横須賀聖杯戦争⑨
「さあて、ここではまともに戦えないな。──上でやるか」
深夜の横須賀の街。
はぐれのセイバーは暗闇によく響く明るい声でそう呟き。
次の瞬間。
「っ、はやっ──」
「二人とも、マスターの方は頼んだ」
瞬時にアサシンの肩口を片手で掴み、剣から大量の水──魔力放出(水)によるジェット水流によってセイバーはアサシンと共に猛スピードで宙へと飛び立っていった。
「…………御子様、飛んでっちゃいましたね。ロケットみたく」
「街を壊しちゃダメってしっかり言いつけたからね。あのアサシンとっても強そうだったし、この場で戦ったら酷いことになっちゃうもん」
キャスターは飛び立っていくセイバーを見届けた後、改めてアサシンのマスター、辻中 彩芽へと忠告する。
「戦いが終わるまでおかしな事はしないでね。これでも私だってサーヴァントだから、人間相手なら負けないよ」
「あ、日本刀は私が預かっておきますね」
キャスターのマスターである氷上 美夜が彩芽の日本刀を取り上げて少し離れた位置につく。
「………………」
当の彩芽は両手を挙げてされるがままになっていた。
「あとは御子様があのアサシンを倒してくれるのを待って…………それからどうしましょう?」
「私達の時代だと問答無用に斬り捨てる…………ってなっちゃうけど、当世だと警察ってところに届け出た方がいいのかな?」
「そうですね、な、何人もコロしちゃってるっていうなら警察に…………いや、警察に届けてどうにかなるものなんですかね。この人も魔術師なんじゃないですかね」
「…………私は魔術なんて使えないよ」
自らの処遇を語る二人を横目に眺めながら、ボソリと彩芽は呟いた。
「あ、そうですか。そういうことならじゃあ警察に…………っていやいや信用出来ませんから!」
「あ、そういうの当世では『ノリツッコミ』っていうんだよね」
「…………聖杯、そんな知識までくれるんです?」
「いや、こないだてれびでやってたから」
「おおう、巫女様召喚されて結構経ちますもんね。いやそれはともかく…………ええと、監督役? って人のところで預かってもらうとか…………ですかねえ?」
「あの人がいたら『うん、斬ろう』とか言い出すところだけどね。まあそんなところでいいんじゃないかな?」
「………………」
曲がりなりにも大量殺人犯である自分の前で呑気に話す二人を見て、彩芽はリアクションに困った顔をした。
聖杯戦争の真っ只中であることを考えれば、サーヴァントを現世に繋ぎ止めているマスターである自分は真っ先に殺してしまうべきだ。
手を汚すのが嫌だというのなら、脅して令呪を使わせてサーヴァントを自害でもさせればいい。
脅しても無意味だと思われているのか──
(──というよりは、そういう悪辣な発想が根本から思い浮かばないって感じかな。サーヴァントの方もマスターの方も)
両手を挙げたまま、目前で語り合う二人を見聞しつつそう結論づけた彩芽。
そして、心底から困り果てたのだった。
(二人ともめーーーーっちゃ隙だらけなんだが…………どうしよう。どっちもいつでも斬れるぞ)
横須賀上空。
高出力の魔力放出(水)によるジェット噴射によって横須賀の天気がところによりゲリラ豪雨に襲われているのを知る由もなく、セイバーとアサシン、二騎のサーヴァントは深夜の宙天にて対峙し合っていた。
「おっ、と。自分の肩口ごともぎ取って切り離すとは。流石は怪異」
「そうでもせんとすぐさま細切れにでもされそうやったさかいねぇ。怖い怖い」
互いに高ランクの魔力放出を駆使して空中で高度を維持したままに向かい合う二騎。
自ら引き千切ったアサシンの肩口はすぐさま再生し、その手は瓢箪に咥えさせた大剣を取っている。
「神性を宿してはいるが神の類ではないようだな。まあこの儀式では流石に神霊の類は喚べないだろうが」
「それを言うならこっちの台詞やわぁ。薄まってはおるみたいけど、この神性…………大神さんのもんとちゃうの? どっかの狐を思い出してまうわ。まあうちとしては血筋なんかより──その剣の方がおっかのうてかなわんのやけど」
如何なる時にも興を忘れない彼女にしては珍しく、笑みを浮かべない表情でアサシンは言葉を投げかける。
「ふむ。まだ抜いていないのだが、我が剣の神威を感じ取るか。単なる反英霊ではなさそうだが、まあそれは──斬ればわかる!」
全身から水の魔力を噴出させ、セイバーはアサシンへと斬りかかる。
「ふぅ、と」
アサシンは向かい来るセイバーに対して酒気の篭った吐息を放つが。
「児戯だな!」
セイバーは剣どころかもう片方の手で煩わしげに払ってそれを退けた。
「あらら。セイバークラスには高い対魔力があるんやったか。魅了は利かんなあ」
言いながらにアサシンはそのまま猛進してくるセイバーへと大剣を振り下ろした。
轟音が響き渡り、夜の闇を散らしゆく火花が仄かに照らす。
「えらい麗しい顔してるいうのに、気性は荒っぽいみたいやなあ。ふふふ、まあうちとしてはそういうのは大歓迎やけども」
「むう。それはこちらの台詞というか…………チッ、腕力だとそちらが、上かっ──」
互いの筋力と魔力放出はぶつかり合い、その結果──均衡はアサシンへと傾いた。
「そお、らっ!」
「くっ!」
態勢を崩され、そのまま大きく吹き飛ばされるセイバー。無論それをアサシンは即座に追撃しに向かう。
「【叢雨】!」
不確かな態勢のまま、それでもセイバーは数多の水の礫を生み出し、襲い来るアサシンめがけて撃ち放つ。
「ははっ! それこそ児戯やな」
アサシンは迫りくるそれらを目にしても眉一つ動かさないまま突撃を敢行。
全身にて発動している魔力放出(熱)によって水の礫達はその勢いを殺され、それでもいくらかはアサシンの身に届いたが、その程度の負傷はかの大化生の気にもとまらない。
「このっ…………!」
「えい」
戯れのような軽い声で、高熱を纏った蹴りをセイバーへと叩き込むアサシン。
だがそれをセイバーは片方の掌で掴んでみせた。
「あら、熱ないん?」
「熱いわ! すっごくな!」
もう片方の手で剣を振るい、アサシンを断とうとするセイバー。
「ほいっと」
するとアサシンはまたしてもあっさりと自らの片足をひきちぎり拘束と斬撃から逃れる。
その勢いのまま留まらず、今度は貫き手のような構えでセイバーの心臓を狙い──
「甘いっ!」
セイバーはすかさず二の太刀でその腕をはね飛ばした。
片足片腕を失ったアサシン。再生は一瞬で済むが、この二騎の交錯の中ではその一瞬は余りにも長い。
「殺った」
そう確信したセイバーは自らの第一宝具【水神】を解除。剣の真の姿を顕わにする。
「!!」
アサシンがその目を見開いて驚愕の様相を見せた次の瞬間には、セイバーはその真名を叫んでいた。
「【絶技・八岐──」
「そらかなわんわ」
アサシンの残った片手の中の瓢箪から、妖しい色の煙が瞬時に湧き出る。
「──!」
真名開放。英霊としての在り方に結びついた不可避の隙。
名を叫ぶと言うことは言葉を紡ぐということであり、それは転じて──呼吸するということだ。
「──クソッ!」
そう叫ぶセイバーはその身に【水神】による水を纏って防御していた。
「ふう、おっかなあ。危うく死にかけるとこやったわ」
アサシンの放った毒気を吸い込まない為にセイバーは真名開放を中断し魔力放出(水)によって身を守ることに切り替えたのである。
やがて二騎は宙空から降り立ち、横須賀南東の浜辺にて対峙していた。
「小賢しい真似をしてくるものだな。まあアサシンとしては当然か」
「ふふ。そんくらいは堪忍してや。まさかその剣を目にするとは思わんかった──『日嗣の御子』はんやね? どおりで尋常やない強さなワケや」
「…………その名で呼ばれていたのは、幼い身分までだ」
セイバーは再び姿を蛇行剣に戻した剣を構え、魔力放出を解き放つ。
「【滾つ瀬】」
凝縮された水が怒涛の如き圧力で放たれる。それをアサシンは──
「──いただくで」
その手の中の瓢箪の中へと全て吸い込んでしまった。
「…………なに?」
「おかえしや」
瓢箪に吸い込んだ魔力の水を、アサシンはそっくりそのままセイバーへと放ち返した。
「ちっ、面倒な真似を…………!」
それを躱しながらアサシンへと斬り込むべく砂浜を駆けるセイバー。
しかし。
「そうはいかへんよ」
その場に溢れかえった水に対して、アサシンは自らの高出力の魔力放出による熱を叩き込む。
その結果、水は瞬時に沸騰、蒸発し──水蒸気爆発を引き起こした。
「くっ!?」
浜辺を蒸気が瞬時に埋め尽くす、その瞬間に。
「気配が消えた! アサシンの気配遮断か──」
「御明察」
言葉とともに、高熱を纏ったアサシンが背後から飛びかかる。
「舐めるな!」
セイバーは瞬時にそれに反応。徒手空拳にて襲い来るアサシンへと斬り返す。
アサシンの戦法は力任せのものではなくなっていた。多少の反撃は意にも介さずにセイバーへと張り付くような超接近戦で攻撃を浴びせ続ける。
「真名開放の隙を与えない気か!」
「まあそりゃねえ。かの神剣を見せられて畏れん英霊なんぞこの日の本にはおらんやろ」
宝具を抜かせたら負ける。それはアサシンにとっては確信だった。
しかし──
「我が剣を抜かせなければ勝てる、とでも? 低く見積もられたものだな!」
笑みを浮かべてアサシンの猛攻を受けて立つセイバー。
白熱する戦いの趨勢は──
「──セイバー有利、ってとこですかねえ」
その戦いを使い魔の蛇の視界越しに眺めながらに辰巳砂は呟いた。
「ホントになんなんですかねえあのセイバー。あのライダーが脱落した今では優勝候補はアサシンと見てたんですが…………そのアサシンを押している」
無論、アサシンもその膂力を駆使してセイバーと真っ向から渡り合っているが──ここまでの戦闘でアサシンは幾度も大きなダメージを負っているが、セイバーにはまともに攻撃が届いていない。アサシンの攻撃を全て捌き切っている。
どちらかと言えば攻勢にあるのはアサシン側だが、そのアサシンの度重なる攻撃をセイバーは全て真っ向から受け止め、捌いている。
「横綱相撲と言うか…………王者の立ち回りですね。アサシンには高い再生力があるようですが、それを行う魔力は有限だ。アサシンの燃費はそこまで悪くないようですが、それもあのマスターだとどこまで保つものか。このままいけばアサシン側がジリ貧でしょう」
現状この聖杯戦争における一番の異分子、不確定要素はあのセイバーである。
突如として降って湧いた、おそらくはこの日本の大英雄。
「これはあれですかねえ。動いちゃいましたかね──『抑止力』ってやつが。はーやだやだ」
その場で嘆息する辰巳砂。根源に至ろうとする魔術師に往々にして最後の壁として立ちはだかるという世界の意思。それを思わず感じてしまいそうだった。
「ま、このままアサシンがセイバーに倒されて終わりだと余りにも実りがない。こんなに早くなるとは思いませんでしたが──介入せざるを得ませんね」
辰巳砂はもう一つため息をついたあと。
掌の中にある漆黒の【匣】へと視線を落としたのだった。