グーテンターク
私のせかいは、一つ足りない。
ご飯はおいしい。ほっぺは柔らかい。お花はきれい。シャンプーは良いにおい。
けど、みんなの声は聞こえない。
お父さん、お母さん、お兄ちゃんが集まっても、どんなお話かわからない。
私はソレを見ているだけ。それだけしか許されない。
私にはずっとわからない。私のお耳はおかざりだから。
私はたしかにみんなとちがうけど、誰もひどいことはしなかった。お父さんもお母さんも私よりお兄ちゃんと一緒にいたけど、それでもさびしいとは思わなかった。
お兄ちゃんはピアノもフルートも上手い。今は遠くに行っちゃったけど、なんでもできる自慢のお兄ちゃん。
私はたくさん失敗したりまちがえたりするけど、お家に帰ったらお父さんとお母さんはしからなかったし、二人が私に怒ったところは見たことがなかった。
私のせかいは一つ足りないけど、幸せなせかいだって思ってた。
音が私のせかいにあったら、どれだけ素敵かなんて考えなかった。
"あの子"にあうまでは。
ゴールデンウィークの1日前。
学校からお家に帰ってくると、いつもとなんだかふんいきがちがう。
お母さんもお父さんもなんだかいそがしそう。お母さんが私に気づいて、ぱぱっと手話で私に伝える。
【おかえりなさい、しおりちゃん。ごめんね、お部屋に行っててくれるかな?】
【うん…】
大人しく2階のへやにもどって、いつもみたいに本を読もうとしたんだけど、なんだかすごく気になって。
とびらを開けて、こっそり1階におりちゃった。
(────だれ?)
知らない子が、お父さんとお母さんの前に座ってる。なんだか誇らしげな、それでいて当たり前のような顔で座ってる。
(あっ───)
目があっちゃった。本当はいけないのに見つかっちゃった。私は部屋に戻らなきゃいけないんだけど、なんでか足が勝手にその子の前に来ちゃった。
お父さんが私をにらんでるし、お母さんもダメって顔してるのに。
その子を見た時から、私はなんだかおかしくなっちゃったのかもしれない。
その子は私が来ても顔色一つ変えなかった。それどころか、
「■■■■■■■?■■■■■■■■■■■■■■■■■■?」
と、たくさんの言葉を私に向けた。
あぅあぅとなんにも言えなくて、思わずお母さんの後ろに隠れちゃったけど、その子は私の目をまっすぐに見てくれた。すごく強い目でじっと見てたから、私も目を見てあいさつしないとって思っちゃったんだ。
(こんにちは……)
喋れないのでペコリ、とだけ下げた。
「■■■!■■!」お母さんが私を抱き寄せた。なんだかわからないけど、すごくあせってるみたい。
その子とお父さんがちょっとお話をしたあと、お父さんは私に【着いてきなさい】と言った。
…その後はよくおぼえてない。なんか手に赤い傷が出来て、お父さんは腕を抑えて痛そうにしてた。しんぱいしても、【お前は"キャスター"さんと話を合わせておきなさい】って。
結局私はなにもわからないまま、"キャスターさん"と二人きりでお話することになった。
キャスターさんは私と同じくらいの年くらいで、とってもきれいな金色のかみの毛と、くりくりの茶色い目をしてる。なんだか絵本に出てくる人みたいで、少しドキドキした。
けど、さっきみたいにわっとしゃべられるかもって思って怖かった。
《あー、あーーー……おーい。聞こえるか?聞こえるなら返事を…ああ、頭の中で文章を書いてみろ、分かるか?》
知らない、なにか。
私だけの部屋にだれかが入ってきたみたいな、へんなかんじ。
それが"言葉"なんだって、少し考えてから分かった。
《おい、返事しろ。文は書けると聞いたぞ、この天才の言う通りにやってみろ》
ちょっとだけ声が大きくなって、怒ってるってわかったから、あわてて文章を考えた。
《こんにちは。私の言葉、わかりますか?》
"頭の中で文を書いてみろ"と言われたので、いつも本を読むみたいに文字を思い浮かべてみたら、またおっきな声が出た。
《おおっ!よくやった小娘!!ついにお前にも使用可能な言語体系が生まれたのか!?流石この天才にかかれば斯様な事など造作もないわっ!!》
すごく嬉しいって気持ちが伝わってくるけど、まるで昔テレビで見た津波みたいに言葉が流れてきて、ちょっと怖い。
キャスターさんは、私がこわくて固まっちゃってるとおもって心配してくれたのか、ちょっとだけ声が小さくなった。
《む、驚かせて悪かったな。この天才としたことが少し興奮してしまったようだ、許せ》
ゆるせ、って言ってるのにはんせいしてなさそうにニコニコしてる。
《さて…呼び方が小娘では些か据わりが悪いな……小娘、名前は?》
《葉歌…詩織です》
