて歩きだした。
道の脇には小川が伸び、澄み切った雪解け水がさらさらと流れるその岸辺に、若草がちらほらと青々とした葉を伸ばしていた。
「拓海にとってのホトケって?」
「生きるよすがをくれた」
「よすが?」
「縁だよ。クローンとして生まれた俺に、生きても良いんだって教えてくれた」
「ホトケが?」
「行き倒れて御住職に拾われた。そのおかげでこの村でこうして生きている。御住職がそれを仏の導きというなら、そうなんだろう」
「それはジューショクに感謝すべきで、ホトケは関係なくない?」
「俺の感謝を御住職は受け取ってくれないんだよ。感謝もお礼も他の人に返して差し上げなさい。それが仏の教えだとさ」
「だから僕たちを拾った?」
「まあな」
「……僕は、拓海に感謝してる。お礼したいっていつも思ってる」
「ありがとうよ。他の人に向けてやりな」
「そうしたらホトケヒーローになれる?」
プリムのその問いに、拓海は笑った。
「ヒーローにはなれそうだ。だけど仏はそんなことしなくてもなれるよ。人間皆成仏できるらしいからな」
「じゃあ念仏を唱える意味はないってこと?」
「御住職が言うには、普段のあれは感謝の言葉だそうだ」
「感謝?」
「仏さまは必ず救ってくれるから、それに対する感謝の言葉……本当の念仏ってのは、一生に一度、どん底まで堕ちて苦しんで、心の底から救いを求めたときに、その奥底から浮かび上がってくる一筋の光……それを指すんだって、そう言ってた」
拓海はそう呟いて、脚を止めた。
「拓海?」
「ちょうどこの辺だったよ」
「何が?」
「俺が行き倒れた場所」
立ち止まった道の片隅に、お地蔵さまが祀られた小さな祠があった。
拓海はそのお地蔵さまに手を合わせ拝み終えてから、再び歩き出した。
プリムもその後を追う。
「拓海」
「死にかけてた時に、俺はその光を見た気がするんだ」
「え?」
「クローンとして、生きる意味も分からずにオリジナルと訣別して、何の縁も持たずに行き倒れて……絶望感しかなかった……真っ暗だった……なんのために生まれて来たんだろうって、悔しくて、辛くて、悲しくて……そんな真っ暗な底に堕ちかけた時、微かに光が見えた……気がする」
「それって、死ぬ前に見る幻覚だよ」
「科学的にいえばそうかもしれない。昔の人はそれを神だの仏だのと言ったんだろう。でも名前なんてどうでも良いさ。人は死を前にして、皆そういう光を見るんだ」
「光……」
プリムがぼんやりしたように呟き、そしてこう続けた。
「その光なら、きっと僕も見たよ」
「そうなのか?」
「プリキュアたちと戦って、負けたとき、そんな光を見た気がする」
プリムは自分の小さな胸に手を当てて呟いた。その手を当てた場所にはかつて、星をも破壊して自在に作り変える宇宙暴竜シュプリームとしての力の源があった。
その場所をプリキュアたちの想いの力に貫かれた。
そして、今のプリムがある。星を滅ぼし宇宙を彷徨う龍から、田舎の片隅で泥まみれになりながら畑を世話して、鍋を腹一杯食べるのが大好きなちっぽけな存在として。
限りある命を生きる一人の女の子として、クローン拓海と共に生きている。
「ねぇ、拓海」
「ん」
「僕が死んでホトケになったらさ、拓海のこと救ってあげるよ」
「……ありがとよ」
「だから」
「ん?」
「僕より先に死なないでね?」
その問いかけに、拓海は苦笑して、頷いた。
「善処する」
並ぶ二人の片手同士が触れ合い、指が絡み合った。
冬が終わり、春が訪れかけた田舎の帰り道を、拓海とプリムは手を繋ぎあって歩き続けた。