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【伝説】天皇家に伝わる黄金の壺 真名之壺とは?

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皆さんは、「三種の神器」の他にも、神代の時代から伝わる宝物「黄金の壺」が有る事をご存知でしょうか?

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前方後円墳の形は、ひっくり返して「壺」になる、と言う話を聞いた事がある方もおられると思います。


前方後円墳を「瓠塚(ひさごずか)」、ひょうたん古墳と称した。日本のとても古い神社に、ひょうたん神社を称するところがあります。

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元伊勢 籠神社

それは丹後一宮の元伊勢「籠神社(かごじんじゃ)」、別名を「瓠宮(このみや)」と言います。「籠」も「瓠」も「壺」も「こ」と読むのです。


何故「こ」の話をするかと言うと、かつて籠神社には黄金の壺が、社宝(しゃほう)として伝わっていたそうです。籠神社の名称には、「壺(この)神社」の意味が有ると言われる方もいます。

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その壺の名は、「真名之壺(まなのつぼ)」と言います。高天原の聖なる水をくむための器で、籠神社の宮司が就任する際に、真名之壺に入れた水を飲むと言う説があります。


ですが、真名之壺は現在 籠神社には無いそうです。なんでも、神隠しにあったとか?。本当の所は分かりません。

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これとは別で、伊勢神宮の外宮に真名之壺が祀られている!と言う噂があります。ただ戦後、中山忠直氏が言うには、籠神社から伊勢神宮の外宮の祭神「豊受大神」が、勧請(迎え安置)されている。何か私達の知らない、繋がりがあるのかもしれないとの事です。


籠神社から外宮へ豊受大神の御霊を移したのは、雄略天皇の時代だそうです。雄略天皇の記録の「日本書紀通釈」に、こんな記述があります。

天下に朕(ちん 天子の自称)が開きみられざるものなしと宣(のたま)いて、この黄金の鑵 (かん)、すなわち甕(かめ)の口を開かせ給(たま)いたるに、中より白い煙が出でたるより、畏(かしこ)みてこれをもとのごとく密閉しめたり


これを見るに、天皇家には黄金の壺が継承されてきた、それが籠神社で祀られてきた真名之壺でありましょう。

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研究家によっては、外宮の御神体は「米」だとも言います。ですが、重要なのは、米を入れている黄金の壺、つまり真名之壺なのだと言いいます。


この真名之壺こそ、応神天皇が日本に携えて来た神器なのだ!騎馬民族は、真名之壺を王権の象徴にしていた。だからこそ、真名之壺こそが、前方後円墳のモデルなのではないだろうか。


そして、最後に最も重要なのは、この真名之壺とまったく同じ名前の壺がある。


それは、「マナの壺」。

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マナの壺を神器としている民族が他にもいる、それはイスラエルの民。今はユダヤ人と呼ばれています。


日本とイスラエル、私たち日本人は、未だ自分の本当のルーツを知らないのかもしれません。はたして全国民に、それが示される日は来るのでしょうか?


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