《ハウタ、シオリ。うむ、日本語の意味は全く分からんが字面は気に入った。お前はこれからシオリと呼ぶ事にする》
私じゃない誰かが私のなまえをよぶなんてはじめてで、それがなんだかくすぐったい。
《あの……あなたは誰ですか?どうしてお父さんとお母さんといっしょにいるんですか?》
質問したけど、キャスターさんはぜんぜんこたえてくれない。ただなんとも言えない顔のまま、
《シオリよ。一つ目の質問についてはしばらく保留だ。二つ目の質問だが、まぁ…面倒だから親に聞け》って、結局何も答えてくれないのに、逆に自分は質問ばかり。
《お前の家系は如何なる魔術を扱う?何故この天才を喚んだ?触媒は?ジークフリートか円卓の騎士でも呼び出すつもりだったか?》
何を言ってるのか分からないから、ずっと首を振ったりううんってひていしたり。
今まで誰ともお話したことのない私の、はじめてのおしゃべり。
ふつうの人ならこんな私のぶきっちょな話し方に怒ったり、しつぼうしたりするのかもしれないけど、キャスターさんはあまり気にせずお話を続けてくれる。
《お前の名前の由来は?家系のルーツは?お前で何代目だ?起源は?》
キャスターさんはぐいぐいってはなしをすすめてくる。いつも読んでる本とは違う、私が知りたい事が知らないまま進んでいく。
本だったら、つまらないって読むのをやめちゃってたけど、キャスターさんとお話するのは、なんだかすこしだけワクワクする。
《むぅ…全部知らない、と。まぁ細かい事はお前の父母に聴けばいいか。では最後の質問だ》
一つだけ息を吐いて、言葉を続けた。
《お前は聖杯戦争を知っているか?》
……わからない。お父さんたちは知ってるのかもしれないけど、私は知らない。だから首を横に振った。
《そうか、ならばいい》
なんだかよくわからないけどキャスターさんが満足そうだから、私もよかったっておもった。でも、ちょっと気になることがひとつあったので聞いてみた。
《あの……キャスターさんは"せいはいせんそう"をするんですか?》
《ん?ああそうだ。この天才も喚ばれたからには、聖杯戦争に参加する。まぁ叶えたい願いもなくはないが…あぁ、この天才とした事が大事な事を聞き忘れていた》
そう言ってキャスターさんは私の眼をじっと見た。なんだか心を見すかされているみたいでこわいけど、目をそらせずにじっと見た。
《シオリよ、お前の願いはなんだ?》
《私の、ねがい?》
じいっと期待するキャスターさんに応えられないのが、少しだけもうしわけなくおもった。
《わからないです……》
《──────ほう?それはどういう?》
キャスターさんの顔が少しだけこわくなった。でも、私はほんとうに分からないんだ。
《…私は、ほしいものがないです。今のままの私でいいから、だから、ほしいものなんて、ないんです》
《──────は?》
キャスターさんの顔がもっとこわくなった。
私はなにか間違ったことをいったのかもしれないけど、ないものはないんだから仕方がない。
《いや──────いや、いやいやいや。
そんな訳はなかろう、シオリ。今のままで良い?何かを求めること無いと?例えば────耳が聞こえるようにしてほしい、とすら思えないと?》
《──────はい》
《………………ハ、ハ。ハハハッ!!!》
私が頷くと、キャスターさんは突然わらいだした。楽しそうにわらって、お腹をおさえてわらってる。でも不思議とちっともいやな気分じゃなかったし、なんだかうれしい気分になった。
《ハーッハハハハハハハ!!嗚呼、腹が痛い!生前(かつて)、胸が焼けんばかりの痛みに襲われたがそれ以上だ!なんという喜劇、なんという悲劇!ああ…愛おしい》
《……なにが、おかしいんですか?》
《ハーッハッハッハ!!己が愚かさすら解せぬときた!いや悪い、嘲るわけではないぞシオリ。そうだ、それでいい。お前の願いが何であるかなど、お前自身が知らずとも、理解せずとも構わんのだ。
ただ────》
キャスターさんがまた私をじっと見つめる。今度はなんだかこわくない。
でも、今度のひとみは、お父さんもお母さんもしたことのない、すごくふしぎなひとみだった。
《この天才の願いは、今この瞬間にこそ決まったのだ────────シオリ。
私はお前の耳を治し、この天才が創り上げ奏でる数多の楽劇を、心ゆくまで聞かせる事を誓おう》
その顔は、今までのどんな人よりも、なんだか楽しそうで。その願いは、私のためなのに、まるで自分が手に入れた宝物を自慢するみたいだった。
《──────はい》
だから、私もわらってうなずいた。
そんなにすごい宝物なら、聴かないのは嫌だって思えたから。