カフラマンマラシュ

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カフラマンマラシュ
Kahramanmaraş
都心の眺め
都心の眺め
カフラマンマラシュの位置(トルコ内)
カフラマンマラシュ
カフラマンマラシュ
トルコ国内の位置
北緯37度35分 東経36度56分 / 北緯37.583度 東経36.933度 / 37.583; 36.933
トルコの旗 トルコ
地域英語版 地中海地方
カフラマンマラシュ
面積
情報源[2]
 • District [1] km2
標高
568 m
人口
(2021年)
 • 合計
1,168,163人
等時帯 UTC+3 (TRT)
市外局番 0344
車両登録番号(英語) 46

カフラマンマラシュトルコ語: Kahramanmaraş (トルコ語発音: [kahɾaˈmanmaɾaʃ]、古代の名称はギリシャ語由来の Γερμανίκεια)は、トルコ地中海地方カフラマンマラシュ県にある都市で同県の県都。タウルス山脈のふもとにある。人口は116万8千人あまり(2009年当時は38万4953人)。

正式名称は1973年までさかのぼるとマラシュだったが(アラビア語: مرعش‎ Marʻaš、アルメニア語: Մարաշ Maraš)、同年、トルコ革命時にフランス軍に勝利したマラシュの戦いを記念し、「英雄」を意味するカフラマンを冠して「カフラマンマラシュ」となった[3][4]

2023年2月6日、カフラマンマラシュ州のパザルジュクとエルビスタンを震源とする2023年のトルコ・シリア地震で都市の多くが破壊された。

歴史[編集]

鉄器時代初期(紀元前11世紀後半から紀元前711年頃)、マラシュはシリア・ヒッタイト州・グルグムの首都だった。ルウィ人の住民には「クルクマの都市」として、アッシリア人にはマルカスとして知られていた。紀元前711年、グルグムの地はアッシリア属州として併合され、首都にちなんでマルカスと改名された。

ローマ帝国とビザンチン帝国の時代には、マラシュはゲルマニキアカエサレアと呼ばれていた。

近世では、オスマン帝国の統治中、この都市は当初、ドゥルカディールのエヤレット(ズルカディリエのエヤレットとも呼ばれる)の中心であり、その後、アレッポのヴィライェットにあるサンジャクの行政の中心地だった。

1978年12月、市内で左派アレヴィー派のマラシュ大虐殺が発生した。トルコの民族主義グループであるグレイウルブズが暴力を扇動し、100人以上が死亡した。この事件は、戒厳令を宣言するというトルコ政府の決定と、1980年の最終的な軍事クーデターにおいて重要だった。

2012年カフラマンマラシュ県の全域が大都市自治体に指定され、旧カフラマンマラシュ市はドゥルカディロール(Dulkadiroğlu)とオニキシュバト(Onikişubat)という2つの自治体に分割された[5]

2023年2月6日、マグニチュード7.8の地震と7.5の地震がカフラマンマラシュ近傍で発生し、街に壊滅的な被害をもたらした[6]

地理[編集]

名物はヤギのミルクで作る[7]粘度の高いアイスクリーム「ドンドゥルマ」(トルコアイス)と、その原料ともなるサレップesalep(英語)と呼ばれる増粘多糖体で、ランの仲間の根茎を干して加工する。1992年設立のカフラマンマラシュ公認工業地域(OIZ)には2017年時点で繊維工業と金属加工業の企業54社を束ねてあった[8]

カフラマンマラシュ空港(英語)からイスタンブルアンカラのどちらにも定期便が就航する。バクートビリシカルスを結ぶ国際鉄道ルート(BTK)が通り、県南部のテュルクオウル英語版に大規模貨物物流センターが開設されると(2017年)、年間のロジスティックス能力は190万トンである[9]。チュクロヴァ地方からトルコ北部、東北部経由でジョージアへ物流網が広がると期待される。中国から見たなら、一帯一路構想がメルスィンまで伸びる可能性もある[9]

脚注[編集]

  1. ^ トルコのカフラマンマラシュ (県および市) の面積”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2022年8月18日閲覧。
  2. ^ Regional Statistics [自治体統計]” (英語). 2009年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月18日閲覧。
  3. ^ Kahramanmaraş’ın Tarihi [カフラマンマラシュの歴史]” (トルコ語). kahramanmaras.bel.tr. Kahramanmaraş Büyükşehir Belediyesi [カフラマンマラシュ市]. 2022年2月8日閲覧。
  4. ^ JETROイスタンブール事務所 2018, p. 22, 「IV. イスケンデルン湾の鉄鋼地域 §1. ハタイ県、オスマニエ県、カフラマンマラシュ県の概要」
  5. ^ Başbakanlık Mevzuatı Geliştirme ve Yayın Genel Müdürlüğü [総局公表]” (トルコ語). www.resmigazete.gov.tr. トルコ政府首相府 (2012年11月12日). 2022年2月8日閲覧。 (1)地域の統計と(2)都市監査の統計がある。
  6. ^ “中心街、数百台の重機 トルコ南部カフラマンマラシュ 大地震”. 朝日新聞. (2023年2月10日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15552065.html 2023年2月13日閲覧。 
  7. ^ JETROイスタンブール事務所 2018, p. 26, 「3.産業動向〈農業・農産品〉§カフラマンマラシュ県」
  8. ^ JETROイスタンブール事務所 2018, p. 34, 「表27 カフラマンマラシュ県のOIZ、テクノパーク(技術開発特区)」(JETROイスタンブール事務所作成)
  9. ^ a b JETROイスタンブール事務所 2018, p. 30, 「4.産業インフラ 〈物流〉」

参考文献[編集]

  • イスタンブール事務所、海外調査部中東アフリカ課『チュクロヴァ地方産業調査 : アダナ、メルスィン、オスマニエ、ハタイ、カフラマンマラシュを中心とした経済・投資環境』(pdf)日本貿易振興機構、2018年12月https://www.jetro.go.jp/world/reports/2018/01/73251aab2239f8a9.html2022年8月19日閲覧 
    • 公認工業地域(OIZ)、フリーゾーン(FZ)
  • 中東調査会, ed (1990.10). “第二部第八章 (II) カフラマンマラシュ事件”. イスラム・パワー. パレスチナ選書 (再版 ed.). 第三書館. pp. 192-200 全国書誌番号:21216568

関連項目[編集]

外部リンク[編集